15 花咲き娘、分からなくなる
「へ?」
突然の義弟からのお叱りの声に驚きを隠せない私は間抜けな声を出して固まった。
·····え、何?遅れた反抗期?私、そんなキレられるようなとんでもない発言したっけ?
「·····すみません。少し感情的になってしまいました」
未だに戸惑っている私を置き去りに、ユーリイは椅子に座り直す。
「えっと、ごめんなさい。私何か気に障るようなこと、言ったかしら?」
いきなり怒られた理由が気になる私がユーリイに問いかけると彼は目を泳がせた。
「·····その、姉上は僕のことを信用していないじゃないですか」
態度とは裏腹なグサリと心に刺さる言葉に私の身体は強ばる。
何か話さなければ、と考えるものの上手い言葉が浮かばない。
「姉上はいつだって一人で、誰にも何も言わずに行ってしまわれる。それを改めて痛感して·····、つい声を荒らげてしまいました。申し訳ありません」
断罪直後の会話が思い出される彼の言葉に何も言えずに自分の服をにぎりしめる。
「正直、今もあの時のこと後悔しているんです。姉上が屋敷を出ていかれてしまう直前のことを。
·····貴女が去っていく背中にもっと大きな声で呼びかければよかった。貴女の腕を掴んで引き寄せればよかった。物分りの良いふりなんてしなきゃ良かった。そうすれば、貴女は僕の前から居なくならなかったのに、って」
「ユーリイ·····」
やっと私の口から零れた声は、思っていた以上に掠れて聞き取りにくいものだった。
「屋敷に帰って、初めて貴女が絶縁されたことを聞きました。目の前が、真っ暗になりました」
話しているうちに段々と声が低く、固いものに変わってゆく。
そんなユーリイから紡がれる言葉は真っ直ぐに私を貫いた。
痛い。
「僕のせいで、僕が断罪をとめられなかったせいで貴女がいなくなってしまったんだと思ってこの数ヶ月貴女の行方をひたすらに探しました」
探した·····?
私はその言葉に思わず、俯きがちになっていた頭をあげた。
じゃあ、まさかあんなに疲れていたのは私を探していたから·····?
その考えが頭に浮かんできた瞬間、心に鉛が乗っかったような感覚にとらわれた。
それと共に張り裂けてしまいそうな、何かに食い破られてしまいそうな胸の痛みが襲う。
·····私はこの感覚を知っている。
これは、罪悪感だ。
今すぐ叫び出してしまいたかった。
私の事なんて忘れていいのに、と。
それでも同時に心の冷静なところが『どうせそんなこと思ってないくせに』と私を嘲笑う。
本当にそう思ってたら偽名だろうと手紙なんか出さない。
そんなこと思っているのなら、最後の別れ際あんなことを言ったりしない。
私の心はいつだって汚く、醜い。
「今更、無理やりあの場所に戻ってこいなんて言いません。でも、一目でもいいから貴女の無事を確認したかった。
僕が今日ここに来た目的はそれだけです。ですから学園のこととは無関係です。僕個人で、姉上に会いに来ました」
何も言わない私をユーリイが見つめる。
綺麗な瞳だった。濁った所なんてひとつも無い。綺麗な透き通った瞳。
「·····ユーリイ。私、は」
「アリーサちゃん、いる?」
私の口から情けなく震える声が出たと同時に、部屋の扉が開いた。
「え」
「え」
「え」
三人三様に顔を見合わせて固まる。
私はヤバい、と顔を青くさせ、ユーリイは突然部屋に入ってきた男のことを訝しげに見ている。
そしてたった今、年頃の乙女の部屋に許可もなく入ってきた男―――アルトさんは、僅かに驚いた顔をして固まったその数秒後。いつも通り、何を考えているのか分からない笑みを浮かべて言った。
「俺、邪魔かな?」
·····この場合、どうすれば良いのか。
アルトさんのにこやかなお顔に若干、圧倒されているユーリイをちらりと盗み見ながら考える。
「えっと、別に邪魔では無いですけど何か御用ですか?」
今まで無断で部屋に入ってきた事などないアルトさんを不思議に思って取り敢えず最初に問いかける。
「いや、用って言うかミャーシャさんからアリーサちゃんが買い物に行ったっきりなかなか帰ってこなくて心配だって言うから、アリーサちゃんを探しに行こうと思って。だけど、外に出たら裏口開いてたし、人の気配がしたから一応部屋に確認しに来たんだ」
それはアルトさんにもミャーシャさんにも悪いことをしてしまった。
私は素直に謝る。
「それはお手数お掛け致しました」
「いや、それはいいんだけど、そちらの方は?」
にこり、と外面用の笑顔をうかべたアルトさんにユーリイが軽く頭を下げた。
「これは失礼いたしました。私は」
「む、昔の知り合いです」
律儀に挨拶をしようとするユーリイの言葉を遮った私は慌てて当たり障りのない答えを返す。嘘は言っていない。
「街でたまたますれ違って、それで、少しお茶をしようって」
「別にアリーサちゃんの部屋じゃなくても良くない?」
「でも外寒いですし」
「店の中も暖かいよ」
「そ、それもそうですけど」
何故かやたら突っかかってくるアルトさんに苦戦していると、ユーリイが小声で「この方は?」と聞いてきた。
「この人はこの国の騎士でちょっとした知り合い。私この下にある食堂で働いてるんだけど、その店の旦那さんの部下なの」
「え、あね、貴女はここで働いてるんですか?!」
ユーリイが驚いたように私を見る。
何とか空気を察してくれたようで、姉上と言いかけて訂正したのはとても有難い。有難いのだけれども、その「お前、料理なんてできたのかよ」みたいな視線やめて欲しい。これでも店の戦力になれるくらいにはできる。
そして、自分で紹介しておいてなんだけど、アルトさんって知り合いって分類でいいのだろうか。
改めて私とアルトさんの微妙な関係を考えてみると、本当に私達は不思議な関係だと思う。
友達では無いだろうし、たんなる顔見知りとは言えない関係性だ。
「あね、アリーサ、さん?」
つい、二人そっちのけで黙り込んでしまった私の名をユーリイがぎこちなく呼んだ。
「ああ、えっと、そう。今はこの食堂で働かせてもらってる。とてもいい所よ」
「·····そう、ですか」
少し黙り込んだユーリイはしかし、すぐにふわりと微笑んだ。
「それは、今日一番の朗報です。良かったですね」
その心から喜んでくれていると伝わる微笑みに私の胸はまた、ちくりと痛みを訴える。
「あまり長居するのも良くないでしょうからそろそろお暇させていただきますね。紅茶、美味しかったです」
それでも尚、気の利いた一言すら言えない私にユーリイは軽くお辞儀をして荷物を纏める。
「あの·····」
何か声をかけねばと謎の焦りを抱えながら彼を見ていると、ユーリイが私に声をかけてきた。振り向きざまに銀色の髪がふわりと舞う。
「また、来ても良いですか。邪魔はしません、余計なこともしません。·····だから、また会いに来てもいいですか」
その声は固く、表情も強ばっている。
そんな彼の不安の浮かぶ瞳を見ながら、私は無意識のうちに頷いていた。
「今度は、私の作ったご飯でも食べていきなさい」
ユーリイに微笑みかければ、彼は少し頬を紅潮させた。
「はい、ありがとうございます」
行きと同じように裏口から出ていったユーリイの背中を見送りながら思う。
あの時、もしもアルトさんが私の部屋に入ってきていなかったら、私は何を言うつもりだったのだろう、と。
その答えは、自分自身にさえ分からない。




