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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

軍神と雪華

作者: 朔間 はる子


 わたしの村が焼かれたのは、空気が凍るように寒い、冬の日のことだった。


 深く眠っていたわたしを起こしたのはただ事ならぬ表情をした両親で、眠気まなこをこすりまだぼんやりとしていたわたしを床下に押し込むと、何があっても声を出さないよう、自分たちが戻ってくるまで絶対にここを出ぬよう強く言い聞かせた。

 何が起こっているのか、全くわからなかった。ただ尋常ではないふたりの圧に口をつぐみ、こくりとひとつ頷いた。


 わたしはずっと、きつく耳をふさいでいた。それでも閉ざしきれなかった音が、望んでもいないのに、わたしの置かれている現状を罰のように教え続けた。何かが燃える音、下婢た笑い声、蹄の音、鋼の交わされる音、そして誰かの悲鳴――。


 村は野盗に襲われていた。

 ただでさえ貧しい村だった。そこに隣国との戦争が起こり、男手も武器も食料も、なにもかも足りていなかった。そんな村にどんな抵抗ができただろう。抗うすべもなく蹂躙され、家族のように見知った人々が殺されていくのを肌で感じていた。

 ぼろぼろと涙があふれ、漏れそうになる嗚咽を血が出るほどに唇を噛んで殺した。両親との約束だけがわたしに残された全てだった。彼らが帰ってくるまで、わたしはここで待つんだ。絶対に、待つんだ。




 気づいたら、あたりは静かになっていた。かわりに、ぎぃ、と床が軋む音がして、わたしは身体を強張らせる。心臓が痛いほど早鐘を打っていた。足音は自分の真上で止まる。大丈夫だと自分に言い聞かせる。大丈夫、これはお母さんかお父さんだ。そうに決まっている。ふるえる身体を抱きしめて、わたしは暗闇の中で目を凝らす。そして頭の上から光がさして、


「――――ッ!」


 わたしは声にならない悲鳴を上げた。

 いやだ、こないで。そんなことを夢中で叫んだと思う。けれど棒きれのようにやせ細った小娘が、大人の男の力に叶うはずもない。にやにやと不快な笑みを唇にたたえたその男はわたしを床下から引きずり出すと、そのまま床に組み敷いた。


「なんだ、ガキかよ。俺はもっと豊満な女が好みなんだけどよお……器量は悪くねえし、なにより初物だろうしなァ。オマエで我慢してやるよ」


 男の顔にはべっとりと血がついていた。男自身のものではない返り血だった。その血が誰のものかなんて考えたくもなかった。

 無遠慮な手が寝間着の裾から入ってきて、わたしはわけがわからなくなった。

 大声をあげながらめちゃくちゃに抵抗する。意図したわけではなかったが、暴れた右手が男の頬を打った瞬間、はっと我に返った。大した痛みはなかっただろう。しかし男の表情がみるみる怒りに染まっていく。

がん、という衝撃とともに視界がぶれた。殴られたのだ。つう、とこめかみから、何かが滴る感触がした。


「へへ、抵抗するとこうなるんだよ」


 ぐわんぐわんと頭が揺れていた。うまく身体が動かせない。ぐったりとしたわたしを見て、男は満足気に拘束を緩めた。このまま死んでしまうのだろうかと、再び侵入してきた男の手を払う気力もなく思考した。

嫌だ、と思った。わたしはお父さんとお母さんをここで待つんだ。


 だって、約束、したから。


 渾身の力で膝を蹴り上げると、すっかり油断していた男は低い声をあげてもんどり打った。どこに当たったのかなんてわからないし知りたくもない。わたしは四つん這いで男の元から逃げ出そうとするが、先程殴られたせいかうまく立ち上がれない。ぐらぐらと世界が揺れる。生まれたばかりの子馬のような足の運びで、それでもなんとか扉を目指す。


 あと四歩、三歩、あと二歩、もう少し――。

 その足首を男が掴んだ。急に引き止められた身体は勢いを殺せずびたんと床に叩きつけられる。


「もう許さねェ……」


 怒りを通り越して憎悪を宿す双眸が、ぎらぎらとわたしを睨んでいた。


「オマエを犯すのは殺してからにしてやるよ」


 男は腰に下げていた刃を手にとった。充分に人を切った後なのだろう、血と脂で汚れたその派は鈍い光をたたえていた。

 男が腕を振りかぶる。咄嗟にぎゅっと目をつむったそのとき。


 けたたましい音をたてて、扉が破られた。


 唐突に背後から差し込んだ月の光に振り返ると、見上げるほどに大柄な男がそこに立っていた。こんなときに抱くべき感想ではないかもしれないけれど、それは驚くほどに綺麗な男だった。

