6 運命
そういえば、とレイチェルが思い出したかのように話を始めた。
レイチェルの話がシャルへの睡魔に変わり始めていたところでシャルは我に返る。
「王都に入る時って申請書とお金が必要でしょ?」
「ああ、そうだね。申請書が書けてもお金が無いから無理だけどね」
「それがね、お金だけ払えば入れるようになったんだって」
シャルは荷車から降りて走れば目と鼻の先にある門を見た。
王都に中には学校もここらでは手に入らない薬も貴族御用達の図書館もある。
本当のことを言えばシャルはのどから手が出るほどお金がほしい。
さっさと孤児院からおさらばをしたい。
エリオットの健康を第一に考えれば王都に住むことが一番いいのだ。
「お金は稼ぐ、借りるかしないと用意できないもんね」
「…そうだね」
(借りる、か…)
シャルの中でこの考えが無かったわけではない。ただ、借りるあてがなかったのだ。
シャル達の両親は5年前に死別したのだ。
その後、残った少ない遺産でやりくりしながらしばらくは親戚の家をまわっていた。
親戚達の中には異質なシャル達をよく思わず、すぐに追い出す者もいた。
(コニーおばさんには借りれるような状態じゃなかったしなあ…)
忌み嫌う親戚達の中にも唯一1人だけ快くシャル達を受け入れてくれた者がいた。
父方の年の離れた従姉妹コニーおばさんだ。
小さな花屋を営んでいたが経営難でシャル達を養うことを無理していたくらいだ。
だからコニーおばさんにお金を借りるのは図々しいにも程があったのだ。
「やっぱり貴族様とか領主様に借りるしかないのかなあー、でも返せる保証はできないしなあ」
(貴族……)
シャルは苦虫を潰したように小さく唸る。
瞬間、シャルは何かにぶつかり、油断していたシャルの体が軽く吹き飛ぶ。
座り込んでしまったシャルは何事かと見上げる。
そこには男がシャルをただ見下ろしていた。
青い薔薇がついた黒いシルクハット。
艶やかな一つに纏められた黒い髪。美しい切れ長の目と深い海底のような蒼い瞳。
そして男にしては少し赤く薄い唇。
青と黄色で刺繍された黒いコート。加えて貴族を象徴する紋章。
(貴族だ)
偶然か必然かシャルが運命だと思った瞬間だった。
だが何にせよシャルがこの運命を利用しないはずがなかった。
「貴族様、お金は持っていますか?」
「新手の盗賊のシスターに差し出す金はないぞ」
周りを通っていた客や商人が騒然とし始め、貴族の後ろでレイチェルが青ざめて震えだしている。
だが貴族は気にすることなく淡々とシャルを見下ろす。
それに対してシャルも媚びる目を向けることなく、澄ました目で貴族を見上げる。
「盗賊でもシスターでもこの世の道理には敵いません。お金が必要なのです。貸していただければ倍でお返し致します」
「…いくらだ?」
「王都に2人で住める分に」
(金額を盛りすぎたか…)
もちろん、シャルとエリオットの分だ。
生憎、シャルは感情や表情に少し疎いせいか見知らぬ貴族に必要以上に金を貰わないという謙虚さは持ち合わせていない。
シャルにとっては一か八かの賭けでもあった。ここで貴族の怒りに触れれば2度とエリオットに会うことはできない。
シャルの背中に嫌な汗が流れた。
「生憎、私は保証のない約束はしない主義なものでな。悪いが交渉は決裂だ」
「慈悲を与えてはくださらないのですか」
その時だった。
貴族の纏っていた空気が冷たいものへと、見下ろす目はどこか怒りと軽蔑が混じった目に変わった。
シャルはすぐに間違えた、と感じ取り、下唇を噛んだ。
「慈悲を与えろと請うことを許されるのはその目で死を見てきた者が言うのだ。貴様はその目で死を見たことがあるのか?」
その問にシャル・ブレアは言葉を詰まらせた。
上から見下ろされる貴族の男の目から目線が外せず、シャルの足は竦む。終いには背中や額から嫌な汗が流れる。
体を動かして流す清々しい汗ではなく、緊張や恐怖から流れるじっとりとした嫌な汗だ。
見下ろす目はシャルを値踏みしているようだった。
まるでシャルが生きてきた人生を覗き込まれて見られているように。
そしてシャルはカラカラに渇いた口を小さく開き、
「なら貴方は死を見たことがあるのですか?」
答えになっていない返答を言葉にする。
貴族には逆らえない。逆らってはいけない。
昔、コニーおばさんに嫌という程に聞かされた言葉だ。
(分かっていても出た言葉がこれでは笑えるな)
シャルは自嘲しながらも貴族の目をじっと見る。
そして貴族はシャルの顔が可笑しかったのか、問があまりも馬鹿らしかったのか、はたまた両方なのかシャルには分かりかねないがフッと口角を上げ笑う。
「その問に返す答えはない。貴様が知る必要はないわけだからな」
それだけを言うと貴族はやってきた召使いと共に王都の門を通って行ってしまった。
頭がふつふつと煮えたぎるように熱くなる。渇いた口はようやく潤い、体が僅かながら震え出す。
(情けない)
シャルは震える足に鞭を打ち、立ち上がる。
顔が蒼白したままのレイチェルがシャルの元に駆け寄り、何故か泣いている。
「シャルっ! ごめん、私が貴族にお金を借りればいいとか言ったから…」
「いいよ、大丈夫。きっとレイチェルに言われなくても私は貴族様から借りようとしたし」
「でもヘタしたら命なかったかもしれないんだよ!?」
だがレイチェルの心配する涙声はシャルの耳に入らなかった。
震えが収まった今、シャルの体に残ってるのは熱だけだった。
あんな恐ろしいものを目の前で見たと言うのにシャルの心は熱くてしょうがなかった。
(ああ、どうしよう。体が熱い)
レイチェルはシャルの胸に埋めていた顔をあげるなり、目を見張った。
先ほどまで微かに震えていたシャルが気味悪く笑っているのだ。いつものような愛想笑いや呆れた笑いではない。
まるでいいことを思いついたような悪い笑顔だ。
「何かシャル、おかしいよ…早く帰ろう…!!!!」
レイチェルは左手でシャルの手を引き、反対の右手で荷車を引っ張る。
青ざめるレイチェルとは同様にシャルは荷車を片手で引っ張るレイチェルに青ざめた。