Prologue 竜殺し
これはタチの悪い夢かなにかか?
佐我アンジは無限に広がる闇を前に眉を顰めた。
その表情はお得意のしかめっ面。
校内で無謀にもケンカを吹っかけてくるチンピラにも同じ表情を向けてきた。
アンジは自分がなぜこんな真っ暗闇に突っ立っているのか理解できず、直前までの出来事を思い出そうと人生で3番目に入るくらい頭を使ってみた。
「あぁー……そういや、俺……」
そこで幽かに思い出す出来事。
授業も終わってない平日の昼間のことだった。
黒い学ランの不良どもに囲まれていた。
周囲には散らばった廃材。錆びたフェンス。
古びた工事現場だった。
乱闘の末、鉄骨が頭上から降り注いで――。
「やぁ、こんにちわ」
突如、闇から染み出すように女が現れた。
日本ではなかなか見ない怪しい風貌の女だ。
肌はとても白く、髪まで真っ白。
服装は漆黒のローブを着ている。
外国人だろうか。
全身、白と黒のモノクロ調の女だったが、目深に被った大きなフェザーハットから覗かせる女の双眸だけは血のように赤かった。
「あぁ? なんだ、アンタ?」
「へぇ、動じないんだね。君の世界の住人は私みたいな者が現れると動揺して悲鳴一つは上げるものなんだけど」
「悲鳴? ハッ、ガキじゃあるまいし」
「頼もしい。『竜殺し』の名は伊達じゃないね」
「竜殺し――」
アンジは思い出した。
直前まで自分が何をしていたのか。
佐我アンジが『竜殺し』と呼ばれるようになったのは高校入学直後だ。
アンジは片親の家庭で育った。
物心つく前から父親がいなかった。
三歳の頃、父親は不倫相手の女と逃げたのだ。
母親は再婚もせず、女手一つで息子を育てた。
それに恩を感じてはいたが、クズの父親の血が自分にも流れているんだと思うと無性に腹立たしくなり、歳を重ねるにつれて荒れた。
小学校では校内の窓ガラスをすべて叩き割るという大事件を起こし、クラスメイトと喧嘩して骨折まで負わせた。
中学では担任教師をぶん殴り、病院送りにした。
そんな非行少年に真っ当な進学先なんてあるはずもなく、なんとか入学できたのは地元の不良ばかりが集う問題児だらけの高校。
アンジは母親譲りの童顔で美少年だ。
それ故、女の子に見間違われることも多く、トラブルも尽きなかった。高校進学でクラスの顔ぶれが一新しても、そんな呪いが付きまとい、災難に見舞われた。
入学早々、目をつけられたのだ。
よりにもよって校内一の不良、竜道レイクに。
下校中、突然声をかけられ、女みたいな容姿を馬鹿にされ、腹が立ったアンジは竜道をボコボコにしてやったのである。
校内で猿山のボス猿のように振舞っていた男が新入生にタイマンで敗れたという伝説は、翌日には学校中に知れ渡った。
その武勇伝から付いた異名が竜殺し。
佐我アンジは、以来『竜殺しのサガ』と呼ばれ、校内で名を馳せた。
「君みたいな可愛らしい少年がねぇ。まったく不思議な因果――」
「おい」
「ん?」
「俺をかわいいって言うんじゃねぇ」
「……ふーん。本当に芯が強そうだ」
女はアンジの鋭い目つきを前にしてもなお、余裕そうに笑顔を向けた。
「さっきからなんだよ、俺のことばっかり。アンタは誰で、ここは何処だ? もしかしてアンタ、死神ってヤツか? ここは地獄か何かか?」
威圧するように質問を捲し立てる。
アンジは眼前の怪しい女に興味もなければ、怖れてもいなかった。
今更、怖いものなしだ。
死んだなら閻魔の裁きでも何でも受けよう。
生きてるならさっきのケンカの続きだ。
――まぁ、前者の方が可能性は高いが。
アンジは先ほどの事故を思い出し、今の自分が幽霊みたいなものだと半分、自覚していた。
「死神ならさっさと俺を連れていけ」
「え……私が神?」
女は大袈裟に目を瞬かせ、いやだなぁもう、とアンジの発言を軽くあしらった。だが、すぐ妖艶な笑みを向け、赤い唇を三日月のように吊り上げた。
「ふふ、あんな連中と一緒にされるのはご免だ」
「あんな連中?」
「……いや、失礼。私はメドナ・ローレン。かつて魔女と呼ばれた者だが、今は冥界の門番だ」
女はしれっと、魔女だと名乗った。
魔女? 冥界の門番?
