第二章 落し物が鬼だなんて聞いていないー2②
「くくく……っ。一升瓶をぶつけられるなんて随分とふざけた真似をしてくれるじゃないですか。いやはや不意の攻撃に驚いて反応が遅れてしまいましたよ」
砂利道の上で大の字になりながら鬼頭は静かに笑う。
一升瓶をぶつけられて無傷だなんて、流石鬼と言ったところだろうか。もっとも眼鏡は割れているから完璧に無傷だとは言い難いけど。
僕なら確実に頭蓋骨にヒビが入ってもがき苦しんだ後に死んでるだろう。
いやはや、キレてあんな物投げてくるなんて、神様マジ怖いな。
元々、燦が短気なのは知ってたから今更驚くことではないんだけどな。
「しかし、最初の一撃で倒せなかったことが貴女にとって最大の不幸だ」
鬼頭はゆっくりと立ち上がると眼鏡を外し、そのまま放り投げる。
それと同時に彼の体のありとあらゆる部分が徐々に膨れ上がっていく。今にも張り裂けんばかりだ。
ツノは今まで以上に伸びて端正な顔つきも岩のように荒々しくなり、口から荒れ狂うばかりの牙が伸びて禍々しい姿へと変貌していく。
「ワタクシの本気の姿を前にしては人間ごとき跡形もなく吹き飛んでしまうのですよ。せいぜい楽しませてくださ……ぬあっはっ!?」
……鬼頭の言葉が呆気なく遮られた。
遮ったのは放たれた燦の拳。
拳を顔面に受けたヤツの体は、背中を砂利道にぶつけながらリズムよく跳ねていき、鳥居に体をぶつけてようやく停止した。
土煙が巻き上がり衝撃とともに鳥居が震えた。
「やれやれですよ。私を目の前にして油断しちゃダメですよ。神を相手にするのであれば、それなりの用意と覚悟を持っていないといけません」
家と鬼頭との間の位置で、軽く飛び跳ねながら手を揺らす燦。
燦が外に出たの見えなかったんだけど。テレポーテーションですか、そうですか。
「強くなると堂々と宣言しておきながら、変身する間の時間を悠長に待っているだなんてお思いですか? ふははははははっ! 現実を見ろと言う割にはとんだロマンチストですねぇっ!」
燦は狂気染みたゲスのように高らかかつ嫌味ったらしい笑い声をあげながら、すぐさま瞬間移動をしてみせる。
中途半端に変化した鬼頭の腹の上で馬乗りになり小気味良く指を鳴らす。
女の子が騎乗位になるのは些かどうかと思うけどそれすら言わせない迫力がある。
「何故だ。どうして、人間ごときにこの私が……」
「人間ごとき? ハッ、魂の質を感じることが出来ないだなんて獣以下ですよ?」
「はぁ……っ!? 貴様、何を!?」
「そう、私は神です。この神社の唯一神にしてこの世のゲームを愛するゲーム神です」
「ゲーム神だと? ふざけているんですか? そんな者があり得るわけ……」
「あり得るわけ無いという狭い見識が今のこの状況を生み出しているのですよ。虚構の世界に興味を持たずに目を背けて来たから今、あり得ない現象を目の前にして対応出来ていないのです」
燦の右手に電気のようなものが纏って、はじけるような音を立てる。
「さっき貴方に与えたこの右の拳は、某電気ネズミが有名な育成バトルゲームの進化時におけるBボタンと同じ効果があるんですよ」
「貴様、それはどういう意味……!?」
中途半端に変化をしたまま、慌てふためいた様子の鬼頭。
ゲームを嗜まないのであろう彼にとって某電気ネズミが有名な育成バトルゲームにおいて、進化時におけるBボタンが何を意味するのか理解することが出来ないのは最早必然だろう。
しかし、燦のヤツがそれを教えるはずはない。
「なぁに、知ったところでこれからサンドバッグに転生なされる貴方には必要の無い話ですよ。よってですね。ーー殴られて下さいね?」
イエスとノーとも言わせずに繰り出されたのは、猛烈なまでの乱打だった。
一秒間に百八発程。胸ぐらを掴んで体を起こしては顔面に拳をぶち込むのでワンセット。
