7 エリオットの憂鬱
部屋の机に向かって姉のシャルは明日から一週間をどう過ごすか頭を悩ませていた。
いつものようにエリオットが食堂でご飯を食べようと誘ってもシャルは断った。
その後もエリオットはシャルが食堂に来るのを待っていたが、結局来なかったので銀色のトレーに食事を乗せて部屋に戻ってきたわけだ。
「姉さん、ご飯は食べんといかんよ?」
「ああ、そこに置いて」
「………姉さん、市場から帰ってきてからおかしいで?」
エリオットが心配してもシャルの耳には届かない。
しかもレイチェルもエリオットと会うなり、顔を青くして無理やり笑う。加えるなら会うことを避けているようにも感じられる。
(怪しい)
市場から帰ってきてからシャルは人が変わったように顔つきが変わった。
馬車から降りるなり、顔は綻んでいて他のシスター達はその顔を見るなり小さな悲鳴をあげていた。
自慢の姉を化物みたいに、とエリオットは他のシスター達を睨んだ。
いつものシャルならこら、と額を叩くのだがその日のシャルは違った。
エリオットなんて眼中に無いように真っ直ぐ院長室に向かったのだ。
レイチェルに何かあったのかと聞こうとしたが早々に逃げられてしまった。
院長室から出てきたシャルにエリオットは問ったが返ってきた返事は『一週間だけ休暇貰ったから』の一言。
(ほんま、寂しいわあ…)
エリオットはシャルの背中を眺めながら静かに瞼を閉じ、ベットの中で眠りについた。
◆◆◆
「おいエリオット!大丈夫か?」
「ん、あぁ…アーロンくんか、どないしたん?」
「それはこっちのセリフだ。いつもよりボーッとしてるし。ところでシスターシャルはどこだよ? 探してるけど見つかんねーんだ」
うーんと唸るアーロンを見て、エリオットは小さくため息を吐いた。
勘の鋭いアーロンがいくら探したところでシャルが見つかるはずが無いのだ。
なぜならシャルはエリオットが起きた時点でもう出掛ける身支度を済ませていたのだ。
そしてエリオットが急いで身支度を終えた頃にはシャルは『出かけてくる』と言って馬に乗り、どこかへ行ってしまったのだ。
エリオットはただ呆然とするしかなかった。
すると何か匂ったのか、エリオットはすんすんと鼻を動かした。
匂いを辿るとエリオットを見上げるアーロンだった。
上の空だったエリオットは気づかなかったがアーロンの口が先程から動いてるようだ。
「何食べてるん?」
「飴。さっきシスターセシルから貰ったんだよ」
「自分、高価なもん貰ったなあ。この匂いは蜂蜜やな」
「すげー! 犬みたいだな!」
「まあ、姉さんの犬やし? むしろ番犬やな!」
「いや褒めてねーよ」
自慢げに鼻を鳴らすエリオットにアーロンは半眼で見上げた。
ころころと飴を口の中で転がすアーロンを見ていると懐かしい気分になった。
(俺もコニーおばさんに貰ったなあ…)
昔、シャルに怒られながらも飴が食べたいと駄々をこねたことを思い出す。
今ではシャルやコニーおばさんに迷惑をかけたと反省している。
ふとエリオットは疑問に思ったことを口に出す。
「というかシスターセシルって誰?」
「は? エリオット知らねーのか? 1度は会ったことはあるだろ」
「俺、姉さんのことと興味無いことは覚えない性分やねん」
「実はエリオットって俺より馬鹿だろ」
アーロンの一言にエリオットは目線を逸らし、口を尖らせた。
(馬鹿で悪うござんした)
エリオットは昔から極端な性格なのだ。
興味あることと姉のシャルのことに関することなら徹底的に調べ、覚えてしまう。
だが反対にシャルがエリオットに勉強を教えてもいまいちなのだ。
魔術師のことや国の歴史を覚えたとこで何になる。有名な小説を読んだところでエリオットの望みが叶うわけでもない。そうして勉強は放棄してきた。
知識欲の塊のシャルとエリオットは正反対なのだ。
シャルに役立つ魔法と読み書きさえできれば困ることは無い。そう思っていた。
(いらない知識を身に付けるより魔力の使い方を覚えたほうがずっと有意義やし)
さすがの知識魔であるシャルでも魔術に関しては専門外だ。魔力を持ち合わせていなければ教えようにも教えれないからなのだ。
そこらは自分で何とかするしかないと使えた魔術が錬金術だったのだ。
錬金術は一般的に認識は薄い。
だがエリオットはそれでも良かった。
シャルが大いに喜んでくれたからだ。
そう、エリオットが望みはシャルに喜んでもらうこと。
(…あれは喜んでるんやろうか?)
馬車から降りたシャルの満面な笑みを思い出す。
本来なら喜ばしいことなのだがエリオットの心の違和感は拭えていない。
「それでシスターセシルって誰なん?」
「院長様の妹様だよ。最近、よく会うんだよ」
「…もしかして自分、ここにおるシスター全員覚えとるん?」
「おう。把握してるぜ」
アーロンは得意げに笑った。
別にエリオットは羨ましいと思ったわけではないが何となく癪に障った。
だがアーロンの記憶力に関してはシャルのお墨付きでもある。
「シスターセシルの質問に答えたらお菓子くれるんだよ」
「例えばどんなこと質問してくるん?」
「シスターシャルとエリオットのこと。調子はどうだとか変わったことはないかとか怪我はしてないかとか」
「何やそれ。親みたいやな」
アーロンの話を聞きながらエリオットは乾いたシーツを籠に詰め込んでいく。
風に靡くシーツを眺めながらふとエリオットは首を傾げた。
エリオットはレイチェル以外に仲の良いシスターはいない。それはシャルも同じだ。
ならば何故、シスターセシルはやたらとエリオット達のことを気にかけるのか。少なくともエリオットとシスターセシルは面識があまりない。
(院長の手先なんか…? 院長の命令で監視しとるとか?)
シャルの逆鱗に触れた院長がまた何かされないか監視させるということもありえる話だ。
エリオットは知らないがあの知識しか興味の無いシャルが院長を怯えさせるほどだ。相当の所業をしたのだろう。
そしてエリオットの体調を気にかけるのも納得できる。
シャルから貰う薬で健康を維持はできているが体が弱いのは変わらない事実だ。
(この間貰った新しい薬はまずかったなあ。確か東の国の薬草で作ったんやったけ?)
故にいつ病気になってもおかしくはない。
孤児院中に蔓延したらシスターも子供達もたまったもんじゃないだろう。
ため息をつきながらエリオットは籠に放り込んだシーツを畳み終えた。
「なあ、エリオット」
「ん? 何や?」
「当分、勉強はできないのか?」
アーロンは俯きながら小さく言った。
これはアーロンなりのシャルへの心配なのだろう。
エリオット寝癖で跳ねているアーロンの髪をくしゃっと力強く撫でた。
気に入らなかったのか、アーロンはエリオットの撫でる手を叩き落とした。
(叩き落とされた…)
だが叩き落としたアーロンの耳は赤く染まっていた。
撫でられたことが恥ずかしかったのか、さっきよりもっと俯いている。
そんなアーロンにエリオットは微笑みかける。
「大丈夫や。姉さんはすぐ帰ってる。それまでちっちゃい子達の面倒見ててな」
そう言ってエリオットは籠を持って院内に戻って行った。