 闇夜に溶ける濡羽色の髪は無造作に長く、澄んだ瞳は深い深い瑠璃色の宝石のよう。精悍なのにどこか中性的な容貌の彼は、わたしとわたしに刃を向ける男、それぞれを視界に収めるときつく眉根を寄せた。


 ああ、もう本当に逃げ場がない。そう思うと急に意識が遠のき始めた。気づけば頬が生ぬるいぬくもりに浸っていた。そういえば殴られた際出血していた気がする。最近満足な食事もできていなかったせいもあるのだろう、急速に体温が失われていくのがわかった。

 まぶたが重い。まどろみに似た感覚がわたしを襲う。


 ごめんなさい、と小さく呟いた。お母さん、お父さん、ごめんなさい。

 いよいよ閉じた視界には何も映らなかったけれど、最後に聞こえたのは、なぜか、わたしを組み敷いたあの男の悲鳴だったように思う。



*****



 あたたかく優しいスープの香りでわたしは目を覚ました。

 最初に目に入ったのは、よく知った楓材の天井だ。身体を起こそうとすると、全身がひどい痛みを訴えて思わず小さく呻いてしまった。


「まだ起きるな。お前は頭を強く打っている。安静にしていろ」


 枕元にいたのは、濡羽色の髪の男だった。この綺麗な男の人を、わたしはどこかで見た覚えがある――そこまで考えて、一気に記憶が呼び起こされた。

 咄嗟にぼろ布のような毛布を掻き抱き、ベッドの隅に身体を寄せて男から距離を取る。身体がふるえを思い出していた。恐怖のあまり薄っすらと涙が浮かぶ。知らず呼吸が荒くなっていた。

 そんなわたしを見て、男はひとつため息を付いた。


「賊はみな始末した。俺はお前を害さない。安心していい」


 彼の言葉の意味を、わたしはゆっくりと咀嚼した。

 つまりこの人は、わたしを、助けてくれたのだろうか。


 肩のちからが抜けていく。止めていた息を細く吐き出した。

 しかしそれならば、自分以外は? お父さんは。お母さんは。村のみんなはどうなったのか。無事なのだろうか。男性に詰め寄ろうとしたわたしの視界の隅に映ったのは、昨日まではなかった、床に染み込んだ血の跡だった。


「おい待て!」


 制止の言葉を振り切って、わたしは外に飛び出した。


 貧しい、けれどみんなで支え合って生きてきたわたしの村には、今日も雪が降っていた。いつもと変わらない風景のはずなのに、そこにいるのは見たこともない、鎧をまとった兵士たちだ。

 厚い雲に覆われた空からは太陽が射すこともない。凍えるようにただただ寒い中で、兵士たちは必至に雪の下の地面を掘っている。

 なんのために?


 裸足のまま、わたしはふらふらと彼らに近寄っていく。不思議と冷たさは感じなかった。

 兵士たちの近くには、布切れに包まれた数十の何かが並んでいた。それはわたしの身体よりずっと大きなものもあれば、同じくらいのものや、両腕で抱いてしまえそうなほど小さいものまで、大小様々だった。

 頭の何処かでは理解しているはずなのに、理性がそれを拒んでいた。


「こ、こら、こちらへ来るな」


 わたしに気づいた兵士の一人が、通せんぼするように立ちふさがるけれど、わたしの歩みは止まらない。よたよたと、頼りない足取りでその骸のひとつの傍へ歩み寄り、膝をつく。嫌な匂いがした。

