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アンガヴァンスペース ~電脳戦闘ログファイル~  作者: 北條カズマレ
セグメント1「電子の森の猟犬」
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ブロック1「日暮海後の日常」

 黒のコートを着たアバターが走る。ポリゴンの柱が屹立する中を。半透明の、オレンジや水色の、絡み合った構造の中を、まるで現実世界のように五体を動かして疾駆する。


 空気もなければ風もないのに、はためくようにプログラムされた真っ黒の頭髪が靡いた。


  弾丸のように走る行く手に転がっているポリゴンを、ハードルの様に飛び越える。


 樹木の枝のように張り巡らされたサーキットの屋根の中を、頭を下げて通り抜ける。


 彼の耳に女の声が届く。


海後かいご、標的はアカウントを複数所持している疑いがあるよー。明確な違法行為だね。片方のアカウントがまだ特定できてなくて相手の総ウォレット残高がわからないから警戒してねー」


 そしてもう一つ。こちらは青年の声だ。


「海後さん、標的の居場所のアドレスはそちらに送りました。ロケーションマップを経由せずに直接飛ぶと勘づかれるのでそのまま足で向かって下さい」


「了解、今回も小物のようだな。もう少し食いでのある相手が欲しいな」

 


 日暮海後ひぐれかいご


 さながら猟犬のように電子の世界を疾駆することを生業としている男だ。


「セイ、標的の正確なロケーションは?」


 全速力で駆ける海後の目の前、邪魔にならない程度の大きさと角度で空中に開かれたウィンドウ。


 彼の相棒二人の声はそこから発せられていた。


 左右にウィンドウが一つずつ、二人のアバターのバストアップの映像が映し出されている。


 彼らが海後のサポート役、長い青髪の女、メグリと海後より年下のセイだ。


 浅白い肌に憂鬱そうな表情を乗せたセイの青年のアバターが首を振った。


「無理です、海後さん。直接確認して下さい」


 海後は今度は宙に浮かぶ別のウィンドウへと声をかける。目は前方の一点を見つめたまま。


「メグリ、それ以上の情報は手に入ったか?」


 青髪の女アバターが肩をすくめる。


「これ以上は無理ね。なにせ複数アカウントを使ってるだろうし、特定できてる方のアカウントの公開情報はすべてダミー。わかるのはそっちのバイナリ―コインとエレメンタムの残高くらい。攻撃的なアプリケーションを持ってないといいけどねー。っま、十中八九自衛手段を持っているでしょ。いつもどーり、割に合わない仕事だね、ごくろーさん」


「標的の脅威度を宣伝するのはお前の仕事だろ。頼むぞ。俺の人気のために」


 ウィンドウの中の女はニヤニヤと下品に微笑んだ。


「へいへい。フォロワーの皆さんのご機嫌取りのために頑張ってねー」


 その隣のウィンドウに映るセイが陰鬱な顔のまま窘める。


「よくないですよ、メグリさん。フォロワーさんも今この状況をライブの形で見てるんですから。僕たちの会話はグループチャットだから聞かれないからって、そういうこと言わない方がいいです。フォロワーさんは大切に。そうでしょ? 海後さん」


