Episode3 竜殺しとネトネト
魔力測定器『マナグラム』のせいで、俺の溢れんばかりの才能が露見して以来、ジーナは昼夜を問わず、魔術の基礎を念仏のように唱え始めた。
メシ食ってるときも、昼寝してるときもだ。
やれ、魔術には東方魔術と西方魔術の2つがあるとか。
やれ、我が家は東方魔術派だとか。
やれ、東方魔術は詠唱が早く実戦向きだとか。
やれ、まずは『火炎弾』を覚えろだとか。
正直言うと、余計に魔術が嫌いになった。
馬の耳に念仏ってことわざを知らねーのかね。
ちゃっかり触りの部分を覚えちまった自分が悔しいぜ。
まぁ、ジーナは魔術オタクなことを除けば、俺には勿体ないくらい良い母親だ。
反抗する気にはならねえ。
だが、勉強はかったるいから聞き流し続けた。
そんな暮らしを続け、湖のほとり生活にも慣れ始めた頃、村に異変が起きた。
――思えば、これが始まりだった。
早朝。まだ薄暗い中で目が覚める。
この体になってから朝が早くなったもんだ。
「ゲコゲコゲコゲコ」
なんだかうっせーな……。
目を開けば、いつもの古ぼけた天井。
埃臭い匂いとともに変な物音が響き渡る。
隣にはジーナがぐっすり寝ていた。
「ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ」
蛙だ。蛙の鳴き声が外から響いてくる。
ベッドから下りて窓辺に近づいた。
外を眺めても、霧が濃すぎて視界が悪い。
「ゲコゲコ、ゲコゲコゲコ」
声だけ異様に反響してやがんな。
窓ガラス越しに自分の姿が映った。
こないだ短く切ってもらった髪は寝ぐせがはねて凄いことになっている。
髪をぐしゃぐしゃに掻き、階下へ降りた。
もちろん、うるさい蛙どもを黙らせるためだ。
「うっせーな、ガマ公! 静かにしやが――」
玄関から扉を開け、庭に怒鳴り散らした。
視界が開けると蛙たちが姿を現した。
「れぇぇえええ!?」
思わず素っ頓狂な声をあげた。
庭には大量の蛙が犇めき合っている。
茶色いヒキガエルみてーなやつだ。
日本でもよく見かける"カエル"そのもの。
それはいい。
だが、驚いたのはその数よりもデカさだ。
蛙なんてもんじゃねえ。
牛かってくらいデカい。
それが湖のほとりから家の庭までびっしり。
「ゲコゲコゲ、ゲコ?」
そのうちの1頭が俺の存在に気づいた。
それを引き金に、全頭が俺に注目した。
「ゲコォ! ゲコゲコゲコォ! ゲコォ!」
「なんだよ!?」
牛サイズの蛙が一斉に押し寄せてくる。
やべぇ、食われる!
――本能的にそう思った俺は、玄関先から横跳びして、霧で湿った庭の芝生に滑り込んだ。
俺の回避に対して蛙どもも進行方向を変えた。
猪突猛進。どんどん迫ってきてる。
「やべ、家に戻ってジーナを起こせばよかった」
反射的に横跳びしたのが失敗だった。
家の玄関付近はガマ公の群れが密集して、もう後戻りできない。
濃霧に覆われた庭先を走って逃げる。
だが、今の俺は5歳児だ。しかも女。
全然思うように体が動かねえ。
それどころか足がもつれて転んでしまった。
すぐ後ろには牛サイズのヒキガエルがどっしんどっしん跳ねながら迫ってきた。
「あああ! チクショウがぁああ!」
「ゲコォ……ォムン」
1頭の蛙が舌を伸ばし、俺を捕まえた。
ぬとっとした生温かい舌が腹に巻きつく。
「ひにゃぁあ?!」
気持ち悪すぎぃ! なんか変な声でたし。
そのまま引っ張られ、口に誘い込まれた。
「ぎぇぇええええ!」
飲まれかけたところで蛙の口に掴まり、なんとか踏ん張った。ただ、今の俺では腕力が足りず、少し踏ん張るだけで腕が震えてきた。
「ぐぬぬぬぬぬぬ………!」
しかも蛙の口に入った下半身が舌やら粘膜やらのヌルヌルの感触に攻められ、力が抜けてくる。
ついでにコイツら、臭ぇよ!
「あっ……ぅ……。ひぐっ……!」
限界だ。
叫んで助けを呼ぼうにも力が出ない。
諦めかけた瞬間、蛙が突然、暴れ出し、首をぶるぶると振り始めた。
「ゲ、ゲコォ! ゲコォン」
「うべっ……げふ!」
突然吐き出されて、蛙の口から落ちた。
芝生の上に落されて腹を強く打ち付ける。
体中、べとべとだ。
ふざけんな。
「ゲコォじゃねぇよ、変態ガマ公が……」
やべえ、本気でブルっちまった。
圧倒的な敗北感。泣けてくる。
ネトネトの粘液を払っているうちに、蛙の群れはどっしんどっしんと跳ねて大移動を始めた。
別の標的でも見つけたのか?
