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アンガヴァンスペース ~電脳戦闘ログファイル~  作者: 北條カズマレ
セグメント1「電子の森の猟犬」
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ブロック4「ノイズ混じりの正義」

 若き主役プレミアプランのアバターが、白い、どこまでも白が広がる空間に出現する。


 そこに現れた海後の目に、10数仮想メートル分離れた向こうに標的がつっ立っているのが映った。


 海後のチャンネルのブロードキャストがオンにされる。


 どういう方法で来ると思う? とのメグリの問いかけに、海後は愚問だ、と返し、こう続けた。


「答えは明白だ。俺たち潔白なアカウントを消す方法は限られる。戦闘で資金、エレメンタムを枯渇させて退散させるだけでは足りない。資金源……つまりフォロワーを減少させる何がしかの策を講じるしかないのさ」


 海後がそこまで言うと、男が叫んだ。


「なあ、どういうことだこれは!? 説明してくれよ!」


 海後は冷ややかな目をしながら、始まった、と溢した。


 メグリはああ、いつものアレか、と冷淡に言い、セイは無言で目をそらした。


 男は続けざまに大声を出す。


 これはライブ放送を見ているフォロワーにも聞こえているはずだ。


 非プライベートチャットの、パブリックな音声は全て放送に載せるというのが海後のチャンネルの売りだ。


 海後もパブリックな設定に切り替えて言葉を発する。


「いいや、説明する必要はないね。犯罪者にかける慈悲も情もないからな」


 久しぶりに発せられたパブリック音声、フォロワーたちが耳にした海後の声に、いいね! が多数クリックされる。


 没入型インターフェースでなく、デスクトップコンソールや個人用携帯端末(PDF)で放送を見ている彼らは、放送主の発言一つ一つに評価をつけることができる。


 寄付アリ、ナシも同時に選べる。


 海後のチャンネルのコンセプトは、「絶対正義」だ。


 犯罪者と呼ばれた男が反論する。


「なんだ、何なんだお前は! 俺が何をしたっていうんだ!? ええ!? おい! お前ら、この野郎の目を借りて覗いてるやつら! 俺が犯罪者に見えるか!? 俺はただの善良な市民だ! こんなところにジャンプさせられて本当に困ってる! これは違法行為だ! 通報してくれ!」


 海後のフォロワーたちはブーブーと男を非難する。


 海後が何度も犯罪者を告発してきた実績があるから、今度の男もそうだろうという信頼感が男の言葉の信ぴょう性を低めているのだ。


 もちろん、こういう時に本当に潔白な市民を追い詰めてしまう主役プレミアプランもいる。


 しかし海後は絶対の信頼を築いているのだ。


「下らんさえずりだ」


 海後のセリフが白い空間にこだまする。


 フォロワーの仮想の拍手音が聞こえた。


 投げ銭のバイナリ―コインが海後のウォレットに入るチャリーンという効果音も聞こえた。


「お前の罪は明白だ。複数アカウント、そのアカウントによる情報人質ランサムウェア型ウィルスを使った脅迫行為。全て一級の犯罪行為だ。愚鈍な官憲に代わって、俺が処分を下してやる」


