ある女の独白
その記憶を思い出したのは、五歳の頃だった。
母に頼まれて野いちごを摘みに行って、ぬかるみに足をとられて頭を打った。
その時に、前世の記憶を思い出した。
私の前世はニホンという国で生きている女性だった。
死んだ時の記憶はなかった。
ニホンでの私は天涯孤独の身だった。
恋人はいなかったし、両親は私が二十歳になった日に事故で亡くなった。
仲の良い友人と言える人もいなかった私は記憶を思い出してから生まれ変わったことに、とても喜んだ。
今世は文明こそ若干の遅れがあるものの、たくさんの友達と健康な家族がいたからだ。
私は毎日を感謝しながら過ごした。
慎ましいけれど、幸せな生活だった。
そんなある日のこと。
お父さんが仕事の最中、大怪我を負った。
知らせを聞いて私がその場に駆けつけた時には、もうお父さんは虫の息だった。
浅い息を繰り返すお父さんを見て私の頭に、前世両親が亡くなった時のことがフラッシュバックした。
嫌だ、と強く思った。
もう、誰もいなくなって欲しくない。
死なないで。
お願い、死なないで。
喉が張り裂けるほどに叫んだその時。
お父さんの身体が白い光に包まれた。
それと同時に、私は全身の力が抜けるような感覚に襲われそのまま気を失った。
次に目を覚ました時。
心配そうに私を見守るお父さんの顔があった。
意味がわからなくて、でも嬉しくて思わず抱きついた私をお父さんは抱き締め返してくれた。
しばらくして、少し落ち着きを取り戻した私にお父さんとお母さんはあの時のことを教えてくれた。
お父さんが光に包まれたあの後、なんと信じられないことにお父さんの体にあったはずの怪我はすっかり無くなっていたらしい。お父さんは気を失ってはいるものの、先程までよりもずっと顔色は良く、とても大怪我を負った人には見えない。その上、ただでさえなにがなんだかわからない状況ですぐ側に私が倒れていて、お母さんはとても驚いたと言っていた。
おどけながらも震える声で話すお母さんを見て、たまらなくなって私はお母さんとお父さんをきつく抱きしめた。
それからだ、私が不思議な力を使えるようになったのは。
祈るだけで、自分の傷も人の怪我も治すことができるこの力は私たち家族の間だけでずっと秘密にしてきた。
はずだった。
季節は巡り、私が十七の歳。
村に城からの遣いが来た。
その人達は我が家に来ると言った。
「どうか、我が国に力をお貸しください」と。
秘密にしてきたつもりだったが、どこからか漏れていたらしくその人達は私の力のことを知っていた。
そして、私に聖女になって欲しいと頼んだ。
曰く、今この国は戦争を始めようとしていて勝つためには私の力が必要だと。
私の力は怪我を治すことが出来る。
この力で救える命があるのだと言うのなら、救いたかった。
戦争が始まれば、必ず怪我人が出て、いずれは死者だって出るかもしれない。その時、その人達には悲しむ家族がいるはずだ。
前世のことを思い出す。
もう薄れつつある記憶の中でも鮮明に覚えているのはやはり、両親が亡くなった時の虚しさだ。
寂しくて、悲しくて、あんな想いを他の人に味わって欲しくなかった。
だから私は了承した。
聖女として国の力になることを。
国に協力することを。
それからしてまもなく戦争が始まり、私は約束通り密かに戦争で出た負傷者を治した。
私が常人が持ちえない力を持っているということは厳重に管理されていた為、私自身は一度も怪我を負わなかった。
治癒はなかなか精神的にくることも多かった。だけど、私が手を休めたら誰かが死ぬ。
だから私は能力を使い続けた。
そんな生活が五年ほど続いた。その間、ずっと私の精神は磨り減っていた。
だけど、唯一私の希望は戦争が終わりに近づいている事だった。長い長い戦争ももうすぐ終わりを迎える。
そう思って無けなしの気力を振り絞り、怪我を治し続けた。
これが終わったら村に戻ってまた家族で穏やかに暮らそう
そう、思っていた。
それなのに。
「この人殺しっ!!!化け物が!お前のせいで!お前のせいで俺の家族は、友は死んだんだ!!!死ねっ!お前なんて、死んでしまえ!!!」
