ブロック13「べヒモス」
十数分前に話を戻そう。
とある企業のネット上の仮想の会議室。
緊急の会議開催の申し立ては重役の三分の二に了承され、出席率が五割を切ったまま催された。
様式化され、違いの見分けられないスーツに身を包んだ中年から初老までのアバターたち。
秘密を知るものは少なければ少ないほどいいが、大企業である。
影の事業の運営のための最低限の人数であっても、両手の指の数では収まらない。
このオンライン会議室にいるのは全員が、漏れれば企業にも自身にも致命的な秘密を共有する運命共同体であった。
「ハッキングの形跡があったことは知っているな?」
一人が言った。
残りの全員の無言は、肯定を意味した。
「この情報が漏れたら我らがモーレ・ゲオメトリコは終わりだな」
「ああ、世界中から核攻撃を受けるようなものだ。それほどにこの案件はマズイ。これだけのプロテクトを破るなど、どれだけの腕のハッカーなのか」
「問題は情報がどう捌かれたかだ。未だに揺すってくる気配がない所を見ると、最も合理的で賢い使い方をされるかもしれん。もしくは、別の方向でさらに厄介な、義憤に駆られたタイプ」
一人がギチ、と椅子を揺らし、
「何にせよ、相手が何かアクションを起こすまでこちらは何もできない。情報を盗まれた時には基本的に後手に回るしかないようだ。……まったく、ハッキングを許した保安部の責任は重い」
「しかし、相手はウィザード級という報告も……」
一人がウィンドウを出した。
「タレこみがあったようだ。証拠付きでだ。女からだ。とあるハイランクの主役が件の情報を保持しているらしい」
場がざわついた。主導的立場の人間が吠える。
「その主役の情報を集めろ! すぐにだ! 対応できる人間を洗い出せ、どんな奴でもいい! すぐに動ける奴を!」
海後たちは目の前に現れたそのアバターの姿にくぎ付けになる。
そのアバターを彼らは知っていた。
散々やり取りしていた相手。
彼らの裏の主人。
ネットの中で活動する人間なら誰しも知っているはずの有名人。
「――べヒモス」
カチアが呟いた。
白髪に白い和風の装束を身にまとったアバターが完全に姿を現し、
仮想の地面に降り立った。
「やあ、日暮。調子はどうだい? 依頼した相手は捕まえられたみたいだね。君にしか出来ない案件だったよ。このオレには向かない汚れ仕事だったからね」
海後への個人チャット。
コーマ、とメグリが呟く。
海後は動揺しつつ、コーマへの個人チャットとグループチャット、両回線でこう言う。
「メグリ。ブロードキャスト中止……。どうしたんです? コーマさん。こんなところに。タイミング的に、今の少年の排除とあなたが関係あるとみんなに思われますよ」
白装束のベヒモスは答えない。
カチアがグループチャットで、
「逃げましょう」
と言った。メグリも海後も訳がわからないと言った声をあげた。
「どうしてそんなことを?」
「おそらくモーレ・ゲオメトリコ社はあなたが例の情報を持っていることを何らかの手段で掴んだんだわ。そして高馬初雪に暗殺を依頼した。殺されるわよ」
海後は当然その可能性には思い当っている。
しかし、もはや遅すぎたのだ。コーマが姿を現す前から、海後のアカウントにはジャミングがかかっている。
強制ログアウトとサイト内を逃げ回ること以外、何もできそうにない拘束だった。
コーマのチームによる妨害だろう。
「依頼主からオレに依頼があったのは幸運だった。いや、お前が相手だからこそオレに話が来たのかもしれないが。どうも大分御急ぎのようだったねえ」
絶対の余裕を感じさせる穏やかな声だった。
どうやら本当にカチアの言うとおりの理由でのおでましらしい。
メグリが絶望的な表情になる。
海後はとりあえずしらばっくれる。
「依頼主? 何のことです?」
コーマは微笑する。
「やだなあ、知ってるだろう? 日暮。よーく知ってるはずだ。よーくね」
声がねっとりしたトーンを帯びる。
ぞわっ、と、海後とメグリの背中を悪寒が駆け抜けた。
「海後! 何とか逃げられない!? 相手の保有エレメンタム量は300000を軽く超えてるよぉ!? どうしようもないって! 煮るなり焼くなり好きにされちゃう!」
海後は冷静さを取り戻し、まだわからん、と言った。
そして自分の目の前で不敵に笑うコーマを指さす。
「これまであんたの下であれだけ言うとおりにしてきたって言うのに、この仕打ちか! あんたは、金さえもらえば何でもするのでしょうね。あんたの100万人いるフォロワーにこんな場面は見せられないでしょう!」
「112万人だよ、海後。それにしてもまあ、そんなこともないさ」
