ブロック8「悪魔の罠」
瞬時に対応する海後。
「10エレメンタム消費、増速! 」
『極限疲労』 のデータ流があと一歩のところで海後をとらえきれず雲散霧消する。
射程距離ギリギリだったので効果が現出する前に何とか脱出することができた。
どうやらセイの方も距離を取るための一撃だったらしく、畳みかけてはこない。
海後が怒鳴る。
「メグリ! 敵情分析!」
「敵……、あれはセイだよ? 敵なの?」
「そうだ! 攻撃してきただろう! 早く!」
「わかったよ……」
~日暮海後~
・保有エレメンタム 15220
・戦闘手段
『極限疲労(サウザンドヤードステア―)』(違法性:グレー、コスト500エレメンタム)
『燻製ニシンの虚偽』(違法性:ホワイト、コスト可変エレメンタム)
『舞台役者』(違法性:グレー、コスト1000エレメンタム)
『魅惑の愛撫』(使用法によっては限りなく違法に近いグレー、コスト10エレメンタム)
~三島セイエイ~
・保有エレメンタム 14400
・戦闘手段
『極限疲労(サウザンドヤードステア―) 』(違法性:グレー、コスト500エレメンタム)
不明
納得がいかない、というより現実を受け入れられないメグリ。
しかし仕事はする。
彼我の戦力をわかる分だけ海後の視野にオーバーレイする。
セイがアバターを出す予定はなかったし、申告もなかったから彼の装備しているプログラムは詳細不明だ。
わかるのは公開情報のエレメンタム量だけ。
海後の装備はお粗末なものだった。
なにせ、戦闘を予期などしていなかったから、護身用の『極限疲労』 以外はまともな攻撃手段を何も持っていないのだ。
「セイ、どうして? どうしてなの? どうしてこーゆーことすんの?」
「もう話しましたよ、メグリさん」
カチアは既に何処かに消えていた。
辺りからは露天主も、通行人も、すっかり距離を取って遠巻きにセイと海後を眺めている。
「あなたの」
セイがわななきながら言う。
「あなたの言う正義、それは都合よく捻じ曲げられた悪のことです! 理不尽な社会の犠牲者を追討するという悪行を正義と言い換えて寄りかかっているだけで、人間に対する愛情の一欠片も持ち合わせていないんでしょう!? あなたは! 実に度し難い。社会の構成員や、社会自身が、人をやむに已まれぬ事情に追い込んで、犯罪をさせ、あなたのような人間が追い立てに来る……。まるで地獄です。あなたはそんな現実から目を背けるばかりか、自分の『正義』ばかり大切にして憚らない! 自己満足で自分の世界に籠ったままの独善野郎なんです!」
「黙れ! セイ!」
「ずっと見て来たから僕にはわかるんだ! あなたの本質はそれだ!」
(その通りね)
セイの周囲チャットと同時にカチアの声も聞こえた。
また例のハッキングで海後にだけ話しかけてきている。
「黙れ……」
海後は思う。
自分はこれでいいはずなんだと。
ちらりとメグリのウィンドウに目を遣る。
まるで助けを求める犬のように。
少女は目を伏せって海後の方を見ない。
――お前もそう思っているのか?
海後は不安になった。
しかしまあいい。
自分は一人だ。
そう、一人。
メグリは究極的なところでは必要ないし、いつでも切れる。
その残酷な認識が彼の自尊心の縁だった。
「敵」を目の前にしていつまでもそんなことを思ってもいられない。
今度は自分から攻撃したい、そうしないとイニシアチブが取り戻せない。
しかし……。
「知ってますよ、海後さん。アンガヴァンスペースに入る前のあなたの装備構成を。『天網恢恢』すら持っていない。もう終わりでしょう、これは……。『命名師 』(オリジナル、違法性:ブラック、コスト2000エレメンタム)」
海後はこちらからアクションを起こせる攻撃手段を持っていないためにセイに再度の攻撃を許してしまう。
そして、これは彼の知らない攻撃手段だった。
「何だこのプログラムは!?」
「僕のオリジナルですよ」
海後は舌打ちする。
「海後! 撤退しようよ!」
「ダメだ、相手がここ(アンガヴァンスペース)で決着をつけようとしている以上ここで決着をつけるべきだ。むしろ逃がさないように相手のサイト遷移の妨害頼む! 逃がしていつでも襲われる状況を作る方が危険だ!」
メグリは口をパクパクしながら、信じられないという調子で、
「でもどうやって!? 勝ち目あるの!?」
とまくし立てるのだった。
海後は怒鳴るように、
「策はある! やるんだ!」
と言った。
「りょ、了解!」
メグリは未だに覚悟が決まらないが、目をつぶって彼女のリーダーの支援を継続する。