 男のアバターの顔が歪む。


 表情を作り出すプログラムは最大限憐れみを乞うような設定になっているらしい。


 用意のいいことだ、と海後は思った。


「俺は無実だ! ただの市民だ! ……これからたとえ戦うにしても、これは不当な暴力に対する正当防衛だからな!?」


 男はなおも認めず、潔白者を装い続ける。


 当然だ。


 そうしなければアカウント消去という最悪の憂き目を見るのだから。


 二度と公的にネットにアクセスできなくなるという、この社会では死刑と同等の措置が取られるのだ。


 海後は、なら仕方ないと言い、


「戦闘の覚悟ができているのなら、構わんな? こちらは準備できている。大人しくしていてくれるのが最高だったが」


 と続けた。


 男が身構える。


 そして――意外にも先制は彼であった。


「『遊戯の鏡スペクルム・ルディ』(違法性:ホワイト、コスト可変)」


 男の目の前にギラギラと光を反射する菱形の仮想の鏡が出現する。


 完全に鏡を再現して風景や人物を映り込ませる必要はないから、虚像は擦りガラスのようにぼやけている。


 不完全な反射率。


 海後は目を細める。


 ストレージに装備できるプログラム及びアプリの数は限られる。


 特別なことをしていなければ今の海後と同じ、4つが限界だろう(それでも海後は今回3つしか装備せずに出てきているが)。


 それを、相手の装備情報を盗む『虎は爪で知れる(エクスウングエレオネム)』、攻撃プログラムを反射する『遊戯の鏡スペクルム・ルディ 』という、防御的なプログラムやアプリばかりしか装備していないのは、逃げに徹するタイプなのだろうと見て取れた。


 残りの2つが何かは気になるが、海後は臆さない。


「1500エレメンタム、消費バーン、『極限疲労サウザンドヤードステア』」


 標的の男の周囲にウィンドウの群れが出現する。


 しかし途中でそれらは立ち消える。


 男が早口で反射プログラムを活性化するための語句を発声する。


「敵プログラム消費エレメンタム500、倍化コスト、1000エレメンタム消費(バーン)、反射」


 今度は海後の周囲にウィンドウが次々と生じる。


 メグリとセイの映るウィンドウが隠れて見えなくなっていく。


 海後はこう唱える。


計算資源リソース借り入れ、1000エレメンタム分。演算能力ブースト」


 増加した計算能力の結果、ウィンドウは次々と処理され閉じて行った。


 これで事前に海後が使うと決めたエレメンタムの残りは2500、標的の方はおよそ2000である。


 同じことを繰り返せば消耗戦となるが、負けるのは海後だ。


 男がしてやったりとばかりににやりと笑みを浮かべた。


「海後さん、相手は君が『オリジナルプログラム』を持っていることは知っていても、その効果までは知らないはずです」


 そこに勝機がある、セイはそう言いたいのだった。


 海後が頷く。


「ああ、『天網恢恢ドリームキャッチャー』でケリをつけるさ」


「でも海後さん、そうするためには……」


 ある条件が必要だった。


 そしてそのためには、エレメンタムが空になる前に、海後がイニシアチブを取らなければならない。


 海後は意識を研ぎ澄ませる。


 どーするのー? とのメグリのうっとうしい声も、集中した彼は鳥のさえずりよりも意識することはない。


「『極限疲労サウザンドヤードステア』」


「ちょ!? 海後、何してんの!? 馬鹿の一つ覚えみたいに!」


 海後の相手は不可視のシグナルをまたも鏡で受け止め、送り主の元にこの攻撃的リクエストを返さんとする。


「敵プログラム消費エレメンタム500、倍化コスト、1000……」


 言うが早いか、


「100エレメンタム、消費バーン増速ブースト、位置情報更新 」


 一瞬で男の目の前に飛び出る海後であった。そして致命的なプログラムを発する。


「『魅惑の愛撫ブランディエントゥール』」


「うわぁッ!?」


 犯罪者の男は情けない叫び声をあげて『遊戯のスペクルム・ルディ』を解除し、仮想の床面を転がって逃げた。


 海後の攻撃は空振りに終わったが、その目的は十分に果たせたわけだ。


 発動に時間のかかる『遊戯の鏡スペクルム・ルディ』を不発に終わらせるという目的は。


「くそ……ッ」


 男は歯噛みした。


 無用にプログラムを中断したものだからコストだけ消費して効果は得られなかった。


 自分のミスへの後悔でアバターの表情を目一杯歪ませた。


 これで海後とこの男の保有エレメンタム量のは2000と1000で、同じことをもう二回すれば男の方が『極限疲労サウザンドヤードステア』を返すことも解除することもできずに負けだ。


