20 バロン・ロザリアナ
(…化粧落としたい)
シャルは馬車に揺られながら宮殿へ向かう。
向かいの席にはシアンが涎を垂らしながら寝ている。
実はオーウェン領から王都で向かっている馬車の中でシアンから一つ、提案されたのだ。
もうすぐ宮殿で舞踏会が行われる。
表向きは舞踏会だが実際はご令嬢達の集団お見合いと王の妃たちのお披露目が目的だ。
この国の王は優秀な子孫を残すために多数の妃を娶ることが許されている。
言ってしまえば今回の舞踏会は妃たちの探り合いでもある。
国王に気に入られるために妃同士で争うのだ。
提案を聞いた当初はエリオットも行きたいと言ったが苦笑いをされながら却下されたのだ。
アルビノは良くも悪くも目立ってしまう。
なので現在はレイチェルとアーロンと共に屋敷で留守番。
シャルだけ連れていってもらうことになった。
レイチェルに化粧をしろ、と紅をひかれた。おまけに白粉もつけられそうになったが全力で断った。
そもそもシャルは着飾ることも舞踏会だなんて洒落た場所に行くのも苦手なのだ。
だが同時にあの貴族に金を借りに行くシスターではなく、シャル・ブレアとしてお礼を言いたかったのだ。
すると宮殿に着いたようで御者がドアを開けた。
だがシアンは呆れるほど大きな鼾をかいている。
シャルは寝ているシアンの鼻を摘んで起こした。
「ふがっ!? あ、着いたの?」
「おはようございます。お疲れなのは分かりますが舞踏会ですよ」
「僕、舞踏会とか苦手なんだよなあ。毎回、香が酷くて鼻がもげそうになるよ」
シアンはブツブツと文句を言いながら馬車から降りた。
次にシャルの手を取り、馬車から降ろす。
すると降りたシャルの顔を舐めるようにじっと見る。
「おかしいですか?」
「いやあ、化粧するだけで人って化けるんだなあって」
「どうも」
そしてシアンは懐からペンダントを出してシャルにつけた。
黄昏色の宝石が片翼の形に象られたペンダントだった。
この形と色はバルコン家の象徴だ。
「悪い大人が擦り寄ってきてはいけないからね!これで厄除けになるよ!」
「ありがとうございます、シアン様」
シアンはどういたしまして、と微笑んだ。
◆◆◆
シアンの言う通り、シャルも鼻がもげそうになった。
広場で舞踏会は開催されているが貴婦人やご令嬢達のつけている香が混じりあって何とも言えない不協和音を奏でていた。
シャルは入った瞬間に鼻を抑えたかけたが失礼にあたるのでぐっと堪えている。
鼻がもげそうになると言っていた本人は将来の旦那探しに必死であるご令嬢達に囲まれていた。
やはり騎士団長ともなれば将来の安定が約束される。
お嬢様達は必死なのだ。
シアンもそれなりの笑顔で応えているが疲れているのか、はたまた嫌なのか、僅かに顔が引き攣っている。
(無理もないか)
シャルはシアンを見捨てあの日に出会った貴族、バロン・ロザリアナを探す。
バロンの幼馴染みであるシアンの話によればバロンも女に囲まれるから近づくのは難しいらしい。
(そもそも向こうが私のことを覚えていればいいけど…)
今は修道服ではない。化粧もしてドレスも着ていてレイチェルの手によって髪型も変えられている。
分からなくても無理はない。
すると音楽が奏で始め、舞踏会の醍醐味である踊る時間がやってきた。
次々に中央へと男女が手を取り合って踊り出す。
(どこにいるんだ、貴族様は)
ふと視線をあげるとバルコニーの手すりに腰を掛けているバロンがいた。
シャルは手汗を握りながらバルコニーに向かった。
シャルに目もくれず、バロンは外を眺めている。
やはりあの日と変わらず美しい顔をしている。これで結婚していないのだからおかしな話だ。
「女と踊る気はない」
「1曲だけでもですか?」
声を聞いたバロンは目を見開かせながらシャルの顔を見た。
すると顔色を変え、笑う。
「あの時のシスターか。まさか私を殺しに来たのか?」
「いいえ。貴方にお礼を言いに来ただけです」
「礼をされるようなことはしていない。…シアンの差し金か?」
シャルの胸元にあるペンダントを見てバロンは顔を顰めた。
だがシャルは首を横に振った。
ここに来たのは自分の意思だからだ。
「…本当に礼を言いに来ただけなのか?」
「はい、シアン様の客人として招待させてもらいました。貴方様がこの舞踏会に来るとお聞きしたので」
「ほう。ならそのお礼は体で払うつもりか?」
バロンはワイングラスに入っている酒をバルコニーの下の庭に零す。
勿体ないと思いつつ、シャルはバロンの顔を見た。
「いいえ。言葉通り、言いに来ただけです。私は地位や名誉に興味はないですし、本当のことを言ってしまえば早く帰りたいので」
普通なら貴族から子種を貰うことは光栄なことだ。
だが生憎、シャルはそんなことに興味はなかった。貴族の妻になるなんてことは真っ平御免なのだ。
それに時刻はもう10時だ。
そろそろ帰らないとエリオットに問い詰められる。
だがその問い詰めは非常に長い。
それがめんどくさいシャルにとってはさっさと帰りたかったのだ。
するといきなり顔を顰めていたバロンが笑い出す。
「そこらの女ならこの言葉で簡単に釣れたのにな」
「ロザリアナ様が望むような女で無く、申し訳ありません」
そしてバロンはグラスを手すりに置いて立ち上がり、シャルに手を差し出した。
「気が変わった。貴様と踊りたい気分だ」
「…光栄に思います」
シャルはバロンの手を取り、バルコニーで踊り出す。
ダンスはさっきの中央で踊っていた男女の見様見真似だ。
「貴様、踊り下手くそだな」
「すみません。庶民なもので」
そして数分で曲は鳴り止み、踊る時間はあっという間に終わってしまった。
シャルはさっさと退散しようとバロンの手を離そう時だった。
バロンがシャルの手を引き寄せ、自分の胸にシャルの顔を埋めるような形にした。
しかも驚くシャルの背中と後頭部に手を回す。バルコニーの近くにいるご令嬢から動揺する声が聞こえる。傍から見れば熱い抱擁している男女に見えるのだろう。
そしてシャルの後頭部に抑えていた手がゆっくりと結い上げている髪に伸びた。
慌ててシャルは頬を赤く染めてバロンから離れた。
満足したバロンは口角を上げて笑って焦るシャルを見ている。
「お戯れを…っ!」
「ああ、すまない。遠路はるばるここまで来てくれたのだから褒美をと思ってな。また貴様の元へ行くからその薔薇を無くさないようにしておけ」
シャルはさっき触られた髪の部分を触る。
そこには髪の感触が無く、青い薔薇の髪飾りが付けられていた。
「それから貴様のお陰で女避けができた。感謝する」
(やられた…)
先ほどシャルが顔を埋めた部分、バロンの白いシャツにシャルの紅が着いていた。
抱きしめたのもこのためなのだろう。
そしてバロンはグラスを持って広場へと行ってしまった。
シャルはこの場所から離れたくて早足で宮殿を出た。
シアンがご令嬢の相手が終えるまで頭を冷やすことにした。
この後、エリオットに問い詰められたのは言うまでもない。