第三章 無くしたものは何ですか? はい、龍っ娘ですー3③
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僕はひぐらしの鳴く山奥を駆け抜けていた。
夕陽は完全に沈み込み、木々が闇を生み出しているかのようにあちこちに広がり、不気味さを演出している。
慣れない足場を走ってるせいで足の裏が、ふくらはぎが、太ももが悲鳴をあげていやがる。
日頃、こんなに走ってないせいだろう。吸っても吸っても肺がもっと酸素をよこせと喚いてきて仕方ない。
奴がどこにいるのかは僕自身、見当がつかない。
でもだ。死んだひい爺さんが言ってるような気がした。
走れ、走れ。足を止めるな。まだ間に合うと。
そして、何より頭の中で声が響く。
――聞いたことがある。
思わず死んでもなお、苦しい思いをしたかもしれない状況からに救い出してくれた声が。
「此処かっ!」
草むらを転がりながら僕は外に飛び出した。
午前中に行った古井戸だった。
その傍で、顔を真っ赤にしながら涙を拭っている禊ちゃんがそこにいた。
「ば、馬鹿! な、なにしてんのよー!?」
「おやぁ、禊ちゃん。泣いてたのかねぇ?」
「な、泣いてなんかないわよ! ば、ばっかじゃないの?!」
「その割には顔真っ赤だけど?」
「ぬぉっ!? こ、これは生まれつきよ。生まれつきなのよ……」
ふてくれされたように頬を膨らませる禊ちゃん。
おやおや、なんとも可愛いもんだ。
「ふーん、そうなのか。そうじゃなかったような気もするけど、まあ此処はあえて触れないでおこうじゃないか」
「な、なんか、歯に衣を着せぬ言い方ね。で、何の用なのかしら? アタシはもう寝ようと思ってたんだけど?」
……嘘つけ。鼻水垂らしながら涙目で寝れるかよ。
「勝負の結果を伝えに来たんだよ」
「はっ、何を今更。アタシは負けたのよ。アタシのことなんて誰も覚えてやいやしない。そんなのわかってたんだけどね」
「と、言うと?」
「昔はね、アタシが呼びかけたら何らかの反応が返ってきたのよ。その道に進めば危ないって伝えたら、ちゃんとその道を避けて通ったり、勇気が出ない人がいてもアタシが頭の中に呼びかけたら勇気を出して行動してくれて成功したりして……。だからこそ、皆アタシのことを慕ってくれてたのよ」
細々と今にも消えそうな声を出して禊ちゃんは『でもね』と続ける。
「年月が経つにつれてアタシがどれだけ呼びかけても、どれだけその道が失敗するという未来が見えて、それを語り掛けても言うことを徐々に聞かなくなっていったのよ。言うことを聞かないだけならまだ良い、反応すら見せなくなっちゃったわけ」
「で、自分の信仰心が薄れてることに気付いたってわけか」
「そういうこと。結局はアタシを慕ってくれてる人なんて誰もいなくなってたってオチよ。それでも信じたくなかったの。認めたくなかったのよ。自分を知ってる人がこの世に誰もいなくなったなんてことを」
「それであんな勝負を挑んだってわけか」
「ホント馬鹿よね。サン……だっけ? あの子には本当に迷惑をかけたと思うわ。今やあの神社はあの子のものだってのに押しつけがましく負けの見えている勝負を挑むなんて。ホント、こんなのだから神としての威光も薄れるんでしょうね」
うなだれるようにして禊ちゃんは俯いた。
なんだこのガキは。すげぇイライラするな。
あんだけ高飛車な態度を取っておきながらこんな陰湿でジメジメしたところでしょうもないことをうだうだと言いやがって。
うちのひい爺さんは一体、こいつの何を見て崇めてたっていうんだ。自分のご先祖様なだけに腹が立ってくる。
「ふざけんなよ」
「……えっ?」
