2 授業
「シスターシャル! 今日も授業してくれるでしょ!」
ようやく押し付けられた昼間の仕事を終わらせ、礼拝堂裏の階段に座り込んだシャルの前に現れたのは孤児院にいる子供達だった。
(…今度から場所変えよう)
シャルと子供達がこのやり取りをするのは実に3回目である。
この事をエリオットに話してもそろそろ観念したらええんちゃう?と返される。やはり観念するべきなのだろうか、と一番前に立っている男の子の顔を見て苦笑いをする。
逃げ回るシャルをいつも見つけるのはこの一番前に立っている男の子だ。
(名前は確か……アーロンだっけ)
茶髪頭に鼻周りにはそばかす。やはりシスター達が金の横領を始めたせいか、以前より服が質素になってる。マフラーを付けてるとはいえ、生地が生地なので寒そうだ。
後ろにいる子供達も寒いのか、体をプルプルと震わせたり歯をガタガタと鳴らしている。
だがアーロンだけは違った。
ふふんと得意気に鼻を鳴らし、寒さで体を震わせることなく座っているシャルを見下ろしていた。と、同時にシャルはチラリと子供達の後ろにある草むらを見た。
風もないのに草むらが不自然に揺れている。
そして小さくシャルはため息を吐き、
「わかったよ、授業するから。とりあえずエリオットと先に小屋に行ってなさい」
「え!?エリオットいるのかよ!?」
シャルの視線の先にあった草むらからエリオットが頬を掻きながら出てきた。
頭には葉っぱやリスを乗せていた。なぜリスなんだと思いつつもシャルは怯えていたリスを頭から下ろし、逃がした。
おおよそ、隠れていたエリオットはたまたまリスを見つけたのだろう。
ここに隠れる目的はシャル達を脅かすためであって、興奮して騒ぐなんてもってのほか。
だがしかし、動物が好きなエリオットっては動物と触れ合えるなんてまたとないチャンス。だから脅かすまでは自分の頭の上に乗せて逃げないように、そしてシャルにバレないようにしていたのだろう。
その光景が目に浮かぶ。
「なんで気づいたん、姉さん?」
「エリオットの鼻息で草が揺れていたの。今日は風なんて吹いていないし。どうせリスを頭に乗せてるって考えただけでも興奮して鼻息が荒くなったんだろうとは思うけど」
「ありゃ、それはあかんなあ」
あはは、失敗失敗とエリオットは頭を掻きながら笑っている。
「じゃあ皆、いつもの小屋に行こっかー」
「逃げんなよシスターシャル!!」
「逃げないからさっさと行きなさい」
アーロンの小さな手がシャルの手をぱん、と叩いたところでエリオットは子供達を連れていく。
礼拝堂から少し離れた場所に今は使われていない小屋がある。机と椅子、傷んでいるが使えなくはない教材らがその小屋には置かれていた。
何でも数年前までは前の院長が街から文字の読み書きできる者を連れてきて雇っていたらしいが、院長は歳も歳だったので街に来る頻度は少なくなり雇わなくなったらしい。
使わなくなった小屋も壊すには金がかかるため、シスター達も放置しておいてたらしい。
そしてその使われなくなった小屋を見つけたのは遊んでいた子供達だったのだ。
アーロンは毎度逃げ隠れるシャルを見つけるほど勘が鋭い。机や傷んだ教材を見て察しがついたのか、博識であるシャルをここに引っ張りこんで勉強を教えろとせがんできたのだ。
シャルにも一応善の心と情を持ち合わせているので教えることにした。
情というのも頻繁に街に出かけるくせにシスター達は講師として雇う者を連れてこなかったのだ。それにこの孤児院が孤児を育てるのは齢15までだ。15になったらここを出ていくか、この孤児院で働くしかない。後者を選ぶ者もいるが前者が圧倒的に多い。
だが今の時代、読み書きできていないと良いと呼べる職につくのは難しい。
だからせめてものとシャルは空いた時間だけ子供達の勉強を見てやってるのだ。
(そろそろ行かないと怒られるかな)
シャルは重い腰を持ち上げた。
◆◆◆
アーロンは前で説明するシャルを見ずにじっと扉の近くで立っているエリオットを睨んでいた。
そんなアーロンを見たシャルは説明を一旦止め、
「アーロン、エリオットが好きなのはわかるけどちゃんと話は聞きなさい」
「アーロンのすけべっ」
「そんなんじゃねーもん!あとエリオット気持ち悪いっ!!」
大方、検討はつく。
恐らくエリオットの錬金術のことだろう。
錬金術とは何の変哲もない石を金に変えたり、生命を生み出すことができる魔術である。他にも不老不死の体に変えたり、洗脳術も錬金術の類だ。
そしてエリオットは持ち合わせている膨大な魔力で錬金術を使うことが可能なのだ。
とはいっても錬術師の元で教わっている訳では無いので石を金に変えたり、生命体を生み出すことはできない。
ただ、魔力を媒体として紙の1切れを炎に変えたりといったようなことはエリオットにもできる。
この小屋には蝋燭が用意されている。だが火をつけるためのマッチはない。安全のためにこの小屋に用意してなかったのだろう。
そこでエリオットが錬金術で置いてあったあまり良質ではない紙を1切れ破り、火に変えたのだ。
だがこれにアーロンは気になってしまい、エリオットが火に変えた日から問いただしたりしているようなのだ。
「シスターシャルは分かってんだろ、火をつける方法」
「わからないというか、説明ができないの。だって魔法だもの」
「いいや絶対知ってる!」
「じゃあどうして空は青いのか分かる?」
「………わかんない」
「それと一緒。この世界には理屈では説明できないことだってあるの」
(人間の感情とかね)
アーロンは口を尖らせながらも渋々、椅子に座った。
実際、理屈で説明できるものは少ないだろう。
何せ頭のお堅い王や貴族とエリオットのような魔術師が仕切る世界だ。
そんな世界で現実主義者がでしゃばったところで追い出されるのは目に見えている。
人間は自分達とは異なるものを嫌う生き物だ。
(まあ、平穏に暮らせれたらそれでいいんだけどね)
そうもいかないのがこの世界である。
そんなことを考えてしまったシャルは億劫になりつつも説明を再開した。
だが、それはすぐ遮られた。
「シスターシャル! お外にシスターレイチェルがいるよ!」
「え」
少女の声に反応するように窓の向こうでガタッと音が鳴る。
どうやらいるようだ。
窓から少し目線を下ろすとレイチェルがいた。普段、シャルをイジメるシスターの中にはいないシスターだ。
右目の下の泣きぼくろと金色の髪が二つぐくりしてあるのが特徴のシスターだ。
そしてレイチェルの手元には紙と筆、紙にはシャルが子供達に説明していたことが書かれていた。
「…何やってるんですか」
「ひっ、え、えっとお…………」
シャルは窓から体を折り曲げて座り込んでいたレイチェルに近寄る。
半眼の目でシャルがレイチェルに近寄ったせいか寒くて赤かったレイチェルの顔がすっと蒼くなる。
(いかんいかん、困らせてしまった)
シャルは体勢を元に戻し、改めてちゃんとレイチェルのことを見た。
震え具合からして30分程度、外に座り込んでシャルの授業内容を紙に書いていたのだろう。
「院長の差金ですか?」
「え、じゃあ、バレたから俺たち勉強できないのか!?」
アーロンが勢い良くと立ち上がり、レイチェルを見た。
レイチェルはもっと顔を蒼くし、首を振った。
(違うみたい。もしかして…)
そしてシャルの考えは当たることになる。