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すたすたと歩みを進める蓮華は、そのまま葉子の横を通り過ぎる。邪魔だ、というのは本心からの言葉だったのだろう。
葉子は顔を伏せる。少しでも泣き顔を他人に晒さないように、という彼女の最後のプライドが、そうさせる。
アスファルトに押さえ付けられたせいか、その頬に埋まるように砂利が刺さっていた。出血はないが、妙に痛々しい姿だ。
そんな彼女の直前。
通り過ぎる瞬間に、蓮華は一言、吐き捨てる。
「泣くくらいなら、少しは抵抗すればいいのに」
「っ!!」
その言葉が葉子の胸に突き刺さる。
(……そんなの…………!)
ぎりっと奥歯を噛み締め、蓮華を見上げる。
目尻に涙を浮かべたまま、敵意満々の視線。
それが蓮華の横顔を射抜いた時、彼女もまた横目で葉子を見る。
二つの視線が交差する。
蓮華のような強かな人種には、分からないことだろう。
抵抗することが何を意味するのか。
よく「抵抗」することで虐められなくなるというが、それはただの成功例に過ぎない。
中には抵抗することで悪化するような虐めも当然ある。
そして、今回のものは恐らくそれだ。
あの女たちのような自尊心が過剰なタイプは、一度二度抵抗したところで止めてはくれないだろう。
それに彼女の中にもプライドというものがあった。
他の誰かに助けを乞うこともできなかった。
いや、したくはなかった。
それは他人に弱味を晒すことをしない彼女の性質故のものだ。
(そんなの……、わかってる……!)
葉子は顔を伏せ、俯いた。
第三者の言い分は蓮華のそれと同じだろう。
誰に訊いても同じ回答が出るはずだ。
それでも。
それでも……。
葉子は、抵抗も、助けを乞うこともできない。
こんな八方美人を突き詰めたような人間だ。
虐められるのもある種仕方の無いことだとも言える。
顔を伏せる葉子の元を過ぎ去り、彼女は歩いていく。
(……でも、……でも! どうしたらいいか、私にも分からないんだよ……!)
葉子は眼鏡を外し、制服の裾で涙を拭う。
その姿に私はもどかしいものを感じていた。
過去に手を出すことはできないため、どうすることもできない状況。過去の彼女が自らの手でその状況を打開するしかない。
そのことにもどかしい気持ちになる。
別に「イジメ」という人間社会の排他機能から彼女を助け出したいわけではない。
ただ、彼女の記憶を共有してるが故に、ついつい彼女の気持ちに寄ってしまうというだけだ。
しばらくそこで座り込んでいると、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。夕立だ。
(……雨、そろそろ帰らないと)
葉子は俯き、そう思うが、直ぐにその考えを改めた。
(……いや、今日はお母さんもいないし、……どうでもいいか……)
最初は小雨だったのが、だんだん激しくなっていく。
本降りになった雨に打たれ、彼女の髪や制服が濡れて、肌に張り付いた。
(……つめたい)
葉子は膝を抱えながら座っていると、不意に雨が止んだことに気が付いた。
(……え)
違う。
まだ周りのアスファルトが雨に打たれている。
雨が止んでるのは、自分の元だけ。
そこでようやく彼女は、それに気が付いた。
「いつまでそうしてるつもり……? 風邪を引く」
目の前に去ったはずの黒崎蓮華が立っていた。
その手には、ビニール傘。
それが葉子の元に降る雨の雫を全て弾いていた。
「ほっといてください……」
葉子は俯いたまま呟いた。
だが、そんなことに従うこともなく、蓮華はその小さな手で、葉子の腕を掴み、
「……ちょっとついてきて」
と引きずるように葉子の手を引っ張った。
「な、なにを!」
「いいからついてきて」
「く、黒崎さん! は、はなしてください」
有無を言わさず葉子は蓮華に連れて行かれる。
その手を振り払おうにも、力の差がありすぎてまったくビクともしない。
蓮華のその小さな体のどこにこれだけの力があるのだろうか。
結局、葉子は早々に諦めた。