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ブロック20「演説」

「スミ姉さん! どこまで解読出来た!?」


 物置に偽装した、アンガヴァンスペース内の隠れ家にやって来た海後は開口一番そう問うた。アバターを、空中に表示させた仮想のコンソールに向かわせていたスミは、


「見なさいよこれ。ものすごいものを受け取ってしまったというところ。あのカチアって子、何者?」


 カチアの正体に関し自分と同じ疑問を抱くスミを見て、海後は状況に似合わずふっと笑みをこぼす。それは「笑ってる場合じゃない」と言われすぐに消える。ユーモアのない女なのだ。


「海後ちゃん、タケ・エノモトは知ってる?」


「こんなときに言ってる場合じゃないだろ」


 唐突な問いかけに海後は面食らう。だが気を取り直し、愚直に返答する。


「バイナリーコインの創始者だ。理論を構築し、最初にプログラムを走らせた。もう四十年近く前の話だ。未だに謎の人物として正体は明かされていない。常識だ。義務教育の歴史の時間に習うだろうが。それが?」


 スミはコンソールに向けた体をひねって海後の方に顔を向けた。


「彼の持っていた初期の匿名口座アノニマスウォレットにアクセスすることができるとしたら?」


「何?」


 タケ・エノモトは初期に発行されたバイナリーコイン全体に占める量の数パーセントを所持したままでいると言われている。それを今市場に持ち出したとしたら……。


「莫大な資産というわけ」


「いったい何を言ってるんだ、スミ姉さん」


 スミは仮想コンソールの中空に浮いた画面に映る文字列を示した。ぐぐっと体を寄せてそれを覗く海後だった。そこにはこう記されていた。『原初の版エディティオ・プリンケプス』と。


「プログラム名がわかったのか!?」


「そう。もうひとつあるみたいだけどそれは起動アクティベートしてみないとわからない。とにかく起動アクティベートするから、エレメンタムをつぎ込んで。15000。そのために呼んだんだから」


 海後は『原初の版エディティオ・プリンケプス』を空きスロットにいれると(このためにカチアはスロットを空かせと言ったのか)、所定のエレメンタムを消費バーンし、(起動)アクティベートした。



「お嬢さん。そんなことをしてもたいした時間稼ぎにはなりませんよ」


 テルーは『メジェドの祝福ベネディクティオ・メジェド 』と『祝祭劇フェストスピーレ 』を併用し、コーマの索敵・遷移を妨害しつつ自らの姿を隠す。姿を消していても『祝祭劇フェストスピーレ 』の効果範囲に相手を留め置けば時間稼ぎの目的は達せられるはずだった。


「そう、時間稼ぎ。それが目的なのはわかりきってる。何を用意しているのか知らないが。まあ、何をしても、オレのチームの『吟遊詩人ミンネジンガー』がある限りモーレ・ゲオメトリコ社の情報を流そうとしても無駄だ。通常の数十倍の規模でダミー情報を流す用意がある。何を言ってもフェイクニュースの影に紛れて消え失せるだろうな」


 つまり、海後たちが目的を達成するにはコーマのアカウントを停止させ、コーマのチームの資金源を断ち、『吟遊詩人ミンネジンガー』の起動アクティベートを阻止しなければならない。テルーは不可視化のベールの裏から白い和装のベヒモスを見つつ、思う。


 そんな手があるのか、と。あの猟犬とは目的の一致で行動を共にしているが、正直逃げ出したかった。ここでアカウントを危険にさらす究極的な理由は彼女にはないのだった。むしろ、下手をうって彼女の主人にネット上で奉仕する機会を永遠に失うことの方が怖かった。


(私がここで逃げ出せば……)


 無論、コーマは自由の身となり、モーレ・ゲオメトリコ社の不正を暴く機会も永遠に失われるだろう。それは彼女の主人であるあの少年なら決して認めないことのはずだ。しかし、その少年のためにもここは生き延びることを優先せねばならないのではないか? 自分がダイブできなくなれば少年のための第二のアカウントを手に入れることもできなくなってしまうのだから。しかし、


(結局、逃げ出すのも、アカウントを手に入れるのも、坊ちゃんの御意思には反しますか)


 そう結論が出るのが早いか、コーマがプログラム発動用の語句を唱えた。


「『重力法則ローズ・オブ・グラビティ』、冗長化リダンダント、終わりにしよう。かくれんぼは」


 テルーは距離を調整して『祝祭劇フェストスピーレ 』の射程距離内でありつつ、かつ『重力法則ローズ・オブ・グラビティ』の効果範囲外である間合いを保ち続ける。しかしそれも所詮、小細工だった。


「だんだん広くして行くぞ。5000エレメンタム、消費バーン二重冗長化ダブル・リダンダント、5000エレメンタム、消費バーン三重冗長化トリプル・リダンダント


 徐々に『重力法則ローズ・オブ・グラビティ』が空間をゆがめる範囲を拡大していく。テルーは追い詰められつつあった。あれに飲み込まれれば『メジェドの祝福ベネディクティオ・メジェド 』も『祝祭劇(フェストスピーレ 』も効果を消失し、自身は物言わぬただのポリゴンモデルに堕するだろう。


