1 奇妙な姉弟
今宵は満月だ。
月明かりが照らす一室で若い修道女が囲まれていた。
囲まれている若い修道女目を伏せる。
そして若い修道女であるシャルは殴られ、床に倒れる。
ヒリヒリと痛みが走る右頬を軽く抑えた。
殴った三十路超えのシスターの後ろで若いシスターが口元に手を抑えてクスクスと笑っている。中には罪悪感からか、目を背けて苦い表情をする者もいた。
胸くそが悪かったがシャルは立ち上がり、頭を下げた。今はこうするしか穏便に終わらせれない、と。
「申し訳ありませんでした」
「誠意が足りないわ。……アンタの弟を殺してもいいのよ? 立場をわきまえなさい」
「今後、気をつけますので。どうか弟だけは手を出さないでください」
そしてふんと鼻を鳴らした三十路シスターが部屋から出ていくのにつられて、他のシスター達も笑いながら部屋を出ていった。
完全に出ていったことを確認したシャルは修道服についた汚れを軽く払った。
ゆらゆらと1本の蝋燭の光が揺れる。
(今日はまだマシだなあ…)
シャルは殴られた頬を擦りながら部屋を後にし、夜で薄暗くなっている孤児院の廊下を歩く。
小さなミス一つやありもしない嘘で『教育』として暴力を受けることは日常的になっている。
今日は右頬一つで終わったが酷い時は骨を二本ほど折られる。
神を崇める修道女といえどやはり中身は人間なのだ。
長く暗い廊下を歩き終わり、ボロい私室に入る。
部屋に入るなり早々にシャルの弟、エリオットが心配そうにベットから寝そべっていた体を起こした。
「姉さん、頬、怪我しとる…すぐ手当てするな!」
「大丈夫。ほっといても治るから。エリオットは寝てて」
「姉さん…でも」
「でももクソもない。ほら明日も早いんだから寝た寝た」
立ち上がろうとするエリオットをシャルは押さえつけるようにベットに寝かせる。
エリオットは不満なのか眉をひそめ、口を尖らせる。
「…姉さんは俺が嫌いなん?」
「そんなわけないでしょ。エリオットのことは大好きだから、早く寝なさい」
シャルの赤い右頬にエリオットは手を伸ばし、力なく触れる。シャルもはにかみながら伸ばされた手に触れる。
手は少し冷たく、あまり力がはいってなかった。
そしてエリオットはやはり昼間の労働で疲れていたのか、ゆっくりと目を閉じて寝てしまった。
寝たことを確認し、シャルはエリオットの手を布団の中に戻した。
湯浴みをしたかったが今の時期に井戸の冷たい水で体や髪を洗えるほどの気力をシャルは持ち合わせていないので濡らした布で体を拭くことにした。
パサっと修道服のベールとワンピースを脱ぎ、脂肪のない貧相な体を拭いていく。
やはり姉弟とて異性にあまりこの貧相な体を見せたくはない。特に若干、骨が浮き上がった肋とか。毎度鏡を見る度にシャルは自分の容姿に苦笑いをする。
こんな最低限しか肉がついていない生娘なんて誰が見向きをするだろうか、と。
(…頬は1晩もあれば腫れは治るかな)
布を水の張った桶にいれ、蝋燭の火を一息で消す。そして寝間着を着たシャルは質素なベットに潜った。質素故に布団の中に綿も羽毛も無く、薄い布も同然だ。
するとシャルがベットに入るタイミングを見計らっていたのか、エリオットがもそもそとベットに入り込んでくる。ベットは一人用なので齢17と15の男女が入るには少し狭い。
だがこうしてエリオットがベットに入り込んでくることは度々あるし、孤児院に来る前はベットは一つしかなかったゆえに一緒に寝ていたわけでシャルも受け入れる。
それに質素で寒いベットに人肌は温かく、ありがたい限りだ。
「寒かった?」
「ううん、姉さんが寒そうやったから温度をおすそ分けしに来てん」
「…そっか」
シャルはエリオットの髪を梳きながら心地よい温かさに目を閉じた。
◆◆◆
シャル・ブレアとエリオット・ブレアがこの孤児院にやってきたのは数ヶ月前のことだった。
王都から少し離れた街でシャルとエリオットは貧しいながらも靴磨きを営んでいた。だが王都とその付近の街には大きな貧困差があり、生きていく資金はギリギリ。
しかもエリオットは多大な魔力を持つことと引換に生まれつき体が弱い。
営む靴磨きでは薬代も清潔な家で過ごすことも叶わなかった。
