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アンガヴァンスペース ~電脳戦闘ログファイル~  作者: 北條カズマレ
セグメント6「電子の森の守護者」
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ブロック22「エピローグ」

 アンガヴァンスペースが熱狂的に湧く中、海後は早々に人が集まって出来た輪の中から脱した。胴上げでもされそうな雰囲気だったが、そんな気分にはとてもなれなかったのだ。虚しい気持ちが今の彼の心の内容物の全てだった。トボトボとサイト内遷移もすることなく、寂しそうに歩くのだった。足取りはスミのセーフハウスに向かっていた。特に何を求めていたわけでもない。ただ何となく、そうしただけだ。スミは中で待っていた。


「よくやったね、海後ちゃん」


「ああ」


 生返事。心ここにあらず。勝利の高揚感などみじんもない。海後は飛び切りのむなしさを感じていた。スミの横を通り過ぎて部屋の隅まで行き、抽象的なポリゴンの椅子に腰を下ろした。


「これでモーレ・ゲオメトリコ社の機密を告発するのを邪魔する人間はいないわけね。まあ、少なくとも第二第三の主役プレミアプランが雇われてもあなたの敵ではない。どうしたのかな? うれしくないのかな?」


 海後は上体を重そうに曲げつつ床を見ながら答える。疲れが目に見えてわかった。


「まあ、目的は達せたさ。でもな」


 カチアもネットから追い出されてしまったし、何より、カチアとセイだ。今なら二人と和解する用意があったが、もうとっくに遅いのだ。二人のリアルの居場所はわからない。探しようもない。


「俺は一番大切なものを失ったんだ。いや、切り捨てたんだ。自ら。とんでもない愚か者だよ。大量のバイナリ―コイン? モーレ・ゲオメトリコ社を告発することによるテロリストのレッテルの破棄とフォロワーの獲得? もう全部虚しいよ。スミ姉さん。俺はどうしたら……。俺にはもう何も残ってないんだ」


「キミはよくやったよ」


 そう言うと、スミはゆっくりこの英雄的主役プレミアプランに近寄ってそっとその顔を抱き留めたのだった。柔らかな触覚情報が海後を包んだ。アンガヴァンスペースでは性的接触も可能だから、女の胸に顔をうずめても管理局がすっ飛んでくるなどというコトはないのだった。


「随分甘えんぼさんなのね、日暮海後」


 スミの声ではなかった。――公共チャット音声。がばっとスミから体を引きはがす海後。スミもスミで驚愕の表情を浮かべている。目に入ったセーフハウスの戸口に立つアバターは、間違いなく海後の妹の姿をしていて……。


「カチア、お前、平気なのか?」

 

 『離人(ディペルソナリゼーション )』の効果は強烈だ。無理にでもダイブすればあまりの気分の悪さにリアルの身体が嘔吐し、窒息死もあり得る。危険すぎてダイブなどできなくなるのだ。カチアはまた何か魔法のごときプログラミング技術を駆使したのか?


「お前、どうやって……」


「日暮海後。たった今、コーマの違法行為の証拠をアンガヴァンスペースの各ノードから抽出したデータを広く公開したわ。彼とあなたが係争状態にあったことも含めてね。かつてのフォロワーを含め、ネット世界の住人たちはみんなあなたに会いたがっているわ。一躍時の人ね。裏側真っ黒のべヒモスを倒すという、巨悪狩りジャイアントキリングを成し遂げたんですもの。当然の結果」


 海後は慌ててネット掲示板・SNSにアクセスし、自分についての情報を情報収集AIに集めさせる。そう、間違いなく、べヒモス・コーマの失脚の次に話題になっているのが海後自身の潔白の真偽だ。コーマが海後について色々と情報を流布させている間、幾人かのブロガーがその真偽について疑問視していた。陰謀説を唱える向きまであった。


 今まさに、そこについてのはっきりしたことをみんな待ち望んでいたのだ。海後が姿を見せないことに、みんな我慢がならないようだった。沈黙は破らねばなるまい。


「さあ、日暮海後。いってらっしゃい。誤解を解いてくるのよ」


 海後はスミとカチアを交互に見比べる。スミは満面の笑みで彼を讃えていた。サイト遷移。アンガヴァンスペースから通常サイトへ。シュン、と消える海後。往来が多数行きかう集会場サイトに入ると、ブロードキャストの開始を選択した。何人かが「日暮海後だ」、「猟犬だ」、などと言って口々に驚きの言葉を露わにしている。


