ブロック3「索敵と発見」
半透明の、原色で着色された柱状の構造物が林立する広場をたくさんのアバターが行きかっている。
海後のアバターもまたその中の一人だ。
歩きながらウィンドウの中の相棒二人と会話している。
メグリが詳細を特定した標的を待ち受けるが、しかし場所を検索しても検索除外設定になっているのか表示できない。
セールス業を生業とする標的の取引記録を得て、次はここに現れるだろうと当たりをつけて張っている状態だ。
監視の手持無沙汰のせいで、会話は雑談の色を帯びてきている。
メグリがため息交じりに言う。
「ここにいる奴ら、ぜーったいあたし達より金持ちな奴らばかりだよねぇ」
「そうでしょうね。海後さんの収入の何倍も稼いでる人たち」
そんな彼らが何故仮想現実をわざわざ行きかっているのか。
仮想現実の中にはショッピングストアもあり、人々はそこで現実生活で使う食料品などを購入している。
それらは後で彼らの自宅までドローンによって配送されるはずだ。
「外に出られない分、こうして仮想と言えど広い空間で仮初の生活を送りたいのさ。上位層の居住区とは言え、治安はひどいものだからな」
どの地域でも、明確に収入で住む地区が分かれている。
壁で仕切られた区画が厳密に居住者を区別し、檻に閉じ込めるように外界から隔離していた。
そして、誰も彼も、好き好んでそういう檻の中に住もうとしているのだ。
何故か。
職にありつけない人間が、強盗やそれ以下となって街を徘徊しているからだ。
極度に悪化した治安は人間を隔離された社会に押し込めた。
そんな場所に閉じこもって溜まったフラストレーションを解消するのがヒュプノス式没入型インターフェースでアクセスする仮想現実と言うわけだ。
人々は収入の多いものも少ないものも、外に出ることを嫌ってこの装置でネットに入り浸ることを好んだ。
「ねえ、怖いことってある? 海後」
メグリの唐突な言葉に、雑踏に標的を探していた海後の目が止まる。
「なんだ、急に。ない。ないぞ。強いて言えば死ぬことか。それ以上犯罪者を追えなくなるからな」
セイが流石です、と言った。なんとなく含みのある物言いに聞こえたが、海後は気にしなかった。そしてメグリが、
「そういうと思った。でもね、海後。人間って、本当の本当に怖いことは人には言えないんだよ?」
と言う。
なんだか上からモノを言われたような気がして海後は少し憤慨する。
「どういう意味だ。俺は死ぬこと以外なにも怖くないって言ってるだろ。というか、そう思ってるなら訊くな」
「まあね」
この会話を下らないと思った海後は別の話を振る。
「奴の持つことが可能な計算資源量を算出しよう」
はいよー、とメグリがネットにアクセスし、公開情報となっている標的のウォレット残高を参照する。
「標的が持っているエレメンタム量から導き出せる使用可能な計算資源量は3000ってところかな」
「やりましたね、海後さんより大分少ないじゃないですか」
海後は首を振る。
「いや、収支を考えろ。こんな小物に使えるエレメンタムは計算資源コスト4000分までだ」
「さっすが海後、自信満々でかっこいい~! 雑魚にも全力で挑むセイとは大違い」
「い、いや、前回の事件の時のことを言ってるんでしたら相手が裏に持ってるエレメンタムが存在する可能性があってですねぇ……」
その時、海後の真っ暗な夜空のような仮想の瞳が雑踏の中に相手の姿を捉えた。
――奴だ。雑踏の中、立ち止まってこちらに横顔を向けながらウィンドウを開いていじっている。
「コーマ氏の情報通りのアバターです。アバターの変更を行わなかったんですね」
「あれは手続きが面倒だからな。リアルの容姿から離れれば離れる程身辺調査も随分される……このタイミングで変更すると疑われると踏んだのだろう。さて――」
「えっ、海後さん?」
ここで始めてしまうか?