 男は追い詰められていた。


 ぎゅっと光を鈍く反射するオレンジの床面を踏みしめ、海後の方を睨みつけ、覚悟を決める。


 これを使ってしまえば色々とリスクを抱え込むことになるが、確実に追っ手を撃退でき、ここから脱出できるだろう。


 そんな手段を使う覚悟を。


「……1000エレメンタム、消費バーン、『相貌失認プロソパグノシア 』(オリジナル、違法性:ブラック、コスト1000エレメンタム)、起動用意」


 男の周囲に黒い靄のようなものが渦巻く。


 淀んだ非正規のデータ流。


 違法プログラムの証拠だ。


 メグリもセイも息をのんだ。


 幾ら追い詰めようと、敵が違法プログラムに手を付けるなど、そうそうあることではないからだ。


 予想されていても身構える。


 その凶悪であるに違いないはずの効果に。


「ほう、本当に違法プログラムを使うのか。破れかぶれだな。アカウントを消されるよりは自ら汚して切り抜けられる可能性に賭けるか。愚かな。公共スペースでそれを使ったのがバレればリアル世界でもペナルティがあるというのに」


「海後さん、言ってる場合ではないですよ。本当に大丈夫なんですか?」


「そーだよ、海後、だいじょーぶなのー? 敵のオリジナルだよ、あれ。一瞬でやられちゃうよーなものだったらどうするのー?」


 それでも海後は勝利を確信していたのだった。


 追い詰められた獲物の男はひひひ、とすてっぱちになった人間がするような笑いをこぼしながらこう言ってのけるのだ。


 もはや潔白の演技などすることもなく。

「こいつは特製の主役プレミアプランキラープログラムだ……。効果は対象のアカウントをフォローしている人間のアカウントをハッキングし、強制的に対象へのフォローをハズすこと……。今アクティブなフォロワーはすぐ戻って来るだろうが、そうでないフォロワーの何割が再度お前のアカウントをフォローしようとするかな? お前もフォロワーは大事だろ!? 通報は控えてもらおうか。さあ、俺を逃がせ!!」


 メグリとセイが不安そうに海後を見た。


 確かにそれを食らえば海後は大きなダメージを負うだろう。


 フォロワー数の回復に一か月以上かかるかも知れない。


 それで収入が減るくらいなら目の前の得物一匹、逃がした方が得。


 そう、普通なら考えるだろう。


 だが……。


「俺を甘く見るなよ」


 海後は全くためらうことなく歩を進め、違法プログラムを撃つ準備を万全に整えた危険な相手に近寄っていく。


「く、来るな! 本当に撃つぞ!」


 今まさに攻撃しようとしているこの男にとっても危ない橋だ。なにせ違法プログラムを使えば、せっかく別アカウントに穢れ仕事ウェットワークを押し付けてきれいに保っていた本アカウントが汚れてしまうのだから。それに撃った後も海後が止まらないという最悪の帰結もあり得た。男に残された選択肢は脅しつけ続けるしかない。海後はそれを読んで、堂々とした態度を崩さない。そしてついに、こう呟くのだ。


「『天網恢恢ドリームキャッチャー 』(オリジナル、違法性:ホワイト、コスト1000エレメンタム)」


 男のアバターが口を開け、硬直する。


 しかしすぐに気を取り直したのか、頭を振って弱気を追い出す。


 ――今こそこの違法プログラムで攻撃する時だ。


 そう考え、捨て身の覚悟で放つ。


 追っ手のフォロワーには違法プログラム使用の瞬間を見られ、通報されるかもしれないが、『相貌失認プロソパグノシア 』 の効果でフォロワーたちは一定時間コンソールやアバターを操作不能になるはずだ。


 その隙に何とか管理局をごまかし、妨害を突破し、逃げ切ってみせる。


 むしろそれしかない。


 そう自分に言い聞かせて。


「起動、『相貌失認プロソパグノシア 』!!」


 しかし男の放った違法プログラムのデータ流が海後を貫こうとした瞬間、光を放つ球面状の蜘蛛の巣が海後の周りを覆い、男の攻撃を打ち消した。


 彼は驚愕の表情でそれを見つめるのだった。


「こいつは俺が中心となる球場の空間を展開する」


 フォロワーのコメントがメグリのタイムラインにバーッと表示されていく(海後のフォロワーの管理は彼女の役目だ)。


 それはどれも、ついに海後の最終兵器が登場したことを喜ぶものだった。


 彼のフォロワーには馴染の必殺技と言うわけだ。


 メグリもセイもほっとする。


「使用者のアカウントの履歴に違法プログラム使用歴がない限り、これは絶対の防壁となってエレメンタムコスト3000以下の違法プログラムから使用者を保護してくれる。そして……」