いや、どうやらそうじゃない……。
まるで天敵から逃げるような逃げ方だった。
「いったい何だったんだよ……って!」
今度は湖の上空から何かが飛んできた。
ブブブとプロペラ音みたいなのが響いてる。
一瞬、本物のプロペラ機かと思った。
形もだいたいそんな感じ……だが、目を凝らして見て、それが巨大なトンボだとわかった。
「大怪獣の棲み家か、この湖はっ!」
巨大な蛙に続いて、巨大なトンボ。
1匹だけだが、プロペラ機に匹敵する大きさだ。
逃げた蛙どもはこいつが天敵なのか?
巨大トンボは様子を伺うように、俺を見下ろしていた。
「……」
気味の悪い音を立て、ゆっくり降りてくる。
翅の風圧で激しく髪が靡いた。
「フシュ、フシュッ」
なんか威嚇している。じっくり睨まれた。
昆虫だからか見た目に生々しさはない。
作り物のようなメカメカしさだぜ。
まさかロボットとかじゃねぇよな。
剣と魔法の世界にそんなものがあったら雰囲気ぶち壊しだけどな。乗ってる奴がいるなら、どついてやろうか。
「あぁ? ぁんだ、テメェ?」
とりあえずガンを飛ばしておく。
しばらく睨み合っていると巨大トンボは丸い首を振り乱して、短い数本の足をワラワラと動かし、体を反り上げた。
「フシュゥ、フシュゥ!」
明らかに敵意が剥き出しだ。
反り上げた体を俺めがけて振り下ろしてきた。
ヘッドバットでも決めるつもりらしい。
そのときだ。
―――…………!
突然、視界が拡張し始めた。
心臓がドクドクと高鳴って、両腕がぶるぶると震え出し、全身に力が漲るような気がした。
巨大トンボの動きがゆっくりに見える。
ヘッドバットをひらりと躱す。
さっき蛙に追い回されたときは、すぐ転んじまうくらい足が脆かったのに、今は驚くほどに軽い。
俺はトンボの横っ腹に回り込んだ。
こっちの動きを警戒し、トンボも素早く向きを変える。
「シューーーー!」
口から変な風切り音を出しながら、トンボはすごい速度で突進してきた。
羽ばたきで庭の芝生が舞い上がる。
なんだか知らねぇが、今なら勝てる。
そう感じた。
突進する直前、トンボは体をくねらせ、尻尾を振りかぶった。そしてぐるりと横回転した。
テイルアタックだ。
図体が大きいだけに威力も高そうだ。
「ッぜぇーなぁ!」
気味の悪い動きに苛立ちすら覚えた。
俺は相手の尻尾を直接、拳でぶん殴った。
5歳児のふにゃふにゃの腕っぷしだが、その単純なパンチだけで、トンボの尻尾はひしゃげた。
「シュフッ……シュー……!」
「逃がさねえ!」
ふらふらと浮遊して逃げようとするトンボの正面に回り込み、まんまる頭に跳び蹴りを食らわせる。
ベクンと鈍い音がして、トンボの首がもげた。
「ギッ――ギ――」
絶対に殺したと思った。
なのに、もげた首がそのまま胴体にぶら下がった状態で、トンボは山の奥へ飛び去ってしまった。
巨大トンボ……。なんて生命力してやがる。
やっぱり生身の生き物じゃなかったのか?
それにしても久方ぶりの喧嘩だった。
熱も冷め、そこでようやく俺はあの巨大トンボが何だったのか、冷静に振り返り始めた。
最初に現れた変態ガマ公の大群もだ。
そこでジーナが家の中から慌てて駆けつけた。
「アンジー! なにしてるのですか!?」
「ああ、ジーナさん。おはよ……」
太陽が昇り始めて周囲が明るくなってきた。
ちょうどジーナも目覚めたようだ。
「そんな泥んこ姿で……何があったのです?」
「デカい蛙に食われてよ。あと巨大トン――」
「ああ……!」
ジーナは包み込むように俺を抱きしめた。
小っ恥ずかしいが、ジーナに抱きしめてもらうと温かくて良い匂いがする。
「可哀想に。湖はカイザートードの産卵場です。そろそろ繁殖期でした。お母さんの不注意です」
「知ってたのかよ! よくこんな村住めんな?」
「カイザートードは警戒心が強くて滅多に姿を見せないんです。性格も温厚で、人に襲いかかるなんて話、聞いたことありませんよ」
「さっき大群で襲いかかってきたぞ」
おまけに俺を食おうとした。
「あ、カイザートード!」
ジーナが湖面の方に向かって大声を上げた。
その視線の先に、さっき口の中で俺を舌でこねくり回した変態ガマ公がいる。
俺たちをのっぺりした顔で眺めていた。
「あいつだ。あのクソみてぇな色のガマ公!」
「ゲコォン!」
声を張り上げると、カイザートードは慌てて湖に飛び込んで逃げてしまった。
何だよ、ちくしょう!