 すっぽりとそれが”誰であったか”を隠す布へ手をかけるわたしの腕を、誰かが掴んだ。


「やめろ。死者のために、見てやるべきじゃない」


 黒髪の男の人は、そう静かに囁いた。

 ししゃ。死者。死んだ者。


「何を確かめたいのかは知らないが、この村はすべて見て回った。生きていたのは――お前だけだ」


 何を、言っているんだろう。

 わたしは両親と約束したのだ。彼らは必ずわたしのもとに帰ってくるのだ。そういう約束をしたのだから。


 お父さんお母さん、そうだと言って。


 涙が頬を伝う。最初ほろほろと流れていただけのそれは、次第に勢いをまして、わたしはこらえきれない嗚咽を感じ始める。

 しかし、抑えようとしているわけでもないのに声がでない。わんわんとみっともなく泣き叫んでしまいたいのに、漏れるのは細い呼気だけ。


「……? っ、っ……っ……!」


 落涙したまま、わたしは必至に言葉を紡ごうと試みる。どうして。なぜ。

 答えが書いてあるはずもないのに男の顔を見上げれば、彼は痛ましいような顔をして。


「もしかしてお前、声が出ないのか?」


 絞り出すようにそう言われて初めて、わたしは自分の身に起きた異変を知った。


 必至に発声しようとしているはずなのに、まるで何かが詰まったみたいに一向に音は鳴らない。喉を抑えてみる。違和感はない。その感触に以前と違うところなどない。それなのに声だけが、出ない。


 どうして。なぜ。

 父と母の名を呼ぶことも、死を悼むことも、慟哭することさえわたしには許されないというの。


「――――!」


 わたしは声にならない声で絶叫し、膝から崩れ落ちた。

 その肩を抱いてくれた男の人の無骨なてのひらは、生まれて初めてそうするみたいにたどたどしくて、少しだけ、本当に少しだけ慰められた気がして、わたしは彼に体重を預けて泣き続けた。



*****



「私の名はリュカ。王国騎士副団長を努めている」


 黒髪の彼の自己紹介は端的だったが、わたしはその内容よりも、久方ぶりにありつくまともな食事に意識を奪われていた。干し肉と野菜の欠片を煮込んだ温かいスープ。平時なら決して贅沢なわけでもないそれは、空腹も麻痺するほどだったわたしにとって何ものにも代えがたいご馳走だった。


 泣くだけ泣いたわたしはふたたびベッドに戻されて、こうして温かい食事を振る舞われている。何か食べろと言われたときには、食欲など湧くはずもないと思ったのに、いざスープのにおいがはな先をくすぐるともう我慢ができなかった。


 あっという間に二杯目の皿を空にすると、ようやくわたしにも余裕ができて、リュカというらしい男性の話について考え始める。

 王国。この国。それを守護する王国騎士様が、どうしてこんな辺境の村に来たんだろう。


「この村に近い国境付近を警備していた。通り過ぎるだけのはずだったのが昨晩だ。後の顛末は言わずともわかるだろう」


 心を見透かしたような説明に、わたしは頷きを返す。

 通りがかったときにはこの村は襲われていて、生存者はわたしだけだった。そういうことだ。


「全員を埋葬したら村を出る。……セリエ、あとは頼む」


 リュカは背後に控えていた女性にそう告げて、返事も待たずに部屋を出る。


「はいはい、ほんっと愛想がないんだから、うちのリュカさまは」


 20歳前後の齢に見えるその女性は、雪に落ちる影によく似た白銅色の髪を苛立たしげに肩へやると、わたしのベッドへと腰掛けた。急に近くなった距離に思わず身を引くと、彼女はくつと笑った。


「小動物みたいね。大丈夫、あたしは医師よ。あなたのその額の包帯もあたしが巻いたの。警戒しなくていいわ。頭、ずいぶん強く殴られたみたいね、痕にならないといいんだけど」


 可哀想に、とセリエさんはわたしの頭を撫でる。


「名前は……って、声がでないのよね。字は書ける?」


 わたしは首を横に振った。


「なにかわかるものがあればいいんだけど……。方法は後で考えるとして、とりあえず、包帯を変えましょうか」


 そう言って微笑むセリエさんはとても優しくて、わたしは素直に頷くのだった。



*****



 すべての村人の埋葬が終わり、荒れた民家をある程度補強し終わったのはそれから二日後のことだった。

 住む者のいなくなった家々をなぜ直すのかと兵から疑問の声も上がったが、これからここでひとり生きていくであろう少女のことをちらとでも漏らせば閉口した。荒廃した村にひとり残していくのだ、忍びないと誰もが思った。


