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Episode37 赤竜と偽りの竜殺し


 誰しも忘れられない記憶がある。

 それが悪いものであれ、良いものであれ、結果的に苦くなった思い出であれ。


『これを託そう』

『お父様……。なんですか、これ?』


 渡された布を広げると黒い短剣が顔を出した。

 幼いイザベラはその黒い剣の柄を握り、まじまじ見つめた。綺麗な剣だった。


『これからアチカ魔法学院へ入学するのだ。お前は他の生徒と違って、ファルマイヤの誇りを背負っているのだからな。それはその象徴――学校では必ず頂点を目指すのだぞ』

『ふーん……』

『なんだその生返事は! しゃんとしろ!』

『は、はいっ』

『その剣は剣聖マルセルとの誓いだと思え』

『わかりました!』

『うむ。いい子だ』


 そうして剣聖マルセルは娘の頭を撫でた。

 イザベラはそのとき初めて父親の笑顔を見た。

 厳しく、剣術指南のときも鬼のようだったマルセルに少し近づけた気がした。


 『竜の鱗』は誓いというより親愛の印だ。

 それ以来、イザベラは『竜の鱗』を肌身離さず持ち歩くようになった。

 聞くに、『竜の鱗』は先祖が竜との戦いで持ち帰った戦利品を加工してつくったもの――すなわち、ファルマイヤの武勇そのものだという。



 アチカ魔法学院で竜の生態を学んだ。

 先祖が竜をどう倒したのかを知りたかった。

 皮膚が鉄のように堅い竜は、鱗や爪、牙はさらに鋼のように硬いそうだ。

 また、竜血にはあらゆる生物の代謝を促し、生理活性を高める機能があり、人間が一口飲めば傷や身体の欠損部位さえたちまち治す霊薬(エリクサー)になるのだとか……。


 そんな生物はどの系統樹にも属さず『古代幻想種』に分類された。

 この神秘的な生物は一体どこから来たのか。

 ――そしてどこへ消えてしまったのか。



 そう、竜はほぼ絶滅したとされる。

 要因は『同族殺し』という習性にあるらしい。

 竜は種族繁栄のために同種を殺し合う。

 この矛盾を抱えた竜は戦史文明の発展と共に滅ぶ宿命だったのかもしれない。

 いずれにせよ竜は『同族殺し』のために鱗や爪、牙の硬度が体表を上回る。


 すなわち、竜は"竜由来"の武器で倒せるのだ。





「ゴァアアアアアアァアア!!」

「……っ」


 イザベラは初めて対峙する"竜"という存在に、背筋が硬直して折れてしまいそうなほど緊迫していた。


 逃げずにいられるのは怒りのおかげだ。


 父親に裏切られた。

 ファルマイヤの武勇など偽りだった。

 学校では言いつけ通り、頂点に君臨したのに。

 子分が増え、築いたグループにファルマイヤを象徴する『竜鱗』の名を付けたというのに。


「これ以上……」

「グルルルル……」

「これ以上、ナメた真似すんなぁぁああ!」


 氷の大剣に魔力を込める。

 カトラス状に歪曲した剣はさらに鋭利な棘を刀身から生やして、イザベラの怒りを露わにした。

 それを構えて竜を迎え討つ。

 赤竜ダルケは翼を羽ばたかせ、浮かんだ。

 それだけで玄関ホール中の窓が風圧で割れた。

 ダルケは低空からきりもみ状に回転して一瞬でイザベラに肉迫した。


「はっ……」


 剣で牙を受けたら、きっと粉々に砕かれる。

 そう判断したイザベラは真横に飛び込んで、かろうじて回避した。


 ダルケは壁に追突して大きな風穴をあけた。

 とてつもない破壊力だ。

 ぱらぱらと瓦礫が零れ落ちる。

 ダルケの鎌首がくいっと怪物めいた角度で曲がり、イザベラを睨んだ。


 その眼は卑しく嗤っていた。

 獲物を甚振ることに快感を覚えた怪物の目だ。


「チッ……」


 向こうは翼というアドバンテージがある。

 平面的にしか動けない人間と違い、ダルケは自由自在に立法的な動きができる。とくに、この玄関ホールという天井までかなり高さがある構造では、そのアドバンテージを活かしやすい。