コーマは手を広げてその場で一回転する。
気障というか、芝居がかっているというか、死ぬほどうっとうしい野郎だ。
海後はそう思った。
そんな思いをよそに、コーマは、
「ブロードキャストを始めたよ。君も自分が映ってるところを見なよ」
と言い放った。
急いで自分も利用する大手動画サイトに繋ぎ、ライブ放送の主役ジャンルの新着枠を見る。
何のラグもなく、自分とコーマが画面にいるのを確認する海後だった。
「みんな、こいつはテロリストだ。とある企業に濡れ衣をかぶせる気だ。絶対に許しちゃいけない」
放送のステータス画面のいいね!の数が急上昇した。
コーマのフォロワーたちが一斉にコーマの言葉を信じた証だった。
べヒモスが黒と言えば黒になってしまう。
それがホンモノの影響力というモノだった。
「クソッ!」
海後の悪態が虚しく響く。
「待って、海後! 何とか打開策を打ってみる! ……あー、でもつぎ込まれてる計算資源量が違いすぎるよぉ、これ無理かも……」
~日暮海後~
・保有エレメンタム 9280
・戦闘手段
『その人を見よ 』(違法性:ホワイト、コスト100エレメンタム)
『魅惑の愛撫』(使用法によっては限りなく違法に近いグレー、コスト10エレメンタム)
『極限疲労(サウザンドヤードステア―)』(違法性:グレー、コスト500エレメンタム)
『天網恢恢 』(オリジナルコマンド、違法性:ホワイト、コスト1000エレメンタム)
~高馬初雪 ~
・保有エレメンタム 317000
・戦闘手段
不明
海後は情報ウィンドウを見て絶句する。
まさかこれほどの差があるとは。
海後が最も裕福だった時期のバイナリ―コインをすべてつぎ込んでもこれの半分のエレメンタムも得られたかどうかわからない。
――やはり逃げるか?
コーマはそんな海後の逡巡を見て取ったかのように、アバターの口角を引き上げながら宣言する。
「みんな! どうやらこいつは戦うつもりらしいぞ! やましい所がある証拠だ! それが何かはわからないが……オレを雇った某企業に言わせれば、それはテロリズムの計画であるという!」
「ねつ造だ!」
海後は叫ぶ。
しかし完全にしらばっくれることができるわけでもない。
カチアの情報に基づいて行動することに決めている以上は。
コーマは笑みを崩さない。
「ヤダなぁ、べヒモスである僕が嘘なんかつくはずないじゃないか。なあ、みんな」
いいね! の大連打だった。
べヒモスのフォロワーは100万人以上。
そのうちの5%が今現在ブロードキャストを見ているのだが、それだけでも海後のフォロワーの総数を上回っている。
まあとにかく、と続ける。
「これに基づき日暮。君のアカウントの24時間監視を実行する。オレのチームの人間がずっとキミに張り付き、キミが本当に潔白かどうかを改めさせてもらう。常にフォロワーに自分を監視させている主役もいるくらいだぞ? 別に構わないよなあ?」
「プライバシー侵害だ!」
落ち着いて、と、メグリに個人チャットで窘められる程に我を失う海後。
それほどまでに追い詰められつつあった。
相手はもっともっと狡猾なのだ。
さらに真綿で首を絞めてくるに違いない。
グループチャットで相談に移る。
「メグリ、カチア、逃げることは出来そうか?」
メグリは首を横に振った。
「ムリムリムリムリ。5万人の前で尻尾巻いて逃げたらそれこそ言い訳が効かないじゃん」
「ではモーレ・ゲオメトリコ社の例の情報を公開するのは?」
今度はカチアが首を振る。
「今この場でそうしても苦し紛れの嘘と取られるでしょうね。もちろん、私がハッキングで得た情報は完璧よ。でも、情報は情報それ自体よりも、公開されるタイミングや状況が重要なの。『吟遊詩人』を使うあなたなら理解できるでしょう? こうなったらもう、現実世界か、目につかないアンガヴァンスペースか、どこかに逃げ込んでほとぼりが冷めるのを待つしかないわ」
しかし、コーマの監視がついている状態でそんなことができるはずもないのだ。
コーマが声をかけてきた。
相談は済んだかーい? と。
「それが不満なら、管理局に出頭したほうがいいんじゃないかな。それで疑いは晴れるはずだ。自分でいけないならオレが連れて行ってやるけど、どうする?」
管理局とはつまり企業連であり、モーレ・ゲオメトリコ社が理事なのだ。
それが狙いか。海後は答えにたどり着く。
衆目環視の中、逃げ道を封じ、堂々と自分たちの巣に引き込む算段だ。
もし言う通りにすれば何がしか難癖をつけられてアカウント剥奪と言ったところだろう。
(どうする……?)
