9 解除
思いのほか眠るバロンを置いて机に積み上げられていた書物を読みふけったいたようだ。
シャルが気づいて顔を上げた頃にはもう夕暮れは過ぎ去り、夜だった。
しかもいつもならシャルはエリオット達と夕餉を食べている頃合いなので腹が無性に減っている。
だが太ももの上で未だ眠るバロンは相当疲れていたのか、起きる気配はない。
疲れているとはいえ、このまま寝かせていてはいけない。
こんな時間に起こしてしまえば夜眠れず、また作業を行い続けるだろう。まさに悪循環ではあるが起こさればシャルの太ももが力尽きて圧死してしまう。
「バロン様、起きてください」
「……あと少し」
「駄々をこねないでください。起きてもらわないと困ります」
そう、シャルがドューガルに怒られるとか。
「分かった分かった。起きる」
「おはようございます。夜ですよ」
「…随分と寝ていたようだな、俺は」
体を起こしたバロンは黒く染まる窓を見てため息をついた。
加えて寝起きだから目も虚ろで一人称が俺になっている。
本来ならこういう姿はシャルではなくドューガルが見るべきはずだけなのだが。
すると噂をすれば何とやらだ。
夕餉を持ってきたドューガルが部屋に入ってきた。もちろん、ノックはされているからバロンの了承済みだ。
問題なのはドューガルが二人分の夕餉を持ってきていることだ。
ドューガルの食べる分であるなら問題は無いのだが。
「夕餉をお持ちしました、バロン様。シャル様の分もございます」
前者だった。
「え、いいんですか」
「はい。元々バロン様のご命令でシャル様の分も作るように、と。エリオット様達にも伝えておきましたのでご安心を」
「……どうも」
横目でシャルは知らぬ存ぜぬの顔をしているバロンを見た。
どうやら最初からシャルを帰す気はなかったようだ。
気遣いなのか、新手のいじめなのか、それらとしても受け取れるがこれはシャルにとってはあまり良いこととは言い難い。
ドューガルは平然を保っているようだがやはり目に出ている。「お前を返したいけどバロン様の命令があるわけだが、今はお前とは気まずいし何話すべきか分からないから何も言うな」という目をしている。あくまでシャルの予想ではあるが。
「ありがたくいただきます」
ようやく太ももの圧迫から解放され、致し方ないので夕餉をいただくことにする。
中身は牛肉をワインで煮込んだソテーと野菜がふんだんに使われたスープだった。
こんなに豪華なものを食べたとアーロンに言えば恨まれること間違いなしである。
だが何とも美味しそうな料理を前にして人間の3大欲望、食欲が暴れ出さないわけがない。
シャルはバロンやドューガルを気にすることなく食べる。
(美味い)
やはり貴族のご飯ともなれば美味たるものになる。
夕餉に関してはシャルにとって損と言えるものではなくなった。
◆◆◆
夕餉を食べ終わった後、バロンはドューガルにシャルを店まで送らせた。
その命令を言った瞬間、シャルとドューガルの顔がそれぞれ歪んでいた。
あの日シャルとドューガルが何を話したのかは知らないが気まずくなる話をしたのは明確だろう。
帰ってきたドューガルの心苦しいような、胸に何か引っかかるような顔をしていたのだから。
そしてそんな二人を部屋から追い出し、解除作業はいよいよ最終段階へとなっていた。
結界魔法が解除されるにつれ、バロンの顔も険しくなる。勿論、悪い意味でだ。
魔術師から視点で見るとがっちりと魔法の鎖、結界魔法が本を絡めていることが本を開いてすぐに気づいた。
生きてきた中で確かにバロンはあらゆる結界魔法が施されたものを見てきた。
オリベラ学園の卒業試験も何重にもなった結界魔法を解除するという内容のものもある。
だがその試験とこの結界魔法は比ではない。
(この本に何かあることは明らかだろうな)
そう、何かあることは事実。
そしてこの本を持ってきた者が何者なのか。
王の膝元で仕えるバロンでさえ、この本の存在を知らなかった。
なのにシャルの言う『物好きの変態』はシャルにこの本を託した。恐らくバロンとシャルが繋がっていることを知っていてシャルに渡したのだろう。
加えてバロンが作業するなかで脳裏を邪魔しつつある人物だ。
(物好きの変態…あいつの人脈はどうなっているんだ?)
シャルの周りの人間は変わり者だと承知していたがバロンの中で物好きの変態のシャルの知人は知らない。
物好きで言うなら薬屋の姚なんかが当てはまる気もするが変態は一体……?
するとカチッと静寂の部屋に鳴った。
バロンは意識して手元を見る。
結界魔法の光が消え、本は事柄を綴るただの本になっていた。
王都の歴史や空白のページは書き換えられ、新しい記録が綴られていた。
そしてバロンは新しく書き換えられたページに目を通し、息を呑んだ。
(これは………!?)
新しく刻まれた内容は『乳母、ドロシーと下女、マーリンが国王とメイドの間に生まれた赤子を娼館へと隠した』というものだった。