 答えもせずに海後は走り続ける。


 急がないと「ヤツ」が次の犯行をするまでに間に合わない。


 奴が国内大手のオンラインストレージサイトに情報人質ランサムウェア型ウィルスを送り込む犯罪に手を染めはじめて随分経つ。


 「72時間以内にバイナリ―コインを指定口座に送金しないと顧客のデータを消去する」という脅し文句が何度もサイト管理者のコンソール画面に踊った。


 三十年前からある手口だ。


 解決に向け動き出した非公的機関の人間の内、もっとも犯人に肉薄できたのが海後なのだ。


 被害を食い止めるのが遅れれば遅れるほど、事態の推移を見守るフォロワーからの評価は下がる。


 急がなければならない。


 奴を検挙するタイミングは、ネット空間上に直にダイブしていることが確認されている今しかなかった。



 ツリー状に配されたサイトマップが空間的に具象化され、混み合った森林か洞窟のような様相を呈している。


 迷路のようなその中を抜けた先に、北米大陸の砂漠地帯に見受けられそうな、切り立った断崖があった。


 データ量の差異に起因する垂直数十仮想メートルの段差を、海後は投身自殺でもするように飛び降りる。


 はるか下に、奴はいた。


 海後は敵の解析情報頼む、と落ち着いた声で言った。


「りょうかーい。おやおやぁ? 敵保有エレメンタム量、極小。他のことに使っちゃったみたいね。海後、安心して、らっくしょーだよ」


「よし、敵のサイト遷移妨害・及びログアウト防止措置を開始せよ、獲物を檻に入れるんだ」


 海後は相棒にそう命じると、落下する勢いそのままに崖下の地面に爆音を立てて着地。


 キューブ状のポリゴンが礫や飛沫を表現するため現れ、すぐにかき消えた。


 標的はひどく驚いたようで、行動を止める。


 茶色いコートを着た目立たない容姿のアバターだった。


 踵を返して海後から離れようとする。


「海後さん! 逃げられてしまいますよ! 急いでください!」


「だいじょーぶだいじょーぶ。あたしらの海後だよ? 安心して見てなって。管理局への仮通報完了。これでもう奴は申告ナシの勝手なログアウトで厳重審査のペナルティーだよ。脛に傷があるからもう逃げられないね」


 標的は海後の前方約20仮想メートルをアバターの基本移動速度の限界値で走っている。


 海後も急いでその後を追うが、限界の速度はどのアバターも一定であるから、このままだと永遠に距離が縮まらない。


 なのでこの手だ。


「50エレメンタム、消費バーン計算資源リソース取得、速度増加ブースト


 海後のアバターが増速する。


 原色に彩られた、単純な立方体のポリゴンでできたジャングルの中をぐんぐん進んでいく。


 標的の茶色コートの男はちらりと振り返ると、迫って来る海後に恐怖したようにさらにスピードを上げようともがく。


 しかし増速のためのエレメンタムを惜しんでいるのか、それとも敢えてなのか、標的は速度を上げることなく、二人の間はどんどん詰まっていく。


「よっしゃあ! もう少しで追いつけるね!」


「いえ、気を付けてください、海後さん。相手は3000ほどウォレットにエレメンタムを入れているんですよ? 攻撃手段を持っていないハズがありません。おそらく罠です」


「わかっている」


 色とりどりに着色されたデータのトンネルの中を、標的の背中を睨みつけながら走る。


 もうそれは目の前にまで迫っている。


「メグリ、ヤツのサイト遷移は妨害できているな?」


「もちろん。ビシバシ妨害プログラム送ってるからヤツはこのロケーションマップを逃げ回るしかできないはずだよ。追い詰めちゃってー」


 標的が海後の持つ攻撃手段の射程範囲まで近づいたことを確認する。そして、こう唱えた。


「500エレメンタム、消費バーン、『極限疲労サウザンドヤードステア』(違法性:限りなく黒に近いグレー、コスト500エレメンタム)」


 海後の周りにメグリやセイが映っているのとは別のウィンドウが浮かび上がる。


 そこに機関銃のように様々な申請コードが大量に表示されていく――申請先は、標的のアドレスだ。


 その男は急激に走る速度を落としていく。


 相手の保持している計算量からすると致死量の負荷がかかっているのだ。


 ブロッグノイズを生じさせながら標的のアバターのポリゴンまでもが揺らいで、完全に停止する。


 海後は増速を止め、不規則にノイズを何度も浮かべながら完全に停止している敵アバターににじり寄る。


「なぁんだ、楽勝だね、海後。セイも心配し過ぎだってのぉ!」


「そうでしょうか……」


「……あっけないが、犯罪の証拠を提出してもらおう。10エレメンタム、消費バーン、『魅惑の愛撫ブランディエントゥール』(使用法によっては限りなく違法に近いグレー、コスト10エレメンタム)」


 本来無害なコミュニケーション用アプリだが、海後たちはこれを相手の情報を抜き取る目的で使う。


 アバターに触れることにより、その履歴の全てを読み取り、証拠を入手し、管理局に突き出すのだ。しかし海後のアバターの腕が触れたそのタイミングで、今しがたまで動かなかった男のアバターがノイズを生じさせながらも口を動かした。