 蜘蛛の巣の球が拡大していく。


 海後がにじり寄り、白い境界が男のアバターに触れる。


 その瞬間、


「うあっ!?」


 男の体に粘膜のようなエフェクトがまとわりつき、その動きを封じた。


 接触判定は多重に設定されており、相当な計算資源を注がなければこれを突破できそうにない。


 そして、今の男の取得可能な計算資源リソースは0……。


「これのもう一つの効果は、一度でも違法プログラムを使用したアカウントのアバターを拘束できるということだ」


 男は必至で抵抗するが、アバターを動かすためにもともと割り当てられた基礎演算能力だけではとても突破できそうにない。


「やったねー! 海後!」


 喝采を叫ぶメグリとフォロワーたち。


 彼らの興奮はすさまじかった。


 そう、この瞬間を狙ってみんな海後の背後映像ビハインドカメラをコンソールや個人用携帯端末(PDF)やアバターのウィンドウに映し出しているのだ。


 海後は黙って賞賛を受け取る。


「いやだあ!!」


 男が叫びをあげた。


 粘膜に包まれたまま、その場に膝を突き、命乞いを始める。


「頼む、見逃してくれ!」


 メグリが肘をついてその様をボーっと眺め、セイが目をそらし、フォロワーたちは餌を待ち受ける池の鯉のようにはしゃぎまわった。


「お前は新ネット基本法、第二条、『アカウントの単一性の原則』に反している。――俺が見逃すとでも?」


 海後は動くことのできなくなった男のそば、すぐに触れられる距離まで近づくと、冷淡にそう言った。


 男のアバターはプルプルと震えながら涙を流し、自己弁護を続ける。


「お前だってわかるだろ!? 今の世の中がいかに腐ってるか! 俺たち金も学歴もない人間が真っ当に生きていくにはこうするしかないんだ! お前はまだまだ若い。だからわからねえかもしれんが、俺だってこんな地べたをはいずり、泥水啜るような生き方は御免だ、でも仕方が……」


 フォロワーたちがヘイトボタンを押し続ける。


 彼らはこんな有様を見たくはないのだ。


 臨むのは、絶対的な正義の執行と、絶対的な力の行使。


 それをよく理解している海後は男の言葉を遮り、宣言するのだ。


「この世が憎いか? この社会が……。気持ちはわかるぞ? だが分をわきまえなきゃならない。この世界はお前ひとりが泣き喚いたところで変わるもののはずがないのさ。いや、本当のところはそれもわかってるんだろう。なのになぜこんなことするんだ? 心底理解できないよ。夏休みにガキがする悪ふざけの延長だと思ったか? 悪いが、いや、本当のところまったく悪いとは思ってないが、電子的に死んでもらう。このまま通報すればお前は二度とネットにつなげなくなる。社会の底辺でリアルに拘束されたまま慎ましく生きるんだな」


 海後の目の前に仮想のキーボードが表示される。


 押されるキーはただ一つ。通報用のショートカットキー。


「ま、待ってくれ……!」


 フォロワーからのコメントがウィンドウの中のタイムラインを流れる。


「やっちゃえやっちゃえやっちゃえやっちゃえ」


 その時だった。


 先ほどと同じように海後の耳に誰から発せられたかもわからぬ言葉が届けられたのは。


(――わからないの? その人はあなたと同じ、同じ虐げられる者なんだよ)


(黙れ)


 海後はフォロワーに聞こえぬよう、心の中だけでそう発声すると、処刑のボタンに手を伸ばした。


 男の最後の言葉を耳にしながら。


「お前だって生きるためにやっているんだろ!? わかってくれよ!! 頼むから!!」


 海後は笑みを浮かべつつ、


「生きるため? 違う。これは……」


(――ダメ!)


「……正義のためだ」


 聞こえてきた声を無視して、海後は通報キーを押すのだった。

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