そうこうしているうちに、セイのオリジナル、『命名師』 の効果がやって来る。
海後は対応する。「『舞台役者』(違法性:グレー、コスト1000エレメンタム)! 『燻製ニシンの虚偽』(違法性:ホワイト、コスト可変エレメンタム)!」
自分以外にもう一つ、単純な動きしかできない自動アバターを作り出すプログラムに、誰かを対象とするコマンドの標的を変更するプログラムである。
これにより『命名師 』 の効果を、海後自身から『舞台役者』の、海後のアバターを抽象化したような姿の自動アバターに移し替える。
上手く対応できたように見えるが……。
「無駄ですよ、海後さん。『命名師』 の効果、それは、公開されているプロフィールを書き換えることができるんです。『舞台役者』 で作り出した自動アバターのプロフィールはあなたのモノと変わらない。今回そのプロフィールで書き換えたい項目はこれです。『宗教的態度』」
海後は自分のアカウントのコピーである『舞台役者』 で作った自動アバターのプロフィールの「宗教的態度」の項目を確認する。
無用なトラブル回避のため空欄になっていたそこには今は、「悪魔崇拝」と銘打たれていた。
急いでプロフィール変更処置を行う。
しかしなぜか他の項目はいじれても、「宗教的態度」の項目だけはいじれなかった。
セイが笑った。
「ダメですよ。『命名師 』によって変更されたプロフィール項目は、もとあった項目の上に新たなレイヤーがかぶせられるんです。あなたも他の人も、このプロフィールを参照する際はそのレイヤーを見ることになる。下のレイヤーをいくらいじっても無理です。そして……、『我らは血を飲む(サングィス・ビビムス) 』(違法性:ブラック、コスト500エレメンタム)!」
セイを中心に赤黒いおぞましいフィールドが生じる。
それは海後と自動アバターまで飲み込んでいく。
一瞬のことで、そこから逃げられるだけの速度を得ることはできなかった。
効果が及ぼされる。
「ネット上で悪魔崇拝の儀式が流行ったのを知ってますか? 一時期だけのことですが。そしてそれが何故廃れたかわかりますか?」
海後は答えない。
おぞましい乾いた血の色と化した足元の地面に目を落としている。
「キリスト教原理主義者の『正義』の主役がそんな奴らを狩りつくしたからですよ。あなたのようにね」
「さっさとこれの効果を言え。これはお前のオリジナルではないようだが、俺だってすべてのプログラムを把握してなどいないのだからな」
セイは再度ニヤッと笑った。
「察してくださいよ。次はこれです。『匿名記者』(違法性:ブラック、コスト5000エレメンタム)!」
セイの周辺に白い靄が出現し、そこから海後の『舞台役者』のように自動アバターが出現する。
セイのアバターを抽象化した姿だ。
出現すると同時に海後のそばのウィンドウの中から声が上がった。
「海後! そいつ他の健全なサイトにジャンプしようとしてる!」
「全力で止めろ! メグリ!」
メグリのハッキングで『匿名記者』で生じた自動アバターが動きを止めた。
セイはそれを見ても少しも動じない。
むしろ、勝ち誇ったようにこう唱えるのだ。
「『匿名記者』!、もう一体作成」
白い靄が再度生じる。
「無理だよ海後! これ以上止められない!」
「クソッ!」
「海後さん、『我らは血を飲む(サングィス・ビビムス)』 の効果を言いましょうか」
海後はセイを睨みつける。
「これは効果範囲内の全てのアバターを強制的に参加させたサバトの儀式を引き起こすプログラムです。悪魔崇拝者たちに好まれました」
そう言い終えるや否や、『我らは血を飲む(サングィス・ビビムス)』の効果範囲に様々な悪魔的オブジェが出現した。
嬰児をゆでる窯、十字架に貼りつけられた皮を剥がれた人間、羊の頭のマスクを被った大男、裸の男女の立体映像……。
「悪魔崇拝者のプロフィールを持つあなたの自動アバターはどう見ても明らかに悪魔崇拝者以外の何物でもない。あなたのアカウントは代理の自動アバターを使ってごまかしをしようとした悪魔崇拝者と見られることでしょう。この映像やデータは『匿名記者』 の仮想ストレージ内に保存してあります。この違法サイト、アンガヴァンスペースを抜けた後にある団体に通報される手はずになってます」
「それはどこだ?」
「キリスト教原理主義団体。あなたは彼らに狩られることになる。大規模な団体を相手にして生き残れるでしょうかね?」
ゾワリ、と海後とメグリの背中を悪寒が走る。
セイはもはや笑わなかった。
「降伏してください。そして誓うんです。もう同胞のことは放っておくと」