ただ、そんなワンセットでも物理限界を越えればただ殴っているようにしか見えないのだ。
無論、進化などしている余裕はない。
いや、正確に言えば進化したところで何の意味もないのかもしれない。
無駄な足掻き。ダメージカンスト。オーバーキル。そんな言葉が頭に浮かぶ程の重い殴打の音が響く。
20秒後、彼は首をガクンと背屈させたまま死に体と化した。
サンドバッグのようにただ殴られるだけの肉塊と化した鬼頭だが、まだ呻いているところを見るとあれでも死んでいないらしい。
中途半端に進化したことが功を奏したみたいだ。もし人間状態ならそれこそミンチみたいになっていたかもしれないだろう。
「たわいないですね。ストリートファイターからやり直すんですね。ボーイ」
神の腕力の恐ろしさについて改めて理解した僕だった。
☆★
「さて。今、貴女の置かれている状況を説明していただきましょうか?」
熟年の刑事風の姿に身を包み、事務椅子に座らせた琥珀に詰め寄る燦。
煙草……によく似た煙によく似たぺろぺろキャンディという未成年にも安心なものを咥え、事務机に手を乗せて体重を掛けて前のめりになっている。
いや、なんというか何でそんな格好しているのか、疑問でしか無いんだけど。見た目から入る人……いや、神なのかな。
「隠し事は無用ですよ。嘘をついているかいないかは直感で分かりますからね」
「……っていうか、どうして直感で嘘をついているかはわかるのに琥珀の抱えている問題はわからないのか……ねぇっぶらっ!」
腹に……拳が……。ヤロウ……っ。
内臓を殺られた。こ、こいつぁグレイトですよ。
うっ、意識が……。
「実はウチ。家出してきたんよ」
「それはそこにうずくまっている人から聞きました。で、その理由は何なのです?」
「……結婚させられるの嫌だったから」
「結婚っ!!?」
琥珀の口から出た言葉に僕達は思わず声を揃えて聞き直した。
琥珀は見た目、十四、五六くらいの女の子だ。
まあ、一概にあり得ないとは言えない話ではあるし、むしろ現代社会においては度々ある話ではあるけど、よくもまあ、身近にいる人間からそんな言葉が出るとは思わなかった。
いや、鬼の常識は人間の常識とは違うのかもしれない。
「それで家出ってことは結婚が嫌だってことか?」
「そゆこと。ウチは普通に恋愛をして結婚したいのにウチのとーちゃんったら『そんなのはブタにでも食わせちまえ』って言うんでさ、あんまり腹が立ったもんだから逃げて来たんよ」
「ふむ。不思議な話ですね。今の時代、親の決めた相手と結婚だなんて。鬼の世界では時が止まっていらっしゃるのですか?」
「いんや、むしろ皆んな気楽なもんで惚れた相手を見つけたらすぐに結婚だなんてよくあるくらいには時代は進んどるよ。……それが原因でもあるし」
「ちょっと待て。それってどういう意味だよ?」
「ほら、昔から鬼ってば人間のべっぴんさんをとっ捕まえて家に連れて帰るだろ?」
「それはよく聞く話だな。それで正義の味方が助けに行くってのがよくある話だし」
「そうそう。んで、そのままそのべっぴんさんと結婚して子を成すんだが、人間と鬼の間に産まれた子ってのが鬼としてのチカラは半人前なのに顔が良くてな。女どもには大人気にでモテモテになるんよ」
まあ、鬼のゴツい顔よりは少なくとも人間の遺伝子が入った方が多少はシャープになるだろうしな。
しかも、美人や美男子との間に産まれた子だとしたら尚更だ。
「だがなぁ、交配すればするほど鬼としての力が弱っちまうという何とも言えない状況になっちまって。気付けば人間とタイマン勝負で引き分けるぐらいになっちまったんよね」
……鬼の形無しだな。
まあ、人間と鬼のハーフだからと言って鬼の力がフルで使えるだなんて方が都合が良すぎるんだ。
鬼の肉体だからこそ耐久力が高くて多少無理しても力を振り絞っても大丈夫だけど、中途半端に人間な分、そこらへんの強度が低くなるのは当たり前だ。