海後は考えた。
メグリも、カチアも無論そうした。その思考の流れを耳障りな声が遮った。
「それとも何か本当に脛に傷でもあるっていうのか!? ああ! オレがもうちょっと下品だったら『魅惑の愛撫』でも使って君を取り調べただろうに! でもここまでみんなから期待される立場になったらそんな違法行為スレスレはできないなあ! やっぱり管理局直々に取り調べてもらわないと!」
フォロワーたちの笑い声を示すネットスラングがコメント欄を怒涛のように流れた。
状況に飲まれつつある海後。
アバターにそういう機能があるなら額を冷や汗が伝うのを感じただろう。
意思の力で気力を振り絞って二人に言う。
「ログアウトしても先延ばしになるだけだな。追跡できない場所に行くしかない。何とか隙を作って一旦アンガヴァンスペースに逃げ込む。サイト遷移の瞬間の一瞬だけでいい。奴からの妨害を何とかできるか?」
諦めたような笑みを浮かべたまま首を振るメグリだった。
カチアも、黙って目を閉じた。
海後は覚悟を決める。
「仕方ない、戦うか」
「ばっ!? 何言ってんの!? 敵うわけないじゃん! あんたが日々追い詰めてる犯罪者たちと同じ末路を、今度はあんたが辿ることになるよ!?」
「じゃあ他にどうしろというんだ!? 一旦逃がしてもらえとでもいうのか! 証拠隠滅の可能性とかなんだとか言ってはね付けられるに決まってる!」
「落ち着きなさい。日暮海後、神崎メグリ」
その言葉に黙る二人。
カチアの言葉には有無を言わせぬ何かがあった。
「考えがあるわ。私のハッキング能力を活用して……」
その時、海後の個人チャットだけにコーマの呼び掛けが響く。
余裕をいっぱいに詰め込んだようなゆったりした口調だった。
「やあ、日暮。二人だけでちゃんと話をしよう」
「――言いたいことがあれば公共チャットで言えばいいでしょう」
妙なことをしゃべってみろ。
ログを公開してやる。海後はそう思った。
いやあ、それなんだがねえ、と、コーマは言う。
「『疑い』レベルの話だからみんなに聞こえるように言うのはちょっとねえ。こういう話さ。日暮。どうしてばれたと思う? 君の企ての件だけど」
それが不思議だった。
その疑問は未だ腹に抱えているだけだったのに、意外な方面から指摘された。
「『女からのタレこみ』だったらしいよ。依頼主から聞いたところによると」
ドクン、と、海後の、アバターの仮想のものではない、肉体の心臓が跳ねた。
「どういう意味だ!?」
コーマはさあね、と言って、
「君の相棒、女と男一人ずつだっけ? まあ深い意味はないんだけど。そういうことなんじゃないかな? 裏切りって怖いよ。オレは自分の相棒を信頼しているけど」
カチアだ。
海後は強く思った。やはりあの女……。
ふと、メグリの可能性もある、と思い至るが、すぐに打ち消す。
彼だって、それなりの期間連れ添った相棒を信頼しているのだ。
最初に疑惑の目を向けるのはカチアに対してだった。
「忠告ありがとう」
海後は心にもないことを言った。
「では、俺はお暇させてもらいますよ。あんたの言ってることは全くの的外れなんでね。企て? 何のことやら。何かの勘違いなのでは?」
コーマが、チャットの向こうでアバターの表情をニヤッと歪ませているのが見て取れるような口調で返してきた。
「しらばっくれるんならいいんだ。うん。力づくでも連れて行くからさ。君も管理局にお墨付きをもらいたいだろ?」
海後は必死で頭を回す。
カチアを情報ごと引き渡すことまで考えた。
だがもう何をしても状況を切り抜けられる自信がない。
真正面から受けて立ったとしても。
「管理局に頼るかどうかはこちらが決めることですよ」
そう言うと海後はコーマとのチャットを打ち切った。
先ほどの会話に戻ろうとし、踏みとどまる。
(カチアに嵌められているとしたら)
そう考えると今一信用できない。
彼はメグリの方に個人チャットで連絡を取る。
「メグリ、何か方策はないか!?」
メグリはイラつきつつ、
「だからわかんないって! どうしようもないじゃん!」
「クソ!」
海後はグループチャットに戻る。
カチアの策を聞くだけ聞こうと。
「戻ったのね、日暮海後。相手はもう待ってはくれないわ。私の策なんだけど……」