とでも言いたげなセイの画面越しの目線を受けて、海後は目を細める。
標的の、何の特徴もない普通の成人男性のアバターを睨む。
「まさか今は手を出さないさ。他のアバターが存在するサイトで戦闘プログラムを使ってみろ。さっきの、奴の別アカウントアバターみたいに停止させられちまう」
セイは両手を上げてですよね、と言った。
「セイ、馬鹿な考えは控えなー。相手もそれがわかってるからここを動かないだろうねー。どーすんの? 海後」
海後が考えをめぐらす。
女相棒に向け、
「メグリ、ヤツの生活基盤をもう一度確認したい」
と訊ねた。
ウィンドウの中のメグリは画面外の手元に目を走らせ、
「うーん、アバター用アクセサリーのセールスだね。クリエイターから仕入れたものを売ってる感じ。収入は下の上クラス。黒い部分は全くないよ。犯罪は完全に向こうのアカウントだけでやってたみたいだね。あ、リアル世界では登録住所に居住実態はないって。私たちと同じ根無し草ってわけ。フォロワーの中にたまたま近辺の居住者がいたから探ってもらったの。運がいいねぇ」
「なるほど。俺たちと同じ根無し草か……」
(――そうなのよ。あなたたちと同じ)
「誰だ!?」
突然一人で勝手に声を上げたように見えた海後に、訝しむ表情を向けるメグリとセイ。
しかし海後の耳は今確かに聞きなれない誰かの声を拾ったのだった。
聞こえたと言っても、電子シグナルとプログラムでできた仮想の耳と仮想の音であるから、リアル世界とは事情が違うのだが。
「今の、聞こえたか?」
「何がです?」
と、セイ。海後はウィンドウの中のメグリを見る。
首を振る彼女だった。
(今のは個人チャット? 許可していない相手からの個人チャットを受けた?)
海後は心底不審に思った。
個人チャットは本来誰からでも受け付ける設定にある。
しかし今はイタズラや妨害目的のリクエストをシャットアウトするため、メグリとセイと管理局からのリクエスト以外受け付けない設定にしてある。
もし今のが幻聴や故障ではなく個人チャットだとするなら、相手は設定された防壁を破ってリクエストを送信してきたことになる。
(まさかな)
そう海後は思った。
結局、気にしないということで片付け、雑踏の外に仁王立ちになって敵の一挙手一投足に集中する。
まだ相手は立ち止まったままウィンドウ操作をやめない。
「メグリ。彼我の戦力の内訳を一覧にしてくれ」
「はいよ」
海後の目の前、宙に新たなウィンドウが開かれる。
~日暮海後~
・保有エレメンタム 18208(予定使用限界4000)
・戦闘手段
『極限疲労』(違法性:グレー、コスト500エレメンタム)
『魅惑の愛撫』(使用法によっては限りなく違法に近いグレー、コスト10エレメンタム)
『天網恢恢』(オリジナルプログラム、違法性:ホワイト、コスト1000エレメンタム)
(空)
~標的A(田中ギラ)~
・保有エレメンタム 3121
・戦闘手段
『虎は爪で知れる(エクスウングエレオネム)』(違法性:ホワイト、コスト500エレメンタム)
他不明
メグリがコメントする。
「相手の攻撃手段はほとんどわかってないねえ。さっきのアカウントが持ってなかったものを持ってる可能性大だし、心臓バクバクさせて臨んでねー」
「要は気を付けてくださいってことですね、海後さん」
「わかっている。だがうさぎが相手なんだ。心配はしてないさ」
そう言い終わるや否や、
(――あなたこそうさぎじゃないの? 自分のやることが見えなくて、周りに誰もいなくて寂しくて死にかけている、うさぎ)
また、海後の耳にだけ声が聞こえた。
(悪趣味なハッカーだ)
それ以上の感想は抱かない。
相手にイタズラ以上の悪意があるなら既に色々されているだろうという判断で、無視する。
「さてと」
海後は挑みかかる覚悟を決めると、人ごみに分け入って、その向こうに佇む男へと近づいていく。
「メグリ、ブランク状態のサイト以外へのジャンプを抑制してそこへ追い込め。セイ、敵の戦力評価急げ」
二つのウィンドウからの重なり合った「了解」の声を聞きつつ、海後は人混みの中を進んでいく。
標的は行っていた作業が中断されたことで妨害がなされていることに気づいたらしく、慌てふためいて辺りを見渡している。
彼に取れる選択肢はいくつかある。
このまま立ち尽くす。
なし。
通報されるだけだ。
ログアウトして逃げる。
なし。
海後たちの通報に由来する、標的に届いているはずの警告メール。
管理局からのそれを読んでいればとてもそんな真似は出来ないはずだ。
奴が助かるには、海後達をここで消すしかない。
ようやく、多数の人間の中に海後の顔を見つけると、驚愕の表情を浮かべるとともにすぐさまその場からサイト遷移のエフェクトを残して消え去った。
文字通り、跡形もなく、一瞬で。
「よーっし、対象、目的の場所へジャンプしたよ。そこには他に誰もいないからちゃっちゃとやっちゃって~」
「海後さん、敵の戦力は保有エレメンタムと、既に使われた戦闘プログラム以外わかりません。気を付けて」
海後は頷くだけで相手と同じように空白サイトにアクセスした。