(もうここは撤退するしか、申し訳ありません、猟犬)


 その時、呼び出してもいないウィンドウが彼女の傍の虚空に現れた。



 話は少し前の時間に戻る。海後がカチアの違法アプリの正体を知った、その時に。


「これは……」


 今では失われ、違法となったバイナリ―コインの初期の匿名口座アノニマスウォレット、それへのアクセスを保証する秘密鍵のログファイル、『原初の版エディティオ・プリンケプス』の正体はそういうものであった。もしかすると、本当にタケ・エノモトが保持していたものなのかもしれなかった。


「これを隠すためだけに組まれたプログラムだったのか」


「そう。私の腕とアンガヴァンスペースの暗号解読ノウハウがなければ解読は無理だった。そもそも違法プログラムだから、中身がこれほどのものだと知らなければ、誰も手を出さないでしょうし」


「カチアはなぜこんなものを? どういうことなんだ? カチア」


 ネットの向こうからカチアが返答をよこす。


(――それはまだ話せないわ)


 随分もったいぶりやがる、と海後は思う。リアルのことプライベートを知りたいわけではないが、カチアはあまりにも常識外れだ。もう少し情報を公開してくれないと、信用できない。例え、これから電子の森を一緒に駆けることができなくても。


 さあ、『原初の版エディティオ・プリンケプス』の中のウォレットにアクセスしなさい、との彼女の言葉通りに、彼はそれの中身を改めた。そこに入っていたのは――。



 5646350000バイナリ―コイン。


 海後は戦慄する。彼から額を聞いたスミもまた、言葉を失う。それどころか彼女は仮想の床にへたり込んでしまうのだった。二人とも言葉もなかった。これだけあればコーマなど、いや、どんなべヒモスが相手でも簡単に力押し出来るだろう。それどころか、企業とすらガチンコでやりあえる。海後は実在しないはずの喉をごくりと鳴らした。だが問題は――。


「これをどうやってエレメンタムと交換するか、だ」


 アンガヴァンスペースから出て通常の監理局統括の取引所で交換する、アウト。これだけの量のバイナリーコインをどうやって個人が用意したのか説明できない上に、そもそも匿名口座アノニマスウォレットを使うのは違法だ。必然、アンガヴァンスペース内部の架空取引所、闇鍋ジョインを利用するしかなくなる。


 これを利用してアンガヴァンスペースの中の人間と取引することで、監理局や公共ネットワークからの取引追跡を逃れることができるのだ。しかし、これにも問題はあった。


「今もアンガヴァンスペース内部で暴れているベヒモス相手に戦っている自分なんかに、誰がエレメンタムを売ってくれるって言うんだ」


(――賭けるしかないわね、海後)


「何をするって?」


(賭けるのよ、アンガヴァンスペースの中の人々の、現状を変えたいというパトスに)


 海後はカチアの言っていることの意味がわからなかった。察しの悪い彼にカチアが説明を加える。


(今のままでは報復が恐ろしくて誰もあなたにエレメンタムを渡したりしないでしょう。しかし、みんなそれをする動機付けは持っているのよ。わかるでしょう? ここにいるのは現社会に不満を募らせたハミ出者ばかり。そう、彼らを動かすことはできなくはないわ。その心に訴えれば)


 海後は叫んだ。


「いったいどうすればいいって言うんだ!?」


(どうすればいいかは私には専門外ね。そこまで人間心理に詳しい訳じゃないから。ここはあなたに頼るしかない。お願いね、日暮海後)


「クソ! 俺だって詳しくなんかねえよ!」


 どうすればいいと言うのだ。考える。とにかく、闇鍋ジョインにアクセスして取引を願い出ることが第一だろう。しかし、56億という規格外の数字を抱えて取引所に入ってきた海後に誰もがシステムの不調を疑い始め、話にならなかった。


(こうしているうちにもテルーは逃げちまうだろうに)


 所詮その程度の信頼関係だ。最後の部分で頼れる相手ではない。ギリギリのところで死んでも時間稼ぎ、というところまではやってくれないだろう。テルーが逃げ出すまでに間に合うか、それが問題だった。


(俺はコーマへの復讐が今のところの動機なんだがな)


 カチアの言葉を思い出す。自分にそんな役が勤まるのだろうか。人の心を奮い立たせるような、そんな。

 海後はアンガヴァンスペース内のP2P動画配信サービスにアクセスすると、ブロードキャストを始めた。


「スミ姉さん、あんたも協力してくれ。このサイト内のできるだけ多くのメディアにこの放送のことを」


 それまで放心状態で大量のバイナリーコイン入りの口座を眺めていたスミはハッとしてその言葉に従った。



「日暮? 何をするつもりだ?」


「猟犬……」


 コーマとテルーは突然のブロードキャストウィンドウの表示に戦いの手を止めた。テルーが『重力法則ローズ・オブ・グラヴィティ』の境界に呑まれる直前のことだった。

 ブロードキャストウィンドウはアンガヴァンスペースにアクセスしているありとあらゆるアカウントのアバターの傍に表示されていた。スミのハッキング工作の結果である。そこには海後のアバターの姿が映っていた。