その黒ずくめの姿に見合う肩書きだが、アンジの頭の中には疑問符が幾重も浮かんだ。メドナと名乗る魔女の存在があまりにも現実味がない。
見た目もそうだ。
日本人ではない。だが、言葉は通じる。
衣装もまるでオタクのコスプレのようだ。
しかし、一つだけはっきりした。
「やっぱり俺は死んだってことだな」
「そうだ。君は死んだ。だからこうして私に出会った。そこまではいいかな?」
魔女と名乗るわりに親切な口調。
なんだか芝居じみた抑揚のない声音だが、アンジがメドナから感じたものは胡散臭さより、悲愴感のようなものだ。
この魔女も生半可な生き方はしてない。
初対面だが、少しは話をしてやってもいいとアンジは思った。
「オーケー。わかった。俺はこれから地獄に落ちるってワケだな? まずは閻魔サマまでご案内? それとも血の池か針山行きってか?」
「結論を急ぐね。焦らなくても大丈夫だよ」
「……焦っちゃいねぇが」
「ここは死者の道だ。現実における時間の流れはなく、その制限も受けない。君がいくら焦ったところで世界の時間から切り離されている限り、意味はないよ。だから安心して」
「なに言ってんのかさっぱりわかんねえ」
「ま、そうだろうね。ただ、これだけははっきり伝えておこう。君がついさっき戦った人物、守ろうとした人物も一緒に死んだ」
「……」
アンジは絶句した。捻り出せても、
「そうか」
としか出てこない。
――報われねえ。二人ともくたばったか。
"ついさっき"とは現世での話である。
アンジは死ぬ間際、竜道レイクと喧嘩していた。
廃材まみれの放置された工事現場で。
竜道はアンジを集団リンチにしたかったらしく、仲間をたくさん連れてきていた。竜道のようなクズが考えそうな手だ。
"守ろうとした人物"とは幼馴染のこと。
実はそのとき、幼馴染の有銘ミラも人質に取られていた。
ミラとは小学生のときから家族ぐるみの付き合いで、非行に走るアンジと対極的に優等生な女の子だった。高校進学とともに別の道を歩んだが、それでも家まで押しかけ、世話を焼いてきた。
それが祟った。
アンジは尾行られ、ミラの存在がバレた。
弱みを握ろうとした竜道は、ミラを人質に取り、廃工場へアンジを呼び出したのだ。ミラを守ろうとしたが、敢え無く事故に巻き込まれた。
竜道ともども死んだらしい。
アンジ含め、三人とも事故死。
喧嘩は熾烈を極め、工事現場で吊り下げられていた鉄骨が落下し、三人に直撃して死んだのだ。
「そうか……そうかよ……くそっ……」
握り拳に力が籠る。
「残念だけど、死んだ事実は変えられない。君は死者を悼むことができる善良な人間だ。きっと来世では――」
何が善良な人間だ。ロクなことしてねえ。
アンジは心の中でそう懺悔した。
「せめてミラだけでも助けてやれねえか?」
「無理だよ。私はただの門番だからね」
「くっ……」
アンジは眉間に皺を寄せ、黙りこくった。
少しして顔を上げると、そこにはもう別人の顔がある。
「なら、どうとでもしろや。悔いはねえ」
「随分と呑み込みが早いね」
「飲み込んじゃいねえが、死んじまったもんは仕方ねえ。懺悔なら地獄でする」
――ミラ、すまねえ。
何よりもまず、そう懺悔した。
あとはクズらしく潔く死のう。
ミラの死も背負って地獄にいこう。
そう決めて顔を上げた途端、魔女はアンジ以上の切り替えの早さで端を発した。
「さて、死を受け入れられたようだし、私が君を呼び止めた理由から話そうか」
「あぁ?」
アンジはしかめっ面を浮かべた。
「アンタ、地獄への案内人じゃねぇのか」
「酷い言い方だなぁ。確かに冥界の門番をしているとは言ったけど、真っ当な死者に私から声をかけることなんてないよ」
「だったら俺に何の用だってんだよ!」
メドナは口元に人差し指を当てた。
静かに、とジェスチャーしている。
挑発するようにアンジの顔を覗き込んだ。