「てめぇは神だろうが。なに、人間に媚び売ってんだよ、媚びを売るのは人間の方だろうが。大切に崇めて奉って、神聖視して丁重にもてなすのは人間の役目なんだろ。それをされなかったからってお前が拗ねててどうすんだよ」
僕は大人げなくも禊ちゃんの胸ぐらを掴み上げて、
「それにお前の声なら“僕に”しっかり届いてんだよ!」
「……う、嘘?」
「嘘なんかじゃねぇさ。僕が思わず琥珀に手を出しちまいそうになった時、お前が止めてくれたんだろ? ありがたかったさ。本当にありがたかった。うちの本神は何をやってるんだってくらい感謝したんだよ」
僕は言葉を紡ぐ。
神様に人間の言葉を伝えるのも神主の役目だ。
直接言わねえとわかんねえなら面と向かって言ってやる。
「それなのに何だ? 『アタシを慕ってくれてる人なんて誰もいなかった』だあ? 神様の癖に寝ぼけてんじゃあねえよ! 一人や二人しかいなかったゼロってどんだけちいっせえ器してんだよ! 四捨五入で切り捨てんな!」
「切り捨ててなんか……無いわよ。でも、アンタなんか何百何千という人から忘れ去られる辛さにわかんないでしょっ!」
「わかんねぇさ。わかんねぇけど……」
胸ぐらを掴んだ手に力が入る。
「一人ぼっちの辛さならわかる」
嫌な過去が頭にめぐる。
ただ、それ以上に一人と向き合う大切さを教えてくれたあの日のあの駄女神の言葉が僕を支えている。
「形あるものや関係性っていうのは必ず壊れるし忘れる。だけどそれの向き合った時間と思いだけは絶対に忘れない。だから今と向き合えよ。禊ちゃん」
「でも、そんなこと。アタシには……」
「出来るさ。お前を慕ってる人間は此処にいる。教えてもらうまで名前も知らない、礼儀作法や何をしたら神様が喜ぶのか分かっちゃあいない不信心なクソ人間だけどさ、お前に助けてもらって本当に助かったって感謝してんだよ。だから……」
僕は全身全霊を込めて頭を下げて、
「僕たち少数派のことを忘れないで下さいよ! “神様”っ!」
僕の言葉に禊ちゃんは思わず唇を噛みしめた。
今にも泣きそうになりながら嗚咽を漏らして、もう涙で何度も拭いたのであろう袖で何度も何度も涙を拭っている。
彼女の心境なんて知るか。
これを言ったからと言って勝敗をひっくり返せるわけではない。
でもだ。口にしないとわからないことだってある。
「くっ、くっそ。ほ、本当に……クソ人間ねぇっ! ア、アンタくらいは……れ、礼儀作法を覚えていなさいよ。神主でしょ!」
「悪いね。僕は神主の中でも下衆なんでね。こんな態度しか出来ないんだよ」
「フンだ。本当にクソ生意気な人間ね。こんな人間が増えたのかしら。現代って」
「本当にそうなのか。この世界を見てみないか」
僕はそっと立ち上がって手を差し伸ばす。
その様子を禊ちゃんは目を丸めながらじっと見つめている。
彼女の瞳の奥に何かを映して。
「ホント。アンタってば“アイツ”と同じことを言うのね」
「アイツ?」
「何でもないわよ。アタシに世界を見せるって言った限りはしょーもないもん見せたら承知しないわよ」
「あぁ。禊神社にいれば飽きることなんてねぇよ。そういう神社だよ。誇っても良いんだぜ?」
自慢げに胸を張りながら言うと禊ちゃんは静かに笑って、
「ひひっ。誰に向かって言ってんのよ。その神社の神様よ?」
「残念。今のその席には先客がいるからさ。門外顧問の龍ってことでどうだ?」
「それで良いわ。そのお役、有りがたく受け取ってあげる」
「メンドクせえ高飛車っぷりだな」
でもだ。
――その笑顔は見ていて幸せな気持ちになるな。ひい爺さんが惚れるのもわからんでもない。
「でも、アタシが神社に帰ったら、サンが嫌がるんじゃ……」
「大丈夫だ」
僕は親指を立ててどっかの誰かさんの真似をして、
「――諦めたらゲームは終了ですよ?」