 イザベラは深く考えてなかったが、磨かれた戦闘センスでそう感じていた。

 そしてダルケを傷つける手段は――


「くっ……頼むよ、相棒……」


 太腿に忍ばせた『竜の鱗』だ。

 それに触れてから思い立ったように走った。

 向かう先は、ホールの大階段。


 竜に一矢報いてやる手段は『竜の鱗』だけだ。

 皮肉な状況だが、それに頼るしかない。

 だから憎々しくもこれは捨てられなかった。

 かつ、自力であの怪物を竜鱗で貫くほどの怪力も持ち合わせていない。


 となれば、ダルケの頭上から重心をかけ、『竜の鱗』を突き刺すしかなかった。



 ――ぎゅうう、と背後から何かが迫る気配。

 イザベラは戦慄して、それを視認する前から氷の大剣を背後に振るった。


「ぐっ……う!」


 がつんと激しい衝突音が館内に響いた。

 腕がひね曲がるほどの反動を感じ、遅れて視線を向けてようやく、ダルケの長い尻尾を間一髪で自分の大剣が弾いたのだと認識した。


 柄だけになった氷の大剣を投げ捨てた。


 爪や牙だけじゃない。尻尾も奴の武器だ。

 ダルケは尻尾攻撃などただの余興とでも言わんばかりに素早く体を起こすと、またしても突進してきた。

 イザベラはやっと階段の手すりに掴まった所。

 これから2階へ駆け上がろうというのに、その距離を一気に詰めてくる。


「ちくしょう!」


 急いで階段を駆け上がるが、ダルケはもう足元まで迫ってきていた。


変換(エザッツ)銀盤斜面(スプルティシェ)!」


 イザベラは階段を凍り付かせた。

 氷の滑り台のようになった階段は容易には登れない。


「ガァアア! 小賢しい。ファルマイヤは親子揃って小手先だらけの小物よ」

「言ってな、デカブツ」


 イザベラは無視して階段を昇りきった。

 窓の破片で服が少し破けた。


 あとはこの一瞬の間に隙をつくれれば――。

 走りながら吹き抜けの1階を見下ろす。

 ダルケは空を飛べる。

 ならば、銀盤に足を取られて滑り、まだ体勢を立て直せてない今が最大のチャンス。飛び立って同じ目線まで飛ばれたら終わりだ。

 そして『竜の鱗』で狙うなら首か。

 氷魔術で眼を狙い、防御に転じた隙に首の裏筋へ一突き。――これが最大限。



足場生成(トレバイス) 三連(ドライ)!」


 宙に流氷を生成してそこを足場とする。

 イザベラは2階の手すりを掴んで飛び越え、作った足場を助走をつけるように三段跳びすると、ダルケに向かって飛び込んだ。

 手元には黒光りする『竜の鱗』。


 竜の頭上を捉えた。



「グム――」

氷柱放出(アイスツァプフェン)六連(ゼクス)!」


 無数のつららをダルケの顔面に放つ。

 これで一瞬だけでも視界は奪えた。

 その隙に首筋へ【竜の鱗】を貫ければ……!