「キミ、本物の竜を殺したことあるかな?」
「は……?」
なんて常識外れの、馬鹿げた質問。
笑い飛ばすべき愚問にアンジは言葉を失った。
「だから竜だよ、竜。ドラゴン。君の世界で過去に『竜殺し』の異名を持つ死者を探した結果、君が該当した。私が君を呼び止めた理由はそれだ」
「頭おかしいんじゃねぇか?」
「なぜそう思う?」
「竜なんて実際にいるわけねぇだろ」
竜殺しの名は形容でしかない。
本物の竜なんていたら日本は大混乱だ。
アンジは魔女を鼻で笑った。
「いや、世界の何処かには存在する。君の世界にも物語で描かれていただろう? 火がないところに煙は立たないものさ」
「はぁ、そうかい。わかった。一つ言っておこう」
「なにかな?」
「俺はめちゃくちゃ頭が悪い」
「はは、脈絡がないね」
「要するに、あんたの話はちっとも理解できねぇってこと」
アンジは魔女を睨んだ。
元から度胸は人一倍あったアンジだが、死んでしまえば余計に怖いものなしだ。生前はクズとして生きてきた自覚もあり、今更女々しく現世に固執して地獄行きを嘆くつもりも毛頭ない。だから強気だ。
「ふむ……頭が悪いか。君の知能指数を分析すると、頭脳の方はむしろ優秀と言えるけど、まぁ生来の境遇もあるから、その劣等感も宜なるかな」
メドナは品評するようにアンジを眺めた。
女を殴る趣味はないアンジだったが、それでも苛立たしくなり、握り拳が震えていた。ぐっと堪えて押し殺した声で言い返す。
「ケッ、それによ、あんたも相当マヌケだぜ」
「それは否定できないかな」
「竜殺しの名で探した? 本物の竜を殺せるか?
バカじゃねえ。んなわけねえだろ」
「じゃあキミは本物の竜と戦ったら勝てないの?」
「それは……やってみなきゃわかんねえが」
煽られているのは分かっていた。
だが、アンジは先ほどからメドナの声に何処か悲壮感のようなものを感じていた。その雰囲気に生前の母親の面影を感じたのだ。
だから馬鹿馬鹿しくも会話を続けてしまった。
「分かりやすく結論から言おう。
キミは、これからキミが住んできた世界とは別の世界に生まれ変わることになる。そこで何年後かに、ある地域で竜種の動きが活発になるのさ。それを食い止めてほしい」
「断固拒否だ」
「わぉ、驚くほど返事が早い」
「その話を信じるとして、アンタの願いを聞く義理も、竜に対する恨みもねえ」
売られた喧嘩は買うのが礼儀ではある。
しかし、そうでないなら自ら喧嘩をふっかけるなんて猿山のボスと変わらない。そんな身勝手さは宿敵の竜道と同格に堕ちる気がした。
「ふふ、"名は体を表す"とも云う」
「……何の話だ?」
「キミは『竜殺し』の名を持つ者。それは謂わば宿命さ。生きていれば、いずれ竜に巡り合い、そして殺し合うことになる」
「どういうことだよ? てか殺し合うって――」
「いいかい? 竜を倒す。ただそれだけだ。簡単だろう」
メドナはいきなり後ろに下がった。
闇の中に溶け込むように徐々に消えていく。
同時に頭上から白い光が差し込んだ。
眩しくて目を覆ってしまうほどだ。
「待ちやがれ! 勝手ばっかヌかしやがって」
「大丈夫。竜が相手なら君は無敵だ」
「はぁ? どういう理屈だ!? つーか――」
「あと転生先の体だけど、適性ある体が――」
何か重要なことを最後になって言い出した気がするが、頭上からの光が強まり、それに掻き消されるようにメドナの声も姿も消えてしまった。
アンジは混乱の中、体が泡のように散り散りになるのを感じた。それは不快な感覚ではなく、むしろ温泉に浸かるような心地よさだった。
白い光に、久方ぶりの温もりを感じた。
――これが生まれ変わるってやつか。
【登場人物】
佐我アンジ : 不良。美少年。主人公。
竜道レイク : 不良。アンジの宿敵。
有銘ミラ : アンジの幼馴染。
メドナ・ローレン : 自称魔女。冥界の門番。