強度が低い分、鬼の力を出そうとすると限界が来てセーブしてしまうから、弱くなるんだろうけどな。
「それで、唯一純血の鬼の血を継いでるウチの家系が島の長を務めているんだけど、その純血を絶やしたくないから他所の純血の鬼を婿養子として受け入れて結婚させようって話になったの」
「ほっこりと突然湧いたように生まれる私達神からすれば何とも理解しがたい話なんですが、切実なお家事情ですね。同情します」
「話の流れはわかった。けどさ、そんなに焦る必要ってあるのか? ゆっくりと親睦を深めてその上で気に入った人と結婚すれば良いんじゃないのか?」
「時間が無いんよ。次の日曜日にまでに決めんといけんからね」
……おふ。
僕は思わず頭を抱えた。
「次の日曜日に何があるんですか?」
「次の島の長を決める会議があるんよ。そこで長が跡取りを発表しないと島中にいる鬼が長の座をめぐって争うことになって……」
「跡取りって他に候補はいないのか?」
「お兄がいたんやけど、どっかふらっといなくなっちゃって……」
殺伐としすぎだろ。鬼ライフ。
っていうことは、だ。婿養子を取ってそいつを跡取りにして場を収めようという魂胆か。
他所の島の鬼なら問題だけど身内として抱き込めばこの件についての問題は収束する、と。
ーーあくまでこの件は、だ。
「ちなみにさ、その別の島の鬼とは仲良いの?」
「んいや、つい最近まではギスギスしてたんだが、ウチらが困っていると聞いてすぐこの提案をしてくれたんだよっ! いやー持つべきものは同属だよな!」
「なあ、燦」
「なんでしょうか」
「あいつは傀儡政治って言葉を知ってるのかね?」
「さあ、どうでしょう。恐らくは知らないでしょうけど、友好関係を築くために互いの子供を結婚させるということはよくある話なので、一概に敵意を向けるのは違うとは思います。万が一貴方の懸念が外れた場合、余計なお世話ってことにもなりかねません」
「それはそうだけどさ……」
果たして真実はどうなのかは今の僕達にはわからない。
しかし、一つ言えることはこれ以上、鬼の襲撃を食らうのはゴメンだということだ。
だからと言って琥珀を追い出すなんてこともしたくない。ウチの神社と関わりを持ったからには、誰かが不幸になっただなんて話を聞きたくない。
かと言って、不幸になるとも限らないし、もしかしたら結婚する相手が存外に良い相手なのかもしれないしな。
ーーこれはハッキリさせておく必要がある。
「……琥珀さん、一つ聞いてもよろしいですか?」
「なんだよ、さんサマー?」
「貴女が逃げ出したことについて周囲が争うことになることについてどうお思いですか?」
燦の問いに琥珀は黙り込んだ。
少し考えた後、消えそうな声を出した。
「……皆には悪いと思ってるんよ。でも、うち、どうしたら良いのかわからんくて……」
「オウケイ。それなら問題ねぇですよ」
燦の言葉に琥珀は目を丸めて『えっ……』と聞き直す。
「いやですね、自分勝手なことを考えていたら消し飛ばそうと思っていたんですが、自分の力のなさを悔いているのであればいるので良いんです。救いようがありますからね」
「救いようって、お前な」
「ですが、今の問題は解決しなければいけません。私の平穏無事な棲家にこれ以上災いを起こさせるわけにはいきませんからね」
燦はじっと琥珀の目を見つめて、
「この問題、解決させますよ」
「ほ、本当か!?」
「えぇ。ただ平穏無事と言うわけにはいきません。願いを叶えるためにはそれなりの代償が必要です。その覚悟はお有りですか?」
「……もちろんだ。ウチに出来ることなら何でも言ってくれ」
「わかりました。では、連れて行って下さい。貴方の故郷に……彼を」
天使のような微笑みで僕を指差す燦。
……って、はい?