「ガァアァアアァアアア!」


 目の前が急に眩しくなった。

 まるで突然、太陽が現れたようだった。

 イザベラには何が何だかわからなかった。

 だが、視界の眩しさとともに強まる熱量を感じて、すべてを察した。


「はっ……銀盤生(アイスバ…)……」


 咄嗟に詠唱を始めるが間に合わない。

 なんとか顔周囲に氷の防壁を作って瀕死は免れたが、腕や足には直撃した。


「ああああああっ!」


 痛い。遅れてやってきた激痛で悲鳴を上げる。

 イザベラは黒剣を構えることもできず落下し、ダルケの大きな手に掴まれた。


「ぐふっ……!」

「グロロロッ! 侮ったなファルマイヤの娘」

「い……痛……くぅ……」


 両腕と両足が焼けるように熱い。

 イザベラが直撃したのは"炎"だった。

 さっき無数のつららを前にしたダルケは、口から火を吹いた。


 赤竜にはそんな特技があった。

 火山岩の成分を体に蓄積した彼らは喉に発火器官を持っており、火を吹く。またその原始的な手段とは別に魔力を活用した炎魔法も得意とする、炎に特化した最強の幻想種だ。


 イザベラは肉弾戦に捉われるあまり、その性質を度外視してしまっていた。



「……うっ……うう……」

「何かと思えば、斯様な化石物」


 イザベラが握りしめる黒い剣に気づいた。

 ダルケはそれを軽く爪弾いた。

 『竜の鱗』が床に転がった。


「無様な。あんなもので我に挑むとは」

「……ううう……」

「ふ、泣いているのか? 人間ごとき、我ら最強の種族の前では無力だと気づいたようだな」


 苦しい。痛い。じんじんと体が熱い。

 イザベラは確かに泣いていた。

 恐怖もあったが、悔しさがそれを後押しした。

 情けない。先祖が残した竜殺し伝説は偽りだったと同時に、自らも到底届かないものだと知ってしまった。


「怖かろう。原始生物は皆、炎を怖れた。人間が恐れても無理はない。しかしな」


 ダルケはごふごふと咳払いするように笑った。


「そうやって劣等種が慌てふためき、今際に顔を引きつらせる様が我らは愉しくてなぁ」


 牙を向き、にたにたと笑うダルケ。

 イザベラは泣いていた。

 年相応の少女のように。


「決めたぞ。お前は我が業火で焼き尽くす」


 その方が愉しめそうだとダルケは非情に宣言して、直後にはイザベラを豪快に外へ放り投げた。


「きゃあああああああっ!」

「ハハハハ! そうだ。我に断末魔を捧げよ」


 投げ飛ばされたイザベラに狙いをつけ、ダルケは口を開け、火炎放射を放った。

 真っ赤な火柱が迫る。



 ――死ぬ。悔しいままに死ぬ。


 走馬燈のように自分の過去が甦った。

 竜には振り回されてばかりだった。

 偽の竜殺しの先祖を追いかけた。

 竜鱗を束ねるうちに虚栄に浸かり、気づいたらこのザマ。自分の方こそ慢心した"竜"だった。


 そんな人生で終わりたくない。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 あの竜に一矢報いてやりたい。

 誇りなんかもういらない。


 誰か助けてくれ……。

 あの竜をやっつけてくれ……!



 眩しくて熱い光源が迫ってくる。

 イザベラにとってはそれが死神の光だった。

 その光源に触れたが最後、命はない。


 ぶわりとその熱源に包まれた。

 自分はその瞬間に死んだのだと思った。


 だが意外にも、その熱源は温もりがあった。




「――っだるぁあああああ!」


 体当たりで空中をさらに吹き飛ばされる。

 間一髪でダルケの火炎放射を躱し、また地上に真っ逆さまになった。


「え!?」

「あーっととと……!」


 宙でもがくのはメイド服を着た小さな女。

 長い銀髪がたなびかせ、滅茶苦茶に暴れたかと思うとすぐ傍で一緒に落ちる鉄筒を拾い上げ、それにまた魔力を通した。

 すると筒が伸びて翼が開き、箒となった。

 箒から火が吹き出て空を飛び始める。



 アンジー・シルトが颯爽と現れたのだ。


 まるでヒーローのように。

 さっきはダルケの火炎を避けさせるために体当たりしたようだった。

 アンジーは箒にまたがると手を差し伸べた。


「掴まれ、イザベラ!!」


 イザベラは痛みに堪えながらアンジーの腕を掴み、ぶらさがるように運ばれた。

 屋敷のホールへ戻るとイザベラは開放された。

 アンジーは『空飛ぶホウキ』を解除して鉄筒に戻すと、それを蹴り遊びながら身軽に着地してぱしっと掴んでみせた。


「っしゃあ、選手交代だぜ!」

「あんた、あたしを助けたのかい!?」

「助けただと? んなわけねぇだろ」


 アンジーは仁王立ちして堂々と言い放つ。

 正面では不愉快そうに睨むダルケがいる。


「俺が竜をぶっ殺す! 完膚なきまでにな!」

「…………」

「だからアンタに死なれたら困るってだけ。完膚にならねーしな」


 アンジーは振り返って屈託なく笑った。

 今まで出会ったどの男より漢気を感じさせる女だとイザベラは思った。


 さすが竜殺しと呼ばれるだけある。

 そんなあっさり竜殺しを宣言されたら悔しさなんて吹き飛んでしまう。

 彼女こそ竜殺しの異名に相応しい。

 肝も据わっているし、器も違う。


「ところで完膚ってどういう意味だい?」

「知らねえ。こちとら食いっぱぐれクソ蛙だぞ」

「ハッ、意味わかんないね」


 アンジーならやってくれるかもしれない。

 イザベラは壁に寄りかかって腰を休めた。


「はは……頼んだよ、アンジー……」


 人を頼ったのもこれが初めてだ。



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