慟哭にも近い叫びだった。
男は今にも噛みつきそうな勢いで私を睨みつける。
その手に持つのは刃渡り数センチの小刀だ。
明らかな殺意を持つその男に私の足はすくんだ。
何を言われているのかわからなくて震える私に男はもう一度「人殺し」と低く唸るように零した。
その後、男はすぐに捕らえられた。
男はこの城の騎士だった。
後から聞いた話では、男の出身は敵国らしく、この戦争で二人の兄と妹、そして親友を亡くしていたという。
そして、出身を隠しこの国に忍び込んだ時、私の存在を知ったらしい。
それからは騎士として働きながらもずっと私に復讐する機会を伺っていたというのがこの話の顛末だった。
信じられなかった。
誰かにあれほど憎悪の感情を向けられたということが。
知らなかった。
戦争があんなにも悲劇を生むものだなんて。
分かっていたはずだったのに、何も分かっていなかった。
確かに私はこの国では聖女なのかも知れない。
でも、敵国に行けば私は多くの人の命を奪う要因となった憎い仇だ。
そこまで来て私はようやく自分のした事の重みに気づいた。
少しでも悲しむ人がいなくなればと願ってした事だった。
力になりたくてした事だった。
でも、私がそう思ってした事は同時に多くの人の命を奪っていたのだ。
あろうことか私自身が、その悲しみの原因になっていた。
そして私の心を壊す決定打となったのが村に帰れないという事実だった。
戦争が終われば必ず自由の身にしてやると言っていたのに、国王は約束を違えた。
城からもまともに出ることは許されず、両親が病気で亡くなると言う時も城から出してもらえず、とうとう私の心は壊れた。
それからのことはよく覚えていない。
死ぬことも許されず、私のせいでなくなってしまった人に祈りを捧げながら、日々を死んだように過ごした。
それからまた月日は流れる。
終戦から七年ほど経った頃だったか。
私の元に珍しく一人の客人が訪れた。
客人である見知らぬ男は虚ろな目の私に「私と一緒に生きませんか?」と問いかけた。
男は若くしてこの国の幹部だった。
幹部という言葉に反応した私に男は「大丈夫。私は何があってもあなたの味方です」と優しく笑いかける。
男はそれから毎日私のところに通うようになった。
くる日も来る日も、ろくに返事もしない私にどうでも良い話をし続けた。
その時間が何故だか少し心地よくなってきて、会話をするようになってきて、お互いの名を呼ぶようになった頃、男は私にこの城から出たいかと問いかけた。
私がそれにYesと言うと男はこれからどうすれば良いのか教えてくれた。
男の話では、この国には聖女しか使うことの出来ない魔法のようなものがあるらしい。
それが自分の能力を代償に、ものに自分の記憶を閉じ込めることの出来る能力だ。国は聖女の力が消えてしまわないようにその力の存在を隠匿しているという。
私のような人間を二度も生まないように。
常人が持たない力のせいで世界のバランスを崩してしまわないように、私はその案に賛同した。
そうして秘密裏に作戦は進められ、無事私は記憶を本に閉じ込め能力を失った。その間、様々なことがあったが悔いはなかった。
その後、私が能力を失ったことを国王に話すと国王は事実を確かめた後私を殺そうとした。
そんな私を助けてくれたのもあの男だ。
男は幹部を退く代わりに領地で私と結婚し、共に暮らすと国王を説得し続けた。
こちらがひやひやする程に強引に話を押し進める男だったが、話し合いは何とか男の要望が受け入れられる形で幕を閉じた。
私は今、領地で暮らしている。
罪悪感のせいで未だに上手く生きられないけれど、男が私の隣にいるから私は生きてゆける。
どうか、どうかもうこれ以上私のような聖女が生まれませんように。
国が、世界が少しでも変わりますように。
私にはもう願うことしか出来ない。
ああ、いつか現れてしまう聖女よ。
私は貴女が幸せに生きられることを願っています。
どうか、どうか。
リリッサ・ローズの手記より抜粋




