花咲き娘と生徒会長
初めて彼女を見た時、美しいと思った。
彼女ならきっと―――。
◆◇◆
昔から自分の家が嫌いでしょうがなかった。
仕事ばかりで家庭を顧みない父とそんな父に愛想をつかせ外で男を作った母。
その上近づいてくるものは皆、家の権力目当て。
家にも外にも、俺の居場所はなかった。
だから、俺と同じような立場にいながらもそれなりに家族仲の良いエルセン家の奴らが前から少し羨ましくて嫌いだった。
ずっと何のために努力して、何を目指しているのか分からなかった。ただどうしようもなく虚しくて、その穴を埋めようとまた努力を重ねる。
でもやはり望んだものは手に入らなくて何もかもが嫌になった頃、学園の廊下でアリーサ・ローズという一人の女生徒を見かけた。
綺麗に伸びた背筋に気品ある立ち姿。
一見すればただの育ちの良いご令嬢だ。でも、彼女のそれは他の令嬢とは少し違った。
顔立ちは平凡なのに、その寂しげな瞳が、纏う空気が、俺を惹きつけた。
それがどうしようもなく気になって彼女のことを調べれば、彼女を囲む環境は俺とよく似ていることがわかった。
家族に関心のない父に、頼りにならない母。
ただ、彼女の場合は義弟がいたようだが、その義弟とも仲は良くないらしい。
友人もろくにいなかったらしく、いつも一人で行動していた。
彼女は孤独だった。
それでも彼女は決して折れず、美しくあり続けた。
孤高の存在となり、氷姫と呼ばれるほどに。
そんな彼女の在り方を知った時、俺の心を占めたのは歓喜だ。
俺のこの虚しさが、どうしようもない虚空が理解出来るであろう人間がいた。
俺のこの穴を埋めてくれるであろう人間が。
そう思うと彼女のことが欲しくてたまらなくなった。
どうしても自分の傍に置いておきたくて、俺は彼女を婚約者にすることを考えた。
だが、残念なことにそれは不可能だった。
理由は二つ。
一つ目は、彼女には既に婚約者がいたからだ。
幼い頃から婚約していたらしい。が、実はこのことについてはそこまで問題ではない。
お互い、恋慕の情はないようだし、家の格も俺の方が上だ。
今している婚約を破棄して俺と婚約し直すことも可能だろう。
だが、ことはそう上手くはいかない。
それが二つ目の理由だ。
俺の家は国内でも二本指に入る権力を持っている。
そして、ローズ家もうちほどではなくともかなり強い権力を持っていた。
そしてその大きな権力が俺の計画の障害となった。
そう。彼女を婚約者にするにはあまりに権力が偏りすぎてしまうのだ。
強すぎる権力は最悪の場合、謀反を疑われる。
彼女の婚約者のように次男という立場ならばまだしも、俺は生憎一人息子だ。
つまり、俺と彼女の婚約は王族に邪魔される確率がかなり高いというわけだ。
王族の邪魔が入るということは結婚が祝福されていないということ。それはすなわち、王族に喧嘩を売っているのと等しい。
そうすれば、それこそ謀反を恐れた王族が適当な理由をつけてお家取り潰しにすることだってありうる。
こんなにも彼女を切望しているのに、彼女を手に入れることは出来ない。
その事実がわかってからどうしようもなく渇きのような感情に襲われていた。
が、ちょうどその頃。彼女はおかしな動きをし始めた。
なぜかリリア・カサランという女生徒を虐め始めたのだ。
いや、虐めと言うにはあまりに生易しいものだったが、とにかくそれまで品行方正で何も咎めるようなところがなかったはずの彼女は突然にその性格を変えた。
まるで、演技でもしているように。
最初はその行動の意味がわからなかったが、わざと人目の多いところでリリアに声をかけていること、その挙動が今までリリアを虐め罰を受けた令嬢たちによく似ていることから彼女は自ら学園での評判を落とし、家に何かしらのアクションを起こそうとしているのだと分かった。
評価を落とすことで父親の監視の目から逃れたいのか、それとも婚約者との婚約を破棄したいのか。
目的自体は明確にはわからなかったが、どちらにせよ俺にとっては好都合だった。
