全裸ニートの外出
暴虐の限りを尽くしているトラムプ氏をなんとかしなくてはならない。そうした義憤に駆られ、私は急遽渡米することにした。しかし、私にはパスポートが無かった。それ以前に旅費も無かった。それどころか、外に着ていく服が無かった。全裸ニートに経済的余裕は皆無なのである。
それでも、私はじっとしていることが出来なかった。両親に見限られ、半ば座敷牢と化している自室で日々悶々とスクワットをして過ごした。おかげで大腿筋がムチムチに発達した。過剰なマッスルを纏った下半身の威力は凄まじく、ついに私は垂直跳びで天井を突き破るレヴェルの脚力を手に入れた。
これ程のパワーをもってすれば、跳躍だけで大西洋を横断できるかもしれない。未だかつてない自信を手に入れた私は、ついに禁断の全裸外出にチャレンジした。
しかし、ここで思いもよらぬ邪魔が入った。
民生委員のヨシムラさんである。
ヨシムラさんは高齢の婦人である。昔は精神科の女医として活躍していたらしいが、ボディビルダーとしての夢を捨てきれず、48歳で退職した過去を持つ。じつに破天荒な民生委員である。
およそ4年前、私がニート宣言をして三か月後、両親は彼女を家に招き入れた。そのとき、私は恐怖のあまり脱糞した。それ程までにムキムキのババアを私は見たことがなかったからだ。この日の経験がPTSDとなり、私の社会復帰が絶望的なものとなったことは言うまでもない。
あれから4年経った。
自室を出た先の廊下で彼女と再会した時、私は失禁した。
情けない話である。しかし、4年前の脱糞に比べれば幾分ダメージは少ない。それだけ私も成長したと言えるのだ。
しかし、そんな私の成長に、両親は気付く素振りもない。
「タカシ、目を覚ませ! そして頼むから服を着てくれ」
「そうよ! いくら大腿筋が発達しても、大西洋を横断するなんて不可能だわ!」
厳つい肉塊たるヨシムラさんの背後から両親の声が聞こえる。
心の底からため息が込み上げた。
『タカシクンハヒトリジャナイ。ミンナミカタ。ミンナナカヨシ』
全身の筋繊維を痙攣させるという独自の発声法でヨシムラさんが言った。
「ええい! うるさい!」
私は超・床ドン(※思いっきり床を踏みつけ両親を威嚇するニート技のハイエンド)を繰り出した。脚力が付きすぎたせいで、床に巨大な穴が開く。これ幸いと、私はその穴から床下に逃れた。
そして戦慄した。
「なんじゃあ、こりゃあ……」
床下には広大な空間が広がっていた。どうやらトレーニングルームらしい。それっぽい器具が延々と並んでいる。およそ100人の筋肉質の老若男女が、低いうなり声を上げながらトレーニングを続けている。一体どれほどの時間と金とドブに捨てれば、これほどのリフォームが可能だというのだろうか……。そのあまりの絶望的光景に眩暈を覚えつつ、私は脱糞した。脱糞したのだ、結局。
4年前の悪夢がよみがえった。
上から父の声が聞こえる。
「そうだ、タカシ。お前は4年前から何も変わっていない」
続いて母の声。
「でも、私たちは変われた」
嫌な予感がした。
「ヨシムラさんのトレーニングのおかげでね」
見上げた途端、地下室の天井が崩れ、変わり果てた姿の両親と、相変わらずのヨシムラさんが降ってきた。三人が三人とも甲乙丙つけがたい程のマッスルを身に纏っていた。その表情まで筋肉質で、最初、それが両親であると確信するのに、5秒ほどの時間がかかった。
『ミンナムキムキ。ミンナシアワセ』
ヨシムラさんが言った。
私は反論した。
「それ、ムキムキってレヴェルちゃう! バキバキや!」
ああ、なんということだろう。私はとんでもない過ちを犯したのだ。私が引き籠っている4年間の間に、ヨシムラさんは両親を洗脳し、この家を乗っ取ったのだ。しかも、地下にトレーニングルームまで増設して!
「畜生! 畜生!」
どうしてこんなになるまで気付けなかったのだ。
私は自分自身の間抜けさを呪った。
私が打倒すべき相手はトラムプ政権などではなかった。
この、得体の知れない筋肉質のクソババアこそが、真の敵だったのだ!
