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我が名はリリー。この神社に奉られる、縁結びの神様である。
司る縁故の属性は、百合。
百合というのは、花のことではなく、その恋愛を花に喩えたものが、それだ。
つまり女性同士の恋愛成就の神様というわけである。
人呼んで百合神様ーーー。
それが私の通り名のようなものだ。
おっと、今日もまた一人。
我が神社に参拝者が訪れたようだ。
黒髪お下げに眼鏡をかけた少し地味目な少女。
名は、田中葉子ーーー。私立百合の園高等学校の一年生のようだ。
どうしてそんなことを知ってるかって?
それは私が百合の神様だからである。
神様に不可能はない。
そう、人間の個人情報を得ることなど、この神にとっては赤子の手を捻るよりも楽だ。
長い階段を登り、鳥居を潜って、彼女は我が元までやってきた。
どんよりと暗い表情だ。
理由は分からない。
当然、見ようとすればその理由を知ることは容易いが、それは出来ない。いや、出来ないというよりは、やってはならないことになっている。我々、神様にも絶対の掟というものがあるからだ。
それを反すると厳しい処罰が下る。
絶対の掟。
その掟のひとつに『神々は基本的に人々の流れには不干渉に在るべし』という条文がある。その中の一項目ーーー。
『祈願せぬ者の心に触れてはならぬ。これに反し者、厳しい処罰を与える』という内容だ。要は、参拝してる時以外には、心を覗いてはいけませんよ、という掟。
何故、こんなものがあるのかと言うと、それは神々による信者の取り合いを起こさない為である。
神様というのは、私だけではない。
八百万。
つまり数え切れないほどの神々が存在している。
それは人知を超えた力を持ち、奇跡を引き起こすことができる。
当然、人心を歪めることも容易いだろう。
そんな我々が信者を得るためだけに人心操作の力を使いまくったらどうなるか。
想像に容易いだろう。
人間という思考ある生き物が神々の操り人形に成り果てる。
それを防ぐ為に太陽神天照大御神が幾つかの掟を我々に定めた。
それが、それだ。
人には自由に信仰する権利が与えられている。それを歪めることは、絶対に許されないこととして、神々の間でも定められた。
つまり私も彼女が信仰を仰ぐまでは、その心に触れることはできないというわけだ。
長い階段を登ったことに対する疲労か。彼女は肩で息をしていた。
見るからにインドア派の彼女だ。
日頃から運動をしてないから体力がないのだろう。
田中葉子は賽銭箱の前に立つと、その中に五円玉を放り込んだ。
ご縁がありますように、という願掛けなのだろうが、私としてはこの神社の運営資金の為に、もう少し入れて欲しいものだ。
パンパンと彼女は手を叩き合わせ、目を閉じ、一礼する。
(百合神様。どうかおねがいします。私とあの子を結び付けてください)
彼女の祈願と同時に、その記憶が私の頭の中に流れ込んでくる。
来た……!
これだ……!
祈願することで初めて私は彼女の心に触れることができる。
私の中に彼女の想いが流れ込んできた。
この感覚。何度体験してもいいものだ。
目の前の景色が、彼女の記憶の中の景色に切り替わった。
今、私の見てるものが、彼女の今まで見てきたもの。その一部の光景だ。
そこは百合の園高等学校の一年B組の教室。その前列に田中葉子は、座っていた。
担任の先生から「クラス全員のプリントを集めて、職員室まで持ってきて」と言われた彼女は、元々の断れない性格が災いして、こういう面倒事ばかりを押し付けられていた。
(もう、やだな。こんなことばっか、皆、なかなか自主的に提出してくれないし……)
というようなことを考えながらもプリントをまとめる葉子。そこでようやくプリントが一枚足りないことに彼女は気が付いた。
(あれ、足りない……、ってああ、またあの子か)
葉子はちらりと後方の窓際の席に視線を向ける。
そこには、染めてるのか派手な金髪を靡かせて、窓枠の外の風景を眺め続ける女の子の姿がある。
いわゆるヤンキーという人種だろう。
プクーと風船ガムを膨らませ、黄昏ていた。
絵になる光景だ、と私は思ったが、葉子は違うようだ。
(……目立ちたがり屋が。まだ教室にいるんならさっさと出せよ)
と内心で憤っていた。
だが、それを表に出すことはせず、心の内側で思い続けるだけ。表面は目立たず誰にでもにこやかだが、内心では黒いものを抱えている。それが田中葉子という女の子だった。
彼女は席を立ち、窓際の金髪の元まで歩み寄る。
「あ、あの、く、黒崎さん、その、提出物を取りに来ました」
怯えるような、少しおどおどとした態度で、葉子はその校則違反の限りを尽くしたかのような金髪少女ーーー黒崎蓮華に話し掛けた。
内心に抱くものとは、真逆の態度である。
蓮華は葉子を一瞥すると、ひょいと何も言わずにプリントを差し出した。
「あ、ありがとう」
プリントを受け取った後、
(……無視かよ……、むかつく)
そう思いながらも、しぶしぶ元の席に戻る。
これが田中葉子の中にある、黒崎蓮華との一番古い出会いの記憶だった。
最初は心象最悪だった。それが次第に変わっていくことになることを、この頃の葉子はまだ知らない。