そんなある日だった。
シャルとエリオットの前に孤児院の院長が現れたのだ。なんでもシャルとエリオットのとある噂を聞きつけてきたらしい。
その噂とはこういうものだった。
あそこの姉弟は神の使いではないか、と。
理由はそれぞれあった。
姉のシャルは誰よりも博識であったこと。街の者は困ったことがあればシャルの元に訪ねては知恵を借りていたのだ。その持っている膨大な知識を応用して畑の飢饉を救ったこともある。
そして弟のエリオットは髪も肌も白いが目は炎のように赤い。アルビノなのだ。
アルビノとは一種の病気で生まれつき、肌も髪もまつ毛でさえも雪のように真白なのだ。人によれば肌の白さゆえに太陽の光の下を歩くことも辛い者だっている。だが全てが真っ白というわけでもなく、目は赤い。白さゆえに目の奥に流れる血が透き通って赤く見えるからだそうだ。アルビノのもう一つの特徴とも言えよう。
アルビノ云々というよりこの街には元々、白いものには縁起が良いといった風習がある。そしてアルビノで生まれた白い蛇を神の眷属として信仰する宗教も街にはあった。
だからといっても貧困の差もあり、金銭的なことはどうにもならず、エリオットに何か献上するわけでもなくて噂が独り歩きするのみだった。
その噂がどうやら街から孤児院にまで広まっていたようだった。まったく人と人の繋がりは怖いものだ。
そうしてシャルとエリオットの前に院長は現れた。
『孤児院の子供達には貴方がたのような神の使いの導きが必要なのです』
その言葉は信仰心がある故になのか、物珍しいから引き取りたいのか、どちらにせよシャル達が疑うには充分な言葉だった。
だが薬代もちゃんと栄養のあるご飯も清潔なベットも用意すると言われ、シャルには断る理由もなかった。
孤児院に来て始めの一ヶ月は良いものだった。
しかしシャル達の噂を知っていたのは院長だけで他のシスターはどことも知れない怪しい2人組が来たとシャル達を睨んでいた。
どうやらここでは院長が孤児院の絶対権利を持っているようでシスター達に不満があっても逆らえなかったようだ。
そもそも院長は説明なしにシャル達を引き取ったようなので睨まれても仕方がないとシャルは思っていた。
加えるならシスター達に自分達は神の使いだから引き取られたと言っても余計に睨まれるだけだ。
だがもういい歳だった院長が先月亡くなり、唯一味方だった者もいなくなったシャル達の待遇は変わる。
部屋は隙間風が通るボロい部屋になり、ベットももちろん羽毛が入っていない布。なので冬は着込んで寝なければならない。
次に本来シスター達が分担してやる仕事らは全てシャル達に押し付けられ、鬱憤晴らしにシャルに肉体的暴力。
暴力に関しては最初、エリオットにも行っていたがその事がシャルの逆鱗に触れた。
たった唯一無二の大切な弟であるエリオットが誰かの手によって苦しむということはシャルにとって逆鱗であったのだ。
絶対権力を持っている院長にシャルはすぐに仕掛けた。
物理的攻撃はできないと判断したシャルは持っていくように頼まれた院長の昼食に自家製の痺れ薬を入れた。
シャルの自家製なので効力は市販されているものよりも何倍も強い。
痺れて横たわる院長をシャルはにんまりと笑い、見下ろしながら『エリオットに対するイジメをやめるなら解毒剤を渡す』と告げた。
その次の日からエリオットが体に痣を作ってくることはなかった。
こうして標的はシャル1人になったわけだ。
新院長はシャルにされた所業がトラウマになったのか、はたまたシャルが神の使いではなく悪魔の化身に見えているのか、シャルとは目を合わせようとしない。おまけに2人きりになることを避けているくらいだ。
そして他のシスター達はというもの昼間は子供達と触れ合い、子供達が寝静まったらシスター協会から支給されるお金を横領して街で踊りあかす。
前の院長の規則が厳しかったので院長が死んだ今、抑圧されていたシスター達はやりたい放題だ。
シスターがそんなことをしてもいいのか、とシャルは呆れるがそんなことを指摘しても現状が悪化するので言わないでおいている。
だがシャル達はいつまでもこの孤児院に留まるつもりはなかった。