「2000エレメンタム、消費(バーン)、『虎は爪で知れる(エクスウングエレオネム)』(違法性:ホワイト、コスト500エレメンタム)」

 そのセリフを聞き、メグリが驚いて叫ぶ。

「カウンター型プログラム!? これって……」

「海後さん!  攻撃者の情報を盗むコマンドです!」

「ちぃっ!! 姑息な!」

 海後は悪態と共に飛び下がる。盗まれた情報をもとに致命的な攻撃をされる可能性があったからだ。しかしその男は……。

計算資源リソース取得、全計算資源リソース使用、処理負荷超過状態解消、サイト遷移」

 攻撃はなく。

消費バーンした残りのエレメンタムのほとんどを計算資源リソースにつぎ込み離脱……それがこの男のとった行動だった。その姿は海後たちとは別のアドレスへと消え去った。

「あーあ、逃げられちゃった。ごめん、たったこれだけの計算資源リソースでこっちの妨害をはねつけられるほど腕のいいハッカーだったなんてわからなかったんだよ〜、許して〜」

 あまり申し訳ない気でいるわけではなさそうな、むしろ面白がっているような声のメグリ。セイは、

「海後さんが、検索しても出てこない『オリジナル』のプログラムを持っていたせいでしょう。敵わないと見たんです」

 と、慰めのつもりの言葉を吐く。『魅惑の愛撫ブランディエントゥール』 のようなパブリックドメインのプログラムとは違い、オリジナルのそれはただ表面的情報を盗んだだけではどういう効果を発揮するモノかうかがい知ることはできない。故に、犯人はそれをリスクと見たのだろう。海後は歯ぎしりしながら、

「野郎……だが、まだ間に合うさ。メグリ! さっき一瞬触れたよな? その時に得られたデータはどのくらいだ?」

 海後のアバターがウィンドウの中のメグリのアバターを見る。えっと、と、彼女は手元のタブレットを見るため一瞬俯くと、驚いたように顔を上げる。

「結構あるよー。でもこれおっかしいねえ。正常にネット生活を送れば埋まっているハズの履歴がほぼスッカラカンだよ」

「ほう。そうすると今追っているのは恐らく……」

 その時、セイが叫んだ。ここから数アクセス分遷移したサイトに奴を発見したらしい。裏で情報提供契約を結んでいる取引所に奴がアクセスしたが故に成功したのだ。海後はそれを聞くや否や、ためらうことなく頭に行き先のアドレスを思い浮かべ、そこへと直接遷移した。元いた場所から海後のアバターが瞬時に消え、目的のサイトにまた瞬時に現れる。

 そのサイトは空白ブランクだった。真っ白で何もない広い空間の中、建設機械の外観を模したダミーのポリゴンモデルが各所に横たえられ、閉鎖に近い状態であることを示している。ここなら周りに被害を出しても即、管理局が介入してくるというコトはないはずだった。

「決戦場と言うわけか。エレメンタムの補充は済んだようだな」

 警戒を強める海後に、メグリが情報をもたらす。

「確かに敵エレメンタム量はそれなりに回復しているよ。敵はもう移動してないね。まるで待ち受けてるみたい。フー、かっこいい!」

「海後さん、気を付けて」

「了解。チンケな犯罪者にしては肝が据わってる。俺相手にそうくるとはな」

 水色をしたデータの柱を回ったところに果たして奴はいた。何をするでもなく、仁王立ちで俯いている。だらりとしたコートにだらりとした腕。海後が姿を見せても微動だにしない。

「ナニアレ。諦めた? てっきりダメもとでログアウトでもしているものと思ったのに。それすらしないでお縄頂戴まで突っ立ってる気?」

 と、メグリ。

「どうでしょう……。危険なにおいがします」

 と、セイ。

「ふむ。しかし近づかないことには話にならない。こちらの現在使用可能な攻撃手段は鈍足化する『極限疲労サウザンドヤードステア 』しかないんだからな。それももはや相手の知るところだが」

 海後はそれだけグループチャットで言うと、ズンズンと犯罪者のアバターに近づいていく。

「海後さん、気を付けて下さい。相手のウォレット残高はもう1000程度ですが、何をするつもりかわかりません。それに違法な手段で隠しエレメンタムを得ることもできます」

 セイがウィンドウに敵ウォレット残高を表示する。先程取引所で補充された結果、あと一、二度、中規模な攻撃プログラムを使うことができそうだった。ウォレットの中身は公開情報で、なおかつ登録された実名が紐づけられているから、誰でも中のエレメンタム量がわかるのだ。