「みんな、あー、日暮海後だ。界隈じゃ、猟犬と呼ばれている」


 こういう場面では緊張するタイプである。言葉もたどたどしく、とても演説向きのタイプではない。しかし、やるしかなかった。


「なんだこれは。日暮の奴は何をするつもりなんだ。なあ、お嬢さん。何か知らないか?」


 テルーは勝ち誇ったように微笑んだ。恐らくこれで自分の役目は果たしたと思えたからだ。


「聞きたいですか?」


 コーマは眉を細めた。この後に及んで時間稼ぎをしようとするこのメイドの根性にうっとうしさを感じたのだ。しかし秘密を吐かせる方法もない。さっさとアバターの動きを止めて『祝祭劇フェストスピーレ』を停止させねば。そう思ったそのときである。ウィンドウの中の海後から信じられない言葉が聞こえてきた。


「俺は今50億以上のバイナリーコインを保持している」


「はぁ?? 何を言っているんだ!?」


 コーマには頭が狂ったとしか思えない。そんな額が……。


「今証明する。匿名口座アノニマスウォレット間で全額のやり取りをするからな。公開される取引履歴で確認してくれ」


 放送を見ていた誰もが情報集約サイトにアクセスし、最新の取引履歴を確認する。すさまじい速度で更新されるそれは目で追うのは不可能だったが、大口取引に限って表示すると幾分見るのが楽になった。海後は『原初の版エディティオ・プリンケプス』で手に入ったいくつかの匿名口座アノニマスウォレットの、分散されて保持されている膨大な量のバイナリ―コインを一つのウォレットに集約する。すぐに、取引は承認され、履歴として全世界に公開された。 


 アンガヴァンスペースがざわついた。それだけでなく、世界も。あまりに大きな額の、かつてない規模の取引に直面し、あらゆる界隈がどよめきたった。しかし、その大震撼の震源地がここ、アンガヴァンスペースだと知るものは、海後とその放送を見ているものたちだけだった。


「これは現実か?」


 コーマが呟いた。テルーも思わず不可視化を解いて立ち上がった。それほどの衝撃だった。


「確認できたか?」


 コーマを遠巻きに見つめる無数のオーディエンスたちの脇に浮かぶ無数の画面。その中の無数の海後が言った。


「ではこれからが本題だ。頼む。俺に闇鍋ジョインを通してエレメンタムを売ってくれ!」


 だれも、声を上げなかった。当然である。こんなとてつもない案件に誰も首を突っ込みたくなかったからだ。半ば予想通りでありながら、それでもやはりショックな海後は誰からも反応のない放送画面を見ながらどうすればいいかわからなくなっていた。


(だめか……)


「ふっ、ははははははははは!」


 コーマの芝居がかった高笑いが響いた。


「宝の持ち腐れだねえ、日暮。そんなもの、君が持っていても仕方ないだろうねえ。あぁ、ここはいいところだよ、日暮。こういうときに、お前のアカウントを潰してウォレットの秘密鍵を入手するか。ここではそれも許されているからね」


 急に殺気を増したコーマに、テルーが恐怖を覚える。ここが潮時か、と、心の中で海後に謝罪するとログアウトの光を残して消え去った。いよいよ孤立無援である。海後のアンガヴァンスペース内の居場所もすぐにばれるだろう。


「クソっ!」


 考えろ、考えろ。追い詰められた彼はフルスピードで頭を回す。非協力的な住民、迫るベヒモス、使いようのない大金……。ブロードキャストに意識を戻す。強制的に多数の住民に開かせた放送の来場者数は数万。ログアウトされていない限り、アンガヴァンスペースの全住民が見ているはずだった。


「みんな……」


 海後はかつてなら決して発したことのない物言いで語り始めた。違法サイトの住民へ向けて。


「俺は、ただの犬だ。犬だった。猟犬、言い得て妙の呼び名だよ。お似合いだ。あるいはあのベヒモスのいいなりに、あるいは残虐なフォロワーの言いなりに、人を狩ってきた、ただの猟犬だ。俺は俺を殺してきた。何人も、何人も。そう、俺が殺してきたのは俺自身の鏡像に違いなかったんだ! 笑ってくれ。犬として、敵対すべきものを他人からの命令で決めていた。本当に戦うべき相手は摩天楼のようにそびえ立っていたのにだ! 俺は気づけなかった、いや、目を逸らしていたんだ。正義を名乗りながら、その実、この手を悲しい追い詰められた人間の血で汚していたんだ! この血を雪ぎたい、みんな、力を貸してくれ。お前らの本当の願いをかなえてやるから! お前らの願い、知ってるぞ、俺は。本当は知っていたんだ。お前ら、いや、俺らは、虐げられていた。社会に、企業に、上位層アッパークラスに。その悔しさよ。その悔しさを、清算したい、そう感じているはずだ。だから! お前らの代わりに剣を持つ資格を得るために、お前らの本質エレメンタムで俺の薄汚れた手を雪いでくれ!」

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