7 盗まれた血の行方
シャルがバロンからの依頼を調査すること5日が経った。
王都ではバロンがどこぞの女を妻に引き取ったのではないかという噂はかき消され、今は宮殿内で起きていた吸血鬼騒動のことで持ちきりだった。
ちなみにエリオットとアーロンは学園への手続きが終わり、先日から学園に通い始めている。
(アーロンのやつ、本当に満点合格だったんだっけ…将来有望だこと)
そしてシャルは姚の店に来ていた。
そう、姚は東の国の医学に精通している故に盗まれた血は使い道があるのか聞きに来たのだ。
だがその質問には姚も頭を悩ませていた。
「盗まれた血、ねえ…」
「分かりませんか?」
「普通、人の血に使い道なんてないわよお………いや待って、あったわよ!使い道が!」
「ホントですか!?」
姚は積まれいる和綴本の山を漁り出した。
そして目的の本が見つかったようでシャルに渡した本は和綴本ではなく、古びた羊皮紙でできた冊子本だった。
シャルは本を開けて目次録を目を通すなり、息を呑んだ。
「人体実験!?」
「ええ。その本が作られた国はここじゃなくて北の国の方よ。ここに来る前に買ったものだけどろくな本じゃなかったわ」
「不老不死に人造人間、万能薬。しかもこれ全部錬金術でなんて…!」
本来、医学と魔術は相反するものである。たとえ、それが錬金術であってもだ。
仮に相反するものではなかったのならエリオットの体のことでシャルは悩む必要はない。
だが相反するものが交わってしまってはどうなるのか。
無論、世界の理が変わる。そして全ての国の秩序が変わり、錬金術が国を牛耳ることになるのだろう。
そして錬金術が戦争の火種になることも無きにしも非ずだ。
そのことを恐れ、先代の国王は錬金術で人体実験を行うことを禁止したほどあってはならないことなのだ。
現在では錬金術で学べることは魔力を媒体として変哲もない石などを物や精霊に変換することのみ。
「医学と魔術が相入れてはいけないものだって言いたいのは分かる。でも私が言いたいのはそこじゃないの。人体実験のことなの」
「人体実験、ですか…この国では禁止してますからね。まあ、闇市場で人体実験用で奴隷が売買されてるなんて聞きますけど」
「間違っても人体実験なんてしようと思わないでよ! あれは実験なんてものじゃないわ…人を人とも思わない欲にまみれた恐ろしいものよ」
姚は苦い顔をしてシャルから目を逸らした。
口振りから見たことがあるようだが苦い顔をするあたり、あまり良い記憶ではないのだろう。
人には一つや二つ、触れられたくないことだってある。
そう察したシャルは人体実験について詳しく聞きたいが聞かないことにした。
今後、姚と良好な関係であるためだと言い聞かせて。
「それはともかく、人体実験の多くの失敗例は被験者の大量出血によるものなの。これはあくまで私の仮説だけど盗まれた血は人体実験で被験者に輸血するために売られたんじゃないかしら。それなら若者達から抜かれたものだって説明がつくと思うの。輸血なんて人から人に血を入れるんだから綺麗な血の方がいいわ」
「確か輸血って成功例が無いんじゃ…」
「私も聞いたことがないわ。でもそこの失敗を補うのが錬金術だとしたら成功率は格段に上がるんじゃないかしら?」
「……姚お姉ちゃんすごい」
「やだあっ!!お姉ちゃんなんて!!全然悪くないじゃなあい!!もっと呼んで頂戴!!」
恐ろしい話から生まれた気まずい空気はシャルの一言で打ち消された。
だがシャルの中に疑問がまた生まれる。
「だとしても何が目的の人体実験なのでしょうか?」
その言葉に姚から笑顔が消え、シャルの知らないもう一つの顔だった。
シャルを見る目は優しいものではなく、まるで何も知らない小さな子供を哀れむような目だった。
「シャルちゃん、医師として忠告しておくわ。もう人体実験については触れない方がいい。それが貴女やエリオットちゃんのためだから」
「………わかりました。でもこの本貰っていいですか」
「んもお!この子はあっ!言ったそばから!!…いいわよ。それね、人体実験のところだけ白紙なのよ」
「あ、ホントですね」
シャルは人体実験について書かれているページを開けたが確かに白紙だった。
ページを触ってみるが羊皮紙の感触しか手には残らない。
(写本の途中だったか…?)