「ま、やってみればいいんじゃない? それしかないんだしさあ。何か兆候があればすぐに言うし。突っ込んでらっしゃーい」

 何もない広大な白色の空間で、二人の距離は狭まっていく。緊張が高まる。現実世界でモニターに向かっているセイがごくりとつばを飲み、ご丁寧にそれがウィンドウの中のアバターにも再現された。隣の画面の中のメグリはあくびすらしているが、それがフリでどうにかして緊張をほぐそうとしているのだと海後は知っている。

 ついに二つのアバターはあと一歩の距離に近づいた。何も起こらない。犯人はうつむいたまま何も行動を起こさない。訝しむサポート役二人を尻目に、海後は『魅惑の愛撫ブランディエントゥール』 を起動し、標的に触れて決着をつけようとする。果たして、その試みは成功する。海後のアバターの、標的の肩に触れた手が大量のクリティカルな情報にアクセスしたのだ。独特の効果音と共に標的のデータが海後の仮想データストレージに流れ込んでいく。

「やったね! 海後! 楽勝だったじゃん!」

 メグリが相手の個人情報から接続履歴に至るあらゆる情報を解析しようと海後のストレージにアクセスした、しかし、

「これは……ログアウトしてる!? それなのにアバターがまだ生きて……!? スクリプトだよ! 海後! 罠!」 

「逃げるんです! 海後さん!」

 すかさず飛び退って標的から距離を取る海後。その目前を真っ白な光が包んだ。標的を包むようなそれは数舜後、跡形もなく消え、「アカウント停止処分」の赤い文字が真ん前に点滅するアバターのみが残された。メグリが呆気にとられたようにつぶやいた。

「あ……アカウント停止の実行……管理局による……」

 海後は頷く。メグリとセイの映るウィンドウの方を見ることもなく、

「捨て身の攻撃だ。気に食わん 」

 とだけ言った。セイがそれを聞き、合点がいったように、

「なるほどですね。違法行為をした自分を自ら通報することで管理局からアカウント停止アクションを引き出した。恐らく何らかの犯行予告も加えて。そういう場合、緊急案件として問答無用でアカウントが停止される。『魅惑の愛撫ブランディエントゥール』 のような違法スレスレの接触を続けてるところを見られたらペナルティ食らってたってわけですか……」

「あー、『魅惑の愛撫ブランディエントゥール』 をこういう用途に使ってる最中にそうなったら管理局から大目玉だねえ。はあ、まあ、よく避けられたね。褒めたげる」

「……メグリさん、もう少し安全な方策が取れたのでは? 例えばあなたがもっと相手の情報を解析して……」

「文句あんのぉ? 戦術指揮は不得意だから、あたし」

 メグリとセイの掛け合いを尻目に海後は新たなウィンドウを開く。そこには膨大な人名録が記載されていた。

「メグリ、これは今しがた停止されたアカウントが持っていたアドレス帳だ。これだけは完全な形で奪取できた」

 セイが早合点して、

「その中に別アカウントがいるとお思いですか?」

 と言った。しかしメグリには海後が何をしてほしいかわかるのだった。

「あー、りょーかいりょーかい。同一のサイトにアクセスした履歴を持ちつつ不自然に接触して『いない』アカウントを探せってんでしょ。そしてそのリストに対象がいないことが前提条件ね。簡単簡単」

「頼むぞ。……まったく、小賢しい真似しやがって。犯罪者が。大人しくまっとうに生きるか、自殺して自分に似合わないこの世界から退場するか、簡単な二つのことが何故どちらもできないんだ。受け入れろよ現実を。お前は社会の階層を這いあがれるだけの器じゃないんだ。今頃別アカウントのアバターをガタガタ震わせてるといいんだが」

「……ひどい言い方だね」

 メグリが正直に想うことを口にした。セイもそれを聞いて思うところあったのか、口を開きかけたが、やめた。この人は一年前に出会った時からそうなのだ。容赦のなさとそれが絶対に変わらないことはよく知っているつもりだった。


 これが2048年の日常。現実世界での生活は国家と企業に絶対の忠誠を誓うことで保証される。しかしそこからいったんはみ出せば何の保護も受けられず、社会の中の、夢も希望も剥奪された場所で犯罪に縋って生きるほかなかった。そんな人間の中で、ネットの中の、犯罪以外の活動に活路を見出そうとした人間たちがいた。没入型インターフェースでネットに入り浸り、多数のフォロワーの人気を獲得し、それらからの暗号通貨の寄付で生きる彼らを人は、主役プレミアプランと呼んだ。

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