12 花咲き娘、困惑する
熱を出して倒れてから二日目。
ようやく熱が下がってきた私は、まだ休んでた方が良いというミャーシャさんの反対を押し切って店に出ていた。
ミャーシャさんもミストさんも心配してくれているけど、身体のだるさはもうないし、視界もはっきりしている。もう大丈夫だろう。
「アリーサちゃん、熱大丈夫だったのか?」
私が店で接客をしていると、常連さんのひとりに話しかけられた。
「はい、お陰様で。ミャーシャさんとミストさんに手厚く看病してもらったので、快調です!」
ニコリと笑ってみせると心配そうにこちらを見ていた常連さんは笑顔になる。
「そりゃー、良かった!·····あ、でもさっき、ミャーシャからアリーサちゃんの彼氏が看病したって聞いたんだけど、アリーサちゃんには彼氏なんて居ないよな?なっ?!」
「·····は?」
常連さんからの突然の爆弾発言に私はひくりと頬を引き攣らせた。
「彼氏なんて生まれてこのかた居た事ありませんよ。ミャーシャさん何を言ってるんですかね〜」
取り敢えず、そこだけはきちんと否定する。
すると、常連さんは私の言葉に顔を明るくした。
「だよな〜!やっぱり、ミャーシャに騙されたのか!アリーサちゃんにはまだ彼氏は早いよ!うん!」
常連さんは疑問が解決して満足なのかもしれないけど、私は全く解決していない。
ミャーシャさんってば、なんというデマを流してくれてるんだ。
私は1人で納得している常連さんに別れを告げて、急ぎ足でミャーシャさんの元へと向かった。
「ちょっと!ミャーシャさん!!」
「あら。どうしたんだい、そんなに怒った顔して」
私の呼び掛けにミャーシャさんはニコニコと返事をする。
「どうしたも何も無いですよ!!ミャーシャさんお客さんに私の変な情報流さないでください!」
私が抗議してもミャーシャさんは「変な噂?」と首を傾げた。
「私に彼氏がいるとか、その彼氏が私のお見舞いに来たとか!なんですかあの根も葉もない噂は!!」
キョトンとした顔のミャーシャさんに猛抗議を続けると、数秒後思い出したかのように「あ〜!」と声を上げた。
「勝手にお客さんに話しちゃったのは謝るよ。でも私、嬉しくて、それでつい話しちゃったんだよ。ごめんよ」
「ん?ど、どういうことですか?」
「え?だからアリーサの彼氏の話だろう?」
「·····えっと、私に彼氏はいません、よね?」
自分のことを他人に聞くという謎の状況で、ミャーシャさんは「何を照れてるんだい?」と笑った。
「アリーサにはアルトっていう立派な彼氏がいるだろう?」
やっぱりと言うかなんというのか、私達の関係を勘違いしているミャーシャさんの言葉を訂正しようと口を開く。
「いや、だからそれは誤解で·····」
「良い彼氏じゃないか。つきっきりで看病してくれるなんて」
「へ?」
が、開いた口から零れ落ちたのは否定の言葉ではなく、間抜けな一音だった。
·····誰が、誰に、何をしたって?
私の様子にミャーシャさんは、目を大きくして驚いた。
「あ、あんた。まさか覚えてないのかい?!」
私はゆるゆると頷く。
その看病をしてくれた誰かさんには悪いが、まっったく、記憶が無い。
「アリーサが風邪で寝込んでる時にアルトが店にやってきたんだよ。それで、ちょっと顔を出してくれないかって言ったらあの子、日が沈んでもアリーサの部屋にいたんだ。私が呼ぶまでずっと二階から降りてこなかったんだからね!」
鼻息荒く話すミャーシャさんを私は信じられないものを見るような目で見てしまう。
·····あれ、アルトってあのアルトだよね?騎士のくせに腹黒で意地悪で悪魔みたいなあの男のことだよね?同じ名前の別人じゃないよね?