シャルが首を傾げていると姚が小さな疑問を口に出した。
「ねえ、シャルちゃん。バロン様や国王様が秘密にしてた吸血鬼のことがなんで外に漏れちゃったのかしら? あれだけ厳重だったのに」
「ああ、漏らしたのは私です。正確にはエリオットとアーロンに頼んで学園内から漏らしてもらったんですけどね」
「それでいいの!? それで良かったわけ!?」
「はい。どちらにせよ、私が漏洩せずともいずれ誰かがすることですし」
シャルがエリオットとアーロンに噂を流すように頼んだことには目的があった。
まずはこれ以上被害を出さないため。
妃が襲われたともなれば王都内で混乱が起きる。そうなれば宮殿は必ず警護を厳重にする。
警備が厳重になればまず宮殿内で働く下女や執事、給仕達は混乱が完全に無くなるまで外部との連絡を一切禁じられる。荷物や手紙が届いても本人達の手には届けられず、専用の保管庫へと積まれていく。
禁止とまではいかないがそれは妃達も同じだ。荷物などに怪しいものがないか、まず管理官達の手によって検査される。
仮に宮殿内の中に内通者がいれば外部で連携している犯人と連絡や盗んだ血の受け取りが不可能になる。
それは内通者じゃなく、主犯が中にいても同じことが言える。
とりあえずこれで宮殿内で誰かが襲われることは少なくなるだろう。
襲われたとしても被害者の周辺がバロンの手によって徹底的に洗われ、犯人が見つかるはずだ。
そして何より警備が厳重になれば犯人が宮殿内に出入りすることができなくなる。
妃と面会するには身体検査、身元確認が徹底的にされる。
例え警護人が賄賂を受け取って犯人を通したとする。それで被害者が出たともなればその警護人は即刻に自白剤を飲まされて禁固刑だ。メリットがあるとは思えない。
「ちなみに先日ロザリアナ様が怪しい奴を見つけたと連絡が来たので、事件解決はその人の自白次第かと」
「うっわぁ…恐ろしい子……あ、そうそう、前に言ってたユニス妃が一番の被害者かもしれないって話どうなったのよ?」
「ああ…あの方はそうですね、可哀想な方ですね」
「ホントよねえ! 乙女の肌に傷をつけるなんて有るまじき行為よ!」
「そうですね」
ぷくっと頬を膨らまして姚は頷いた。
だが実際、シャルはユニス妃を可哀想な方なんて思っていない。本当のこと言えば何とも思っていない。
ただシャルの中でユニス妃は犯人に協力しているであろう人物だと憶測を立てているのだ。
でなれけば気づきにくくしてあるがあの針の後を本人が気づかないはずがない。それから痛みも。
バロンは気づいているのか分からないがシャルはバロンにこの事を伝えようと思っていない。
正確には姚との人体実験についての話を聞いて話すことをやめようと思ったのだ。
ユニス妃を泳がせておけばまた犯人と接触することがあるだろう。
そしてユニス妃から犯人について聞き出し、犯人と接触すれば今回の騒動の目的についてシャルは知れると思ったのだ。例え、人体実験が関係なくともだ。
そう、今回の依頼はシャルの知識欲を掻き立てる材料になってしまったのだ。
(そろそろ、ロザリアナ様から連絡きてもおかしくないのにな…)
すると扉を叩く音が響き、姚が扉を開けるとそこにはにっこりと笑う騎士団長、シアンがいた。
どうやらバロンからの連絡らしい。
「お邪魔しますね、薬屋さん」
「あ、あぁ。これはシアン様、用があるのはシャルちゃんですよね? すみません、私が長いこと引き止めてしまって」
姚の『男』への豹変ぶりにシャルは唖然する。
これは姚の仕事姿でもある。
だがあれだけ、シアンが好みだと言っていたのに初めて本人を前にすると『乙女』は出せないようだ。
「ええ、そこのシャルちゃんに用がありまして。シャルちゃんも気づいてるだろうけどバロンからお呼び出しだよ」
「わかりました。姚さん、ありがとうございました」
「うん、また私に用があるならいつでも来なさい」
シアンとシャルはそれぞれお辞儀をして馬車に乗り込んだ。
そして馬車はバロンの屋敷へと走り出す。
(帰ったら姚さんに呼び出されるやつだわ、これ)
そわそわするシアンを目の前にシャルは覚悟した。