「みんな、ここのところお騒がせして済まない。日暮海後だ」


 雑踏の中心で始めてしまったものだから、みなが彼に注目し、そこだけ人の流れが開けた。ブロードキャストには一瞬で数万人のオーディエンスが集まった。


「まず言おう。オレがテロリストだという話が出回っているが、事実ではない。ある企業を告発しようとしているだけだ……」


 モーレ・ゲオメトリコ社の計資源独占の証拠は海後の映像と一緒に配信されたのだった。



 コーマはダイブできなくなっただけだが、ネットでの発言もしなくなった。すべてを諦めたらしい。海後の妹のように、五感をネット世界に投影できなくなることは最大の絶望なのだ。それでも、資産がなくなったわけではないから、違法手段で再度アカウントを取得して名前を変えればどうすることもできなくはないのだろうが。結局、モーレ・ゲオメトリコ社一社をつぶしたところで世界は変わらない。変えるには、戦い続けることが必要だった。しかし今の海後には……。


「終わった、って感じだな」


 海後は自室でボサボサの赤髪を撫で付けていた。フケがポロポロと落ちた。コーマとの戦いを準備する間ずっと風呂に入れなかったのだ。ふう、とため息。椅子のクッションに沈めていた身を起こし、背伸びをすると観葉植物のそばまで行き、葉を撫で付ける。満足するまで愛で終えるとシャワーに向かい、体にたまった疲れを洗い流す。水音以外なにも聞こえない。周りの気配を探っても、誰の存在も関知できない。世界の果てで一人。そんな趣。


 上がって、シャツを着て、どさりとベッドに身を投げ出す。孤独。絶対の孤独を感じていた。今や彼は大きなものを手にしていたが、それ以上のものを失っていたのだ。


「メグリ、セイ」


 うっ、と嗚咽が漏れ、耐えきれなくなり、目から涙がこぼれる。自分は何をしているのだろう。自分が歩んできた結果がこれか。自分の狭量さが、真実から目を背ける臆病心が彼から仲間を奪っていった。もう同じことは繰り返さない、とは誓えても、自分を奮い立たせて再度アカウント売買の巨悪に立ち向かう気力はもうなかったのだ。コーマを倒したことで彼の心は燃え尽きていた。嗚咽、嗚咽、嗚咽。情けなくも彼はただただ小汚いシーツの上で体を丸めるのだった。後悔は幾度となく彼の心に鞭を打った。


 どれくらいの時間が経っただろうか。まどろみの中にあった海後は個人用携帯端末(PDF)の着信音で目を覚ました。手に取ると、カチアからだった。


「なんだ?」


 俺にかけてくる用など今更あるのか。そんなぶっきら棒な声だった。もちろんあるのだろう。カチアがネットで活動するには自分の存在がどうしても必要だし、俺が管理する匿名口座アノニマスウォレットは手放せないだろう。海後としてはもう、こんなもの、誰か代わりの人間に押し付けたかった。


「日暮海後、あなたにプレゼントがあるわ」


 はあ、とため息。ふざけたことを。もういいんだ。俺がこれ以上何を必要としているというんだろう。もういい。放っておいてほしい。それが本心だった。だが一つだけ気になっていることはある。それだけが訊きたかった。


「カチア、お前は何者だ? なぜ『離人ディペルソナリゼーション』が効かなかった? そしてその並外れた、コーマ以上のハッキング能力。タダモノじゃないだろう? いい加減教えてくれないか? それだけは気になってるんだ」


「ああ、そんなこと」


 何でもないように答える。もはや秘密でも何でもないのか。海後は、自分への信用が一定のラインに達したというわけか、と勝手に納得する。


「日暮海後。私は人間ではないの」


「どういう意味だ?」


「私はAIよ。だから『離人ディペルソナリゼーションが効かないの。あんなもの、ちょっと負荷の大きいウィルスに過ぎないわ。摘出には苦労したけど』


 海後は言葉もなかった。確かにその通りならアバターと肉体の連絡を混乱させるプログラムは効かないだろう。しかし、


「AIだと!? こんなAIがいるものか! 人間そのものじゃないか! AI研究は世界的に停滞しているはずじゃ……」


「そう。だから私は、私達AIは世界の状況を打破したいのよ。モーレ・ゲオメトリコ社を告発したのもそう。バイナリ―コイン体制を崩すためよ」


 海後には話の全ての論理は理解できなかったが、それでもカチアがAIだというのはなんとなく納得がいく思いだった。超人的能力の裏付けを得た思いだった。海後は抱いて当然の疑問を口にする。