今度現れやがったらタダじゃおかねえからな。
「女の子が"クソ"とか言っちゃいけませんっ」
「先に喧嘩売ったのはあっちだぞ!」
「それはそれ、別の問題です。……それより汚れが酷いですね。まずは湯浴みしましょう」
「むぐぐぐ……」
その後、強制的に全裸にされ、体を洗われた。
洗っても洗っても、あのヌメっとした感触は記憶から消えない。思い出しただけで鳥肌が立つぜ。
しかも服が一着、ダメになった。
洗っても洗っても粘液の臭さが取れなかった。
汚れたパンツも天気が悪くて全然乾かねえし。
あのガマ公、覚えてやがれよ。
――そういえば、カイザートードのインパクトに負けてトンボのことをジーナに話し忘れていた。
まぁいいか。
あいつは一発ぶん殴ってやったし、1匹だけだったから特に問題ないだろ。
◆
山奥に隠れ潜むように洋館が建っていた。
林に隠れ、湖から洋館は見えないが、洋館の主は湖を常に監視していた。
今日も早朝から洋館の主は、機嫌よく下僕を遣わせ、下界の視察を行っていた。
しかし、そこでまさかの事態が起こった。
その下僕が壊されたのである。
「ムキィィイイイ!」
主は椅子から立ち、長い金髪を掻き毟った。
静かな洋館の一室に金切り声が響く。
洋館の主は小柄な少女だ。
年齢不相応な派手なドレスを着ている。
「あたしのドラゴンフライちゃんがぁ!」
一言そう叫ぶと、瞼を大袈裟に擦り、また机の上の水晶玉を覗き込んだ。水晶の中でドラゴンフライちゃんの中継映像が再生されている。
水晶に映し出される直前の湖畔の映像。
少女の下僕を破壊した犯人が映っている。
「あたしの、ドラゴンフライちゃん、がぁ!」
嘆くように連呼した。
下僕を破壊した犯人は幼女だった。
5歳児の幼女が、急に俊敏な動きになって鋼鉄の下界偵察機を破壊してしまったのだ。
――なぜか。
幼女から怪しげな魔力の気配は無い。
憑き物、神性、幻獣変化、成長抑止による年齢詐称、魔造兵器行使も一切なし。
ただの人間の女の子だった。
「いったい何なのかしら、あの子!」
幼女にしてはありえない戦い方だった。
目にも止まらぬ動きでドラゴンフライちゃんの突進を躱し、鋼鉄の尻尾を素手で殴り返した。
ドラゴンフライちゃんのボディは随分昔に入手した竜の鱗で鋳造した、鋼鉄の装甲だ。
それを素手で破壊するなんて。
信じられない。
おまけに跳び蹴りで頭部ももぎ取るという凄まじいパワーも見せた。その格闘術は、どこかの正統な流派ではなく、スラム街のチンピラが見せるような単純な暴力そのものだ。
そんな様子が遠隔投影用魔道具である水晶玉に記録されている。
「でもでも、この子……」
金髪少女は頬を緩め、卑しい笑みを浮かべた。
「すっごく可愛いじゃない、ひひ」
「キュウ。キュ、キュウ!」
危険を感知したかのように、机の上から吊るされた檻の中で、1匹の小動物が暴れた。
金髪少女が涎を垂らし、水晶玉を卑しい目で覗く姿に驚いた様子だ。
その小動物はウサギのような姿をしている。
ただ、額から角が1本生えていた。
「あら? ふふふ、嫉妬? 心配しなくても大丈夫だわ。貴方は特別だもの」
少女はその檻に向けて微笑んだ。
ウサギのような小動物は身震いした。
何度か脱出を試みた檻だが、何かの仕掛けか、触れると電流が奔って痛い思いをする。
その小動物は数日前、金髪少女に連れ去られた。
だからまだ監禁されたばかりだ。
「あぁん、本当に可愛い子! まさか数千年に1度現れるとされる聖獣『アルミラ』を捕獲できるなんて、あたしってば運が良すぎて自分で自分が怖ろしいくらいだわ、ほーっほっほ!」
聖獣アルミラ。それが小動物の正体。
兎のような体躯に、おでこの一角が特徴。
自身が聖獣なのだとアルミラ"自身"が自覚したのも、この少女に捕まってからのことである。
「キュウ?」
アルミラは金髪少女のことよりも、水晶に映る5歳児の銀髪幼女に意識が向いていた。
その容姿。殴り方。跳び蹴りのフォーム。
一つ一つに見覚えがあった。
「貴方もこの子が気になる? 待っててね、すぐ仲間に加えてあげるわ。この子もあたしの可愛い可愛いコレクションの一つにしてあげる……ふふふ、ふふふふ、ほーほほほ!」
金髪少女が高笑いし始めた。
アルミラはそれを見て背筋に寒気がした。
この女の子を助けなければ――。
【登場人物・魔物】
カイザートード : ヒキガエルの魔物。温厚。牛くらいの体格。
ドラゴンフライちゃん : 装甲が竜の鱗で作られていたために『竜殺し』の特攻対象になってしまった不幸な昆虫型偵察魔造兵器。
洋館の少女 : 金髪。派手。可愛いもの好き。
聖獣アルミラ : 一角兎。アンジーを知る存在?