* * *
それから数年、怒りに任せて、私は闇雲にトレーニングした。
家族を奪われ、家を乗っ取られた全裸の私に出来ることと言えば、トレーニングくらいしかなかった。
トレーニングに伴って発達する筋肉だけが、唯一私の心を慰めてくれた。
どれだけ月日が流れただろうか。
気付けば私の筋肉量は、ヨシムラさんのそれを遥かに凌駕していた。
「おめでとう、タカシ」
「頑張ったわね、タカシ」
不意に拍手が聞こえ、振り返る。
そこには私と比して相対的に華奢になった両親が居た。
二人の背後にはおよそ100人のマッスルアーティストたちが整列し、拍手をしている。
そんなマッチョたちを掻き分けて、ヨシムラさんがぬっと姿を現す。
『オメデトウ、タカシクン。トキガミチタ』
ヨシムラさんはそう言って、スマートフォンを大胸筋の隙間からつまみ出した。そして、どこか異国と思しき場所に連絡をする。
途端、トレーニングルームのスピーカーから様々な言語の喝采が聞こえた。
「父さん? 母さん? これは一体?」
ベンチプレスの台から降りて、私は両親に尋ねる。
二人とも、肉体ムキムキのままであるが、その表情は穏やかで、どこか憑きものが落ちたような清々しさを纏っていた。
「戦争が終わったんだよ、タカシ」
「え?」
「トラムプ政権の暴走により、第三次世界大戦が引き起こされた。それがついに終わったの」
母はそう言って首をかしげる。この首をかしげるポーズは、ムキムキになる前から変わらない彼女の癖である。
「すまない。私はアニメ以外のテレビ番組を見ないんだ。戦争って、なんのことだ?」
「超然としているのね、タカシは。でも、ヨシムラさんは、アナタのそういうところに期待して、アナタをエリート筋肉戦士に育て上げたのよ」
「な、なんだってー!」
状況がイマイチ呑み込めないが、とりあえず驚いてみた私であった。
「だが、また始まる……」
父が言った。
「何が?」
「だから、戦争が、だよ、タカシ」
「ごめん。分からないよ。何がなんだかさっぱりだ」
私が混乱していると、ヨシムラさんが「Follow me.」と言って、垂直跳びで天井を突き破った。
ヨシムラさんの本当の声を聞いたのは、この時が初めてであった。
私も垂直跳びで彼女に続いた。
地上に出て驚愕した。
かつて我が家があった場所には何も無く、ただただ広大な荒野が広がっていた。
私に続いて両親と、筋肉アーティストたちが次々と地上に飛び出してくる。
「これは、一体?」
「核戦争の行きつく先よ。およそ文明らしい文明は滅びたの」
ヨシムラさんが言う。
「これから何が始まるんです?」
「第4次世界大戦よ」
「え? しかし、戦争は終わったばかりでは?」
ヨシムラさんは、一見脈絡のなさそうなことを滔々と語った。
「タカシ君。理想を語るには、それに見合う力が必要なの。それに、タイミングも大事。昔のアナタにはその両方が欠けていた。でも今は違う。殆どの文明が滅びた現在、主たる戦闘行為はかなり原始的なものになると予想される。棍棒を持って殴り合うのが一般的なファイトスタイルになるはずよ。そんな中で、我々の発達しきった肉体は、強大なアドバンテージを発揮できる。」
「つまり?」
ヨシムラさんは私の疑問には答えなかった。いや、彼女は彼女なりに答えたつもりなのだろう。しかし、私にはその回答の意味を理解することが出来なかった。それだけのことなのだ。
「さあ、いくわよタカシ君。今度こそ、トラムプ政権を打倒しよう。そして、私たちが、在りし日の社会を、あの健全な資本主義の社会を取り戻すの!」
困惑する私を見かねてか、父が割って入ってくる。
「お前が知っているトラムプ政権は、高度に暗号化されたAIのほんの一部が顕在化したものに過ぎない。我々の敵は、そのAIのハードウェア本体だ。我々はこれから、その本体を探すべく、キャラバン行進を実行する。この旅は過酷なものになるだろう。正直、我々やヨシムラさんは、途中で寿命を迎えるだろう。しかし、全裸ニート生活で『超然』を極めたお前なら、必ずやすべての困憊と悲しみを乗り越えられると信じている。」
「タカシ。アナタが私たちの最期の希望」
母はそう言って涙を流した。
しかし、その涙は、全裸ニート生活で垣間見せた悲しみの色を帯びてはいなかった。
いまだかつて、これほど期待されたことは無かっただろう。
とはいえ、依然として訳は分からない。
むしろ、分かってはいけない気がしていた。
理性が理解を拒んでいた。
だが、そんな理性とは裏腹に、無闇に活力が漲って来るのを感じる。
もはや私は、かつての私ではなくなってしまったのだ。
堪えきれず、私は駆け出した。
私に従って他の全員も駆け出した。
全身の筋繊維が痙攣し、鬨の声を上げた。
その瞬間を境に、私という一個の精神は消滅した。
もはや私は一人ではなかった。
皆、トモダチだった。
みんな、ナカヨシダッタ。
『ギョエェエエエエエエン』
かくして、私は念願の全裸外出を果たしたのであった。