ミャーシャさんにもう一度確認しようとすると、肩に手が置かれた。
「酷いなぁ。俺のこと覚えてないなんて」
甘く掠れるこの声は·····。
振り向くと、そこに立っていたのは満面の笑みを浮かべる悪魔だった。
この時誰かに、腎臓を売ってくれたら助けてあげる、と言われたら私は喜んで腎臓を差し出していたと思う。
要するに、物凄く怖かったってことだ。
「ひっ、で、でた·····!!」
反射的に裏返った声を出しながら身構えると、アルトさんはクスリと笑った。
「恩人に対して随分なご挨拶じゃない?」
「恩人·····?」
私が首を傾げると、ミャーシャさんは勢いよく頷く。
「確かにアリーサはアルトに看病してもらってから、段々と熱が下がっていったんだよ。アリーサ、改めてお礼を言っておきなね!じゃあ、邪魔者は退散するとして、あとはお二人で好きにしな!店のことは気にしなくていいから!」
それだけ言うと、ミャーシャさんは否定する隙も与えずに私たちの前から居なくなってしまった。
·····カムバック、ミャーシャさん。
そして誤解をとかせて。
微妙に気まずい雰囲気の中、私は恐る恐るアルトさんを見る。
目が合った。
「·····看病してくれたって本当なんですか?」
「まあ、あの時のアリーサちゃんは意識が朦朧としてたから覚えてなくても仕方ないかもしれないけど、見舞いには行ったね」
「えっと、日が暮れても部屋にいたって言うのは流石に嘘ですよね?」
「事実だね」
ほわぁ?
予想外の答えに私の口はポカーンと開いてしまう。
「な、なんの目的で?!」
「残念ながら今回はなんの目的もないんだ」
「う、嘘!」
「本当だよ。だいたい、俺の服を掴んで離さなかったのはアリーサちゃんだよ?」
「嘘だ!!」
「本当だってば。俺に平気で服の着替えを手伝わそうとするし、大変だった」
ニコリと笑みを浮かべるアルトさんに血の気が引いていく。
「う、嘘ですよね·····?」
「さっきから全部本当のことしか言ってないよ」
「お、面白がってるだけですよね?」
流石にいくら熱が出てたからってそんなことをするほど馬鹿じゃない、と信じたい·····。
しかし、目の前にたつアルトさんはそれ以上は何も言わない。
え·····、まさか私本当にアルトさんにそんなことしたの?
自信がなくなってきた私は必死に記憶を探る。
あの日は確か·····、朝からずっと怠くて、食欲もなくて·····、なんだか無性に寂しくて·····。
·····あれ?そういえば、あの時誰かが私の手を握ってくれていたような。
そっとアルトさんの方を覗き見てみると、面白そうにこちらを観察しているアルトさんと目が合った。
ま、まさか、·····え?
「ほ、本当のことなんですか?本当にアルトさん、私のこと看病して下さったんですか?」
半信半疑で問いかけると、アルトさんは「さっきからそう言ってるじゃないか」と答えた。
その姿に嘘をついて面白がっている様子はない。
·····ま、まじで?
「ずっと横で看病してたのに、忘れるなんて酷いなぁ」
そう言うとアルトさんはじりじりと距離を詰めてくる。
思わず後ずさるものの、すぐに逃げ場がなくなってしまう。
「ねえ、アリーサちゃん?俺にご褒美を頂戴?」
壁まで追い詰められた私の髪を一房、手に取ったアルトさんはまるで見せつけるようにそれにキスをした。
「な、な·····」
耐性がないせいで固まる私を見てアルトさんは艶やかに笑う。
切れ長の綺麗な瞳が私を射抜いた。
今まで見たことの無い彼の表情に目を丸くしていると、アルトさんは突然、私から距離をとった。
「なーんちゃって。冗談、冗談。ご褒美はいらないから俺にもご飯作ってくれない?お腹すいちゃって」
「·····え、あ、はい」
アルトさんの言葉でどこか緊張するような、落ち着かなくなるような雰囲気が一気に霧散した。
雰囲気が変わったのを感じ取りながら、私は金縛りにあっていたかのように動かしづらい身体に力を入れて何とか頷いた。
一体、今のはなんだったんだ。
いつもの揶揄いにしては雰囲気の違ったアルトさんに戸惑う。
あれ?というか·····。
「もしかしてさっき言ってたアルトさんの服を離さなかったとか着替え云々も冗談ですか·····?」
頭に浮かんだ疑問をそのまま言葉にするとアルトさんはいつも通りの何を考えているのか分からない笑みを浮かべた。
「さあ、どうだろうね」
「え、ど、どっちなんですか?!やっぱり嘘なんですか?!」
詰め寄る私にアルトさんは「本当にアリーサちゃんは揶揄いがいがある」と鬼畜すぎることを仰る。
え、本当にどっちなの?!!
私の疑問はアルトさんにご飯を提供しても、しつこい程に質問をしても解消されず、結局しばらくの間、私はモヤモヤしながらアルトさんと接することになるのだった。