 リュカ自身、少女の今後に思いを馳せた際に抱いた感情は憐憫で、まだ他人をそんな風に思える自分自身に幾ばくか驚いた。感情など戦場の中に置いてきたと思っていた。


 この村にたどり着いたとき、それはひどい有様だった。煙と血のにおいに人々の怒号と悲鳴が入り混じり、雪は赤黒く染まっていた。

 戦とは違う、武装した人間が民間人を襲う一方的な暴力。それはあまりに見るに耐え難い惨状だった。

手当たり次第に野盗は切り伏せたが、救えた命は少女ただひとりだけだ。それも、命は救えたが声を失ってしまった。


 リュカが見つけた少女が今にも陵辱されるところだったのは、乱れた寝間着が物語っていた。暴行されたのだろう、額から血を流し、縋るようにこちらを仰いでいた。その向こうに、少女へ剣を振り下ろそうとしたまま固まる下衆を視認したときには、頭がおかしくなるかと思った。

 少女が意識を失っていたのは不幸中の幸いと言えるだろう。残虐なほどの血しぶきを見ずにすんだのだから。


 哀れな少女だ。痩せすぎて確かな年齢はわからないが、まだ10やそこらだろうに、両親や身近な人間を一度になくしてしまったばかりか、声すらも奪われた。彼女が一体何をしたというのだろう。


「セリエ、あの少女は」

「それが朝から姿が見えないのよ。朝食、せっかく作ったのに」


 セリエは心配そうにあたりを見回している。鼻の頭が真っ赤だから、ずいぶん長いこと少女を探し回っていたようだ。


「副団長殿! 出立の準備、整いました!」

「……そうか」

「ねえ、本当にあの子置いていくの?」


 村の入口に一同は集結していた。

 珍しく、雪は止んでいた。高く登った太陽を見上げ、リュカは目を細める。


「何度も話した通りだ」

「王都に戻って孤児院に連絡をするっていうだけでしょう。王都からここまで早馬を走らせても片道20日はかかるわ。幾らか食料は置いていくとはいえ、話すこともできないのに、それまで無事でいられるかどうか……」


 二日間、少女の世話をしていたうちにずいぶん情が湧いたようだ。セリエがもとから子供好きなこともあるのだろうが、リュカを非難するような視線は頂けない。

 馬に慣れない子供を連れて帰路の日程が遅くなってもいけない。自分には王命が絶対で、今回の任務に子供の保護は含まれていない。一刻も早く王都に帰り、新しい任務に着手しなければならないのだ。

 だから仕方がない。

 ……そう内心で呟くのは、いったい何度目だろう。


 リュカは軽く頭を振った。

 また、余計なことを考えている。


「出立する」


 兵が引いてきた黒い毛並みの愛馬を撫で、そう宣言したとき。

 軽い足音がリュカの耳に届いた。それはあっという間にリュカへ駆け寄ってくる。


「ちょっと、どこに行ってたの!」


 セリエが怒ったような、安堵したような声を上げるが、足音は止まらない。

 どん、とリュカの背中にぶつかったのは、勢い余った少女だった。


「……何だ」


 見下ろすと、少女は肩で大きく息をして、真っ白な息を何度も何度も吐き出していた。そして胸の前で大事そうにかよわせていた両の手のひらをゆっくりと開こうとする。かじかんでいるのだろう、その仕草はひどく緩慢だったけれど、リュカは何も言わずじっと少女を見守った。


 少女が握っていたのは、小さな薄紅色の花だった。

 こんな冬の日に咲く花をリュカは知らなかった。その花はひどく頼りなく、風が吹けばあっという間に吹き飛ばされてしまいそうなほどか弱かった。

 それでもきっと、この花はどこかに咲いていたのだ。寒気にも、雪の重みにも負けず、立派に花開いたのだ。


「私に?」


 一輪の花を載せた、真っ赤に染まった両の指先をこちらに向けて、少女は頷く。

 受け取ったそれは、ああやはり頼りなく、軽く、儚い。

 そして少女はにっこりと笑うと、深く深く頭を下げた。助けてくれた礼だとでも言いたげに。


 考えるより早く、身体が動いていた。

 リュカは少女を抱えあげると、受け取ったばかりの花を彼女の耳にそっとさした。驚いて身体を固くする少女を、そのまま鞍に乗せる。


「――ありがたく頂戴しよう」


 それが出会い。

 軍神と畏怖された青年と、後に彼の最愛となる少女の、邂逅だった。



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