「じゃあなぜ俺を頼った? それだけの能力があるなら自分一人で何でもできたはずだ」


 答えはすぐに返って来た。


「それはね、あなたが発信源でなければ誰もモーレ・ゲオメトリコ社の不正を信じなかっただろうし、バイナリーコインの交換に誰も応じなかっただろうということよ」


「まさか」


「人間には物語が必要なの。何のバックストーリーも持たない、人間社会と関わりを持っていなかったAIなんて、例えどんなに人間を装ったところで誰も信用しないのよ」


「そういうものかねえ。それで? プレゼントと言うのは?」


「今向かってるはずよ。あなたの住所にね。東京の秋葉原でしょ? 調べるのは簡単だったわ」


 海後は戦慄した。居場所を気付かれた!?


「なっ!? どういうつもりだ! カチア!」


「楽しみにしてて頂戴」


 それきり、ぶつっと切れてしまった。口封じ。海後の頭に浮かんだのはその一語だった。そう、海後は知りすぎていたのだ。恐怖に駆られすぐに部屋を飛び出そうとする。しかし、部屋の呼び鈴が鳴った。瞬間、体の動きを止める海後。そんなことをしても無駄なのだが、肉食獣に追われていた時代由来の本能がそうさせた。


 そのままじっとすること十秒、二十秒、ふと、玄関から声が……。


「出てこないよー、ホントにここぉ? 廃墟じゃないの? このマンション」


「そのはずですよ。カチアさんからの情報によれば……」


 この声。海後は慌てて玄関に走り、ドアを開けた。果たして、そこには髪型以外アバター通りの、相棒二人が立っていた。


「おっそーい! 海後! 引きこもり気質なの? 待たせ過ぎ!」


「ダメですよ、海後さん。インターホンが鳴ったらすぐ出ないと……」


「メグリ、セイ、どうして」


 二人は目配せし合うと微笑んだ。


「全部カチアの御蔭だね。ここ、教えてくれたんだ。そのかわりもう情報保全度的に安全じゃないから引っ越せって。ああ、あと、あたしらのアカウントだけど、カチアが回復させてくれたんだよ? セイのはアンガヴァンスペースで売り飛ばされそうになってたのを寸でのところで買い戻してくれたし、『不名誉除隊ディスオーナブル・ディスチャージ』のクラスタに呼びかけて多数決で私への申請を取り消してくれたの。やるよねー、あの。それにしても」


 メグリは顔を傾げて、


「アバターよりいい男だね、海後。そのだっさい髪の色は限りなくアウトだけど」


 と言った。海後はどういう顔をしていいのかわからなかったし、自分が今どういう顔をしているのかもわからなかったが、二人の屈託のない顔を見ていると、自然と顔がほころび、涙が流れた。




「海後さん、ノブミツ君の情報によればアカウント売買のハブになっている違法組織は確実に存在するようです」


 電子の森。複雑に絡み合ったそこを疾駆するアバターが一つ。日暮海後、そして追従するように浮かぶウィンドウの中にもう二つ。


「はーい、カチアちゃんからの情報だとそこと取引があるのは数社だって~。ちゃちゃっとやっちゃってね、海後!」


「了解」


 彼は今日もネットを走る。そして戦い続ける。自由のため、正義のため。


「未確認の主役プレミアプラン接近! おそらく、企業からの刺客です!」


 海後は戦闘準備に入る。コーマを倒した彼であっても、バイナリ―コインを最も多く保有する個人である彼であっても、公共空間では常に目立たぬよう、ギリギリのところで能力をセーブしなければならない。


「アンガヴァンスペースに入ってきてくれれば楽なんだがな」


 言ってもしょうのない愚痴を吐きつつ、違法ではない攻撃プログラムを起動アクティベートする章句を唱える海後だった。


 失ったものを拾い、補い、自分の正しさを証明し、明日を正義でこじ開けていく戦士たちの物語は、始まったばかりである。


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