彼女が虐めているリリアは彼女の婚約者が思いを寄せている女性だ。
リリアをいじめ続ければ彼女はいずれ、婚約破棄されるだろう。
その上、学園での彼女への評判は下がる。
いくら権力が強くともその評判が地まで堕ちていれば意味もなくなるというものだ。
そうなれば俺と彼女が婚約することは今よりもずっと簡単になる。
だから俺はわざとリリアを擁護する側に回った。
彼女がより孤立するよう、決して仲間など作ってしまわぬよう。
早く、早く俺のところまで堕ちてこい。
そう思いながら。
作戦は上手くいったはずだった。
いや、実際上手くいった。
彼女は予想通り学園でさらに孤立し、恐れられ、味方もいないまま大勢の前で婚約破棄をされ、その上断罪をされた。
全てが上手くいった。
後は、孤立したままの彼女を囲い込み、婚約者にすれば良い。
そのはずだったのに
彼女は俺に微笑みを浮かべて穏やかに自らの処分を尋ねてきた。
その時、どうしようもなく嫌な予感がした。
何か、自分の予想外のことが起きそうな、そんな予感が。
彼女への処分を答えると、彼女は安堵したような表情を浮かべ、まだ喧騒に包まれる学園から出ていった。
最後まで美しいその背中を、俺は追いかけることも出来ずに眺めていた。
その次の日の事だった。
彼女がローズ家から絶縁され、平民になったと聞いたのは。
「·····何故俺を巻き込んだのですか」
俺は隣を歩くアルトに聞く。
先程アリーサと話していたところに無理矢理割り込まれてからお互い無言だったものの、どうしてもイラつきは消えない。
「なんのことでしょう」
「ここまで来て惚けるとは。俺の邪魔をして、アリーサの騎士でも気取ってるつもりですか?」
俺の言葉にアルトは人の良さそうな表情を引っ込め、代わりにすぅと目を細め、静かに微笑む。その顔は微笑んでいるはずなのにどこか凄みを感じる。
「別に、そんなつもりは無いですよ。もしかして、大事なお話でもされていましたか」
「ええ。とても大事な話を。尤もアルト殿には関係がありませんけどね」
互いに既に本性を隠す気はなくなっているらしい。
アルトは瞳に怪しい光を湛える。
「そうですか。ですがやはり心配ですよ、彼女は賢いですが同時におっちょこちょいなところがありますからね。そのうちどこぞの悪い奴にでも騙されるんじゃないかと」
「確かにそれは心配ですね。貴方のような者に笑顔を向けるような人ですからね」
にこりと笑い返してやれば、二人の間に肌がひりつくような緊張感が漂った。
同族嫌悪と言うやつかもしれないが俺はエルセン家で最もこいつが嫌いだ。
いつもニコニコと仮面のような笑みを貼り付けて笑っていて性格がかなり捻じ曲がっているこいつが。
「ちょっと!!私を放置して二人でなにを話しているのよ!!!」
と、張り詰めた空気に一つ、アホっぽい声が聞こえた。
敵の目の前とはいえ、俺はその声に思わず顔をしかめる。
アルトも同じだったようでげんなりとした顔を隠しもせずに晒していた。
が、彼は一秒もしない間にその顔に穏やかなほほ笑みを浮かべると、アホっぽい声の主ジュリーナ姫の方へ向き直る。
「申し訳ありません、ジュリーナ様の可愛らしさについてルートさんと少しばかりお話を」
調子のいいやつの言葉にジュリーナ姫は分かりやすくご機嫌になる。
「あら、そんなの元々わかりきってる事じゃないの!ほら、早く行くわよー!!」
語尾にハートマークでもつきそうな勢いで前を歩くジュリーナ姫に溜息をつきそうになる。
図書館の時といい、城に行った時といい、さっきといい。
いつだって俺は隣を歩くこいつに邪魔をされる。
いてもいなくても、こいつは俺を邪魔するのだ。
彼女の心にこいつが居座り始めていることくらいとうの昔に知っている。
だが、そこで諦められるほどこの執着は簡単なものじゃない。
幸い、城で話をした時はまだ付け入る隙があった。
心を揺らすことが出来たのなら俺にもまだ勝ち目はある。
やっと見つけたんだ。離してなるものか。
俺の穴を埋めてくれる存在を。
アリーサ・ローズを。




