2 ジャック・ブレア
シアンの執務室でシャルは頭を下げた。断りもなく、エリオットとアーロンをシアンの屋敷に邪魔させたことを謝ったのだ。
突然の事とは言え、本来あってはならないことだ。例え、親しい中であっても庶民と騎士団長であることは変わらないのだ。
「すみません、シアン様。…少々、予定外のことが起きたもので」
「ああ、大丈夫だよ。何より、レイチェルが一番喜んでるし」
シャルは顔を上げて、疑問で眉を潜めてるとドアが叩かれた。
恐らくはメイドがエリオットとアーロンを連れてきたのだろう。
「入っていいよ」
「失礼します、シアン様。あ、シャルぅっ!!」
「姉さん!!」
「うがっ!?」
入ってきたのはエリオット、アーロン、そしてレイチェルだった。
エリオットとレイチェルはシャルを見るなり、勢い良くシャルに抱き着いた。そのせいでレイチェルの頭がシャルの顎に当たった痛み、そしてエリオットの力に耐えられなかったシャルは苦悶をあげた。
王都に来てから会わないことは無かったがレイチェルはシアンの女給として働いているのだ。そう簡単に会える機会は少ない。あと本人曰く、つまみ食いはしていないらしい。
そしてエリオットの目には涙まで浮かんでいる。
「い、痛い、2人とも…」
「ごめんね、シャル! でも久々ね!」
「お陰様でね…」
「姉さぁんっ!!」
「分かったから泣かないの…!」
シャルは引きつった笑顔を浮かべながら、レイチェルを自分の体から引き剥がす。
引き剥がされたレイチェルは我に返ったのか、顔を赤くして呆然と立っているアーロンの元に戻った。
だがエリオットはシャルに抱きついて離れようとはしない。
「し、失礼致しました、シアン様! エリオットとアーロンを呼んでまいりました」
「君のせっかちは相変わらずだねえ。でもご苦労様、それでアーロンくんとのお勉強は楽しかったかい?」
「はい! さすがアーロンくんです! 満点合格しただけはありまして、何でも教えてくれました!」
(なるほど)
学校にいけないレイチェルのためにアーロンが勉強を教えてやったのだろう。
ある意味、レイチェルは勉学を学びたいために王都に来たようなものだ。
だが成人済みのレイチェルは学校に通うことはできない。
シャルに学びに来ることも叶わないのだからこれで良かったのだろう。
「ふふん! レイチェルに勉強を教えるなんて朝飯前だ!」
「さすがアーロン先生です!」
「もっと褒め称えてもいいんだぞ!」
それでいいのか、とシャルは呆れながら未だに抱きついているエリオットを引き剥がす。
だがエリオットは引き剥がされてもシャルに抱き着き、離れようとはしない。
「エリオット、離れて」
「嫌や。離れたらまた姉さん、1人で何とかしようとするやろ? そんなん嫌や。………置いてけぼりはもう嫌や…」
いつの間にかシャルのベストはエリオットの涙で濡れていた。
エリオットも俯いて顔をあげようとはしない。
どうやら本気でシャルのことを心配していたらしい。
普段、シャルに嘘をつくような人相ではないエリオットがここまで言ってるのだ。
さすがのシャルも罪悪感を感じた。
(…ごめん)
声に出すのが気恥しいかったわけではないが今、エリオットに何を言っても納得しないだろうとシャルは感じた。
長年、姉をしていると否応でも分かってくるものだ。
それを見たレイチェルは安堵と不安げが混じった複雑な表情でシャルを見た。
「エリオットくんはずっとシャルを心配してたの。ずっと落ち着きがなかったし、終いには青ざめて小刻みに揺れるくらいに」
「あれは地震でも起きるかと思ったくらいだぞ」
「確かに揺れてたね〜」
(地震って…)
だがある意味、シャルの目に浮かぶようだった。
するとむすっと頬を膨らましてエリオットが顔を上げた。
「何もされへんかった…?」
「されなかったよ。むしろ、厄除けで塩をまいてやったわ」
「塩!? さすが姉さんやわ!」
今度はシャルを抱き上げ、エリオットを喜んだ。
シャルはやめろ、と怒りながら足をばたばたと動かして必死に抵抗する。
だがエリオットも男だ。力の差は歴然とするもの、早々にエリオットから解放されることは無かった。
◆◆◆
シアンの屋敷から帰ってきて夕食を食べている時だった。
アーロンがスプーンを机に置き、俯き気味に言う。
「…今日店に来たあの人、何者なんだ?」
その一言にシャルとエリオットが体を強ばらせた。
説明しなければ、とシャルは覚悟はしていたがいざその時になると緊張する。
緊張で喉に言葉が詰まり、思うように言葉がでない。
いつも冷静を心掛けているシャルだがノアのことになるとどうも心を掻き乱されて腹が立つ。
「…アーロン、その話は」
「エリオット、いいよ。話すから」
「ほんまにええの…?」
「うん。あいつが王都にいる限りはアーロンに話しておくべきだから」
そしてシャルはひどく渇いた口を開け、話し始めた。
「ジャック・ブレア。今はノア・ローウェルって名乗っているらしいけど。あいつは紛れもなく私と血を繋がった兄。そしてエリオットとは義兄弟なの」
ノアもといジャックは正真正銘、シャルの実の兄である。
そしてシャルは元々知識欲が強かったがそれはジャックも同じであった。
シャルは知識欲に掻き立てられても抑えることができた。母親の教育の賜物と言っても過言ではない。
だがそれに比べてジャックは知識欲を抑えることができず、欲望のままに過ごしていた。
ジャックが5歳の時は台所に潜んでいたネズミを捕まえて実験。
8歳の時には裏路地に住み着いていた野良猫を殺し、解剖した。
シャルの母も黙認するはずがなく、ジャックがそのような行為をしては叱っていた。
だがジャックは好奇心、欲望に抑えられず、ふらふらと次なる実験体を探し回っていた。
そんなジャックが13歳になった頃、シャルがエリオットを連れて帰ってきたのだ。
帰る場所が無かったエリオットをシャルの両親は受け入れた。
アルビノであるエリオットを見たジャックの目は一瞬にして変わった。
人とは違うアルビノのことや見知らぬ子供が養子になったということで嫌悪感のある目では無かった。
強いていうならば新しい素材が見つかったという目をしていた。
元々ジャックには警戒していたシャルはジャックのその目を見逃さなかった。
そして事件は起きた。
エリオットが養子になって数週間が経ったある日のことだった。
寝室で寝ていたエリオットの部屋にジャックが忍び込み、眠っていたエリオットの首を絞めたのだ。
同じ部屋で寝ていたシャルもエリオットの苦しげな声に気づき、護身用に持っていた果物ナイフでジャックの左目を切り裂いた。
その事をきっかけに両親はシャルとエリオットを知り合いの家へ預けることにした。
だが数日後、近所の住んでいた婦人がシャルの元へ訪ねてきた。
ご両親とジャックはこちらには来ていないか、と。
シャルはエリオットを連れ、急いで家へと帰った。だがそこはものけのからで誰1人としていなかった。
不審に思ったシャルはジャックの研究室になっていた場所に入った。
そこにはジャックが1人、座っていた。ジャックが座っている隣にはまとめられたであろう荷物があった。
そこでジャックはシャルが来るのを待っていたかのように微笑んだ。
そして当たり前のことのように言った。
お父さんとお母さんの体の中は普通の人間でつまらなかった、と。
その時、シャルはすぐに悟った。
両親が消えたのはこいつが解剖したからいなくなってしまったのだ、と。
そう、ジャックは実の両親を殺したのだ。