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寄せては返す波のように

遠い場所。最後の旅。まるで寄せては返す波のように。波間の先に想いは届いてくれるのだろうかー。

 暗闇の中に足跡をつけていく。しゃくしゃく、しゃくしゃく。テンポ良く足音を響かせられるのは、何度もやってきたからできることなんだろう。でも、この経験も今回を最後に記憶の海へ沈むになる。

 人はおらず、浜辺を照らす明かりは相変わらずなかった。次第に高まる波の音は、浜辺に打ちつけた後も泡となって淡く弾けた音を奏でている。

 なんとなく、先に一人で歩きたかった。今年で最後になるであろう家族旅行。手をつないで歩いていたあの頃から大きくなりすぎたんだ。あたしは寂しさをうまくコントロールできず、兄を置いてきてしまった。

 兄は職に就き、地元を離れる。それは最初からわかりきっていたことだった。5歳離れた兄はあたしにとって目標だった。大学の間も女性関係の話は全て断って目標に向かい続け、念願を叶えたその背中は大きかった。それにもかかわらず、妹のあたしのわがままを許し、いつもなだめ、盛大に甘やかせてくれたのだ。

「いたいた。もう、おいてかないでよ」

やさしく微笑みながら駆け寄ってくる兄のその手にはバケツとちいさな花火セットが携えている。

「いいじゃん。最後ぐらい一人で歩かせてよ」

「危ないじゃん。女の子一人で歩いちゃ…」

あたしのそばに花火を置くと、兄は波間に歩み寄り、バケツに海水を掬った。

「…」

かける言葉が、かけたい言葉が喉元で留まっていた。帰ってきた兄はバケツを置き、花火セットの開封に取り掛かった。

「どうしたの? 怒ってる?」

手元を動かしながら、兄は俯いたあたしの顔を覗き込んできた。暗く表情が見えないからか、いつもより顔が近かった。

「ちがう」

精一杯の返事をし、あたしも開封を手伝った。

 一通り花火をばらし終えると、兄は手持ち花火を手渡してくれた。

「あれ、火は?」

「大丈夫。持ってきてるから」

そう言うと、見覚えのないライターがポケットから出現した。

「…それどうしたの?」

「もらったんだ。合格祝いって。かっこいいでしょ」

パチン、と音を立て不慣れながらもライターの先端を回転させる。あたしが知りたいのは、誰から貰ったかということなのに。

「この部分。フリント・ホイールっていうんだって」

そう言いながら笑顔で火を灯すと、あたしのところに近づけた。

「はい。点けていいよ」

手持ち花火が揺らめく炎を纏う。たちまち穂先を縮ませたかと思うと、眩い光が飛び出した。

「おお! ついたね」

ライターをしまうと、兄は花火を手に取った。

「はい。お兄ちゃんも」

あたしは穂先を兄の持つ穂先に寄せる。チリチリと音を立て、ぶわりと発火し、もくもくと煙を上げた。


「…お兄ちゃん、来年はこれるの?」

「うーん。厳しいかもなぁ。忙しい時期だし」

「そうなんだ」

「なに? 寂しいのか?」

軽口のようだったが、あたしには重い言葉だった。言葉を返せずにいると、兄は後頭部を掻いた。

「しかたないなぁ。頑張ってみるよ」

「ぜーったいだからね」


 バケツの中身が増えていく。手持ち花火は線香花火を残すのみとなった。風を並んでしゃがむと顔が近い。顔に力が入っていたようで、

「ん? どうした? 面白くない?」

「ううん。落とさないように集中してる」

少しでも時間が延びるように。線香花火ほど、時間を意識させる花火はないと思う。終わるということは、楽しいひと時も終わってしまうということになるからだ。

花火が、終わらなければいいのに。

この夜の世界がずっと続けばいいのに。

その思いに反し、兄はこう言った。

「線香花火って長く保った方がいいって言うけど、俺はそう思わないかな」

「えっ…。どうして?」

「ずっと同じ体勢のままだし、花火をしている人の楽しそうな姿を見ずに、集中しないといけないからね。それに」

「それに?」

「打ち上げ花火と一緒で、終わらなければ次の花火に進むことができないからね」


 湿る指先に反し、最後の火球が滴る。花火が終わってしまった。たちまち、消えていたはずの波音は再び耳に染み渡ってくる。

「もう少し、したかったなぁ」

「少しでいいって言ってたのに。相変わらずの気分屋だなぁ。これじゃあ、まるで波だよ」

あたしをなだめるように兄は言った。

波なのは兄のほうだ。傍には居てくれるのに、心は必要以上には近づくことはない。寄せてもあたしの足に届かずに帰っていく波だ。

兄に寄りかかり、体を預ける。

「どうした?」

「そういう気分なの」

胸の高鳴り。呼吸をするのが難しい。これまで幾度となくこの場所を共に経験をしていたはずなのに最後の旅行になってしまったことが悔やまれて仕方ない。

「こうしていられるのはもう半年もないんだな」

兄はぽつりと呟く。

「…」

違うじゃないか。前に進もうと兄は努力してきたのに、停滞を望むのは間違っている。あたしも覚悟を決めなければならないのだ。

「さて。残念ながら花火も終わっちゃったし、帰ろっか」

兄はあたしを起こし、立ち上がった。

「さぁ、いこう」

手を取ると、あたしを引っ張り上げた。兄の脈を感じる。どうして、この血があたしと同じじゃなかったのだろう。同じだったなら、きっとこうはならなかったのに。

せめて。制服に袖を通していられるそれまでに、この気持ちを伝えられるだろうか。

夜は更けていく。波は寄せては返し続けている。どうか、焦がれる想いもさらわれませんように。あたしは繋いだ手を離す。

「…もう少しだけ」

サンダルを脱ぎ捨て、あたしは目の前に広がる波打ち際へと走り出す。くるぶしに浴びた波は冷たく、振り返った兄との距離は遠いままだった。

今回は旅はサブテーマとしていますが、夏らしいが自分があまり描かないものを書いてみようと思い、作るに至りました。


次回はまた旅をテーマに書く予定です。

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