レンシアの星空(そら)の下で
各地の通信が集結する街レンシアに立ち寄った時のことだ。レンシアという街は特殊で、地上に通信網の中心を置かず、電線は地下に完全に埋め込まれ、電柱一本すらない。その結果何が起こったのか。空が広いのである。
閑散とした印象を受けやすいが、それでもマーケットは充実している。イスタンブールほどの規模ではないが、迷路のように入り組んだ通りには服飾、生活雑貨や食品など、多くの店が並んでいた。今回、私たちの会社もこの情報集積地レンシアに拠点を設けるべく、私が視察派遣されたのである。
今日から数日にわたり、カーニバルが開催されるらしく、マーケット表通りはひときわ賑わい、飛び交う飽きないの掛け合いが空間を反響していた。対照的に、一歩裏通り足を入れると、そこはもう居住区。住宅地への入口となっており、トーンが二段階ほどダウンする。店もまばらで、道端では灰色の野良猫がのんびりと過ごしている。そんな裏通りの落ち着いた情緒を感じながら歩を進めていたその時だった。目の前の個人経営らしい電気屋店の前に、奇妙な看板が設置されていた。
「ぬくもり、あります」
“ぬくもり"、とは温もりのことなのだろうか、それとも、この地域の方言か何かなのだろうか。店内は展示された蛍光灯や室内灯などで明るく、店番をするおばさんもごく普通の雰囲気。怪しい雰囲気がないため、尋ねてみることにした。
「すみません。店先で気になったのですが、この、『ぬくもりあります』とは、一体何のことなのでしょうか?」
「ああ、これね。うちの旦那が、変なことをやってるのよ。みてく?」
ぬくもりは見えるものらしい。ますます気になり、二つ返事する。
「よろしければ」
すると、カウンターに飛び出しているパイプに向かっておばちゃんが叫んだ。
「とうちゃーん、客だよー」
その後、カウンター裏から何かを取り出した。
「じゃあ、ここから入って。はい。ランタン」
ところどころの真鍮色がはげている、妙に年季の入ったランタンを持たされる。灯火はほのかに明るい。デザインは、昔イスタンブールでも眼にしたような異国情緒漂う細かな模様が彫られていた。一方で、開かれた扉の先には真っ暗な螺旋階段がみえる。ここを降りていけ、ということらしい。レンガ模様の壁はひんやりとしており、先ほどおばさんが話しかけていたパイプが壁に備え付けられた手すりに沿って取り付けられている。明暗するランタンを片手にコツンコツンと音を立てながら慎重に下って行くと、少し大きな一本道に出た。地下に降り立つと、なんだか少し空気の温度が上がったように感じられた。道の先にはひとつの扉が見え、扉には営業中の看板が下げられていた。
ノックをし、扉を開ける。目の前には巨大な空間が開け、無数の灰色の配線が森のように生い茂っていた。どうやら通信配線らしく、部屋の四方と上方には赤や緑のライトか点滅し、ごうごうと冷却ファンの発する音が響いていた。
「あの、すいませーん」
人間の姿が見えず、辺りに呼びかける。すると、どこからともなく音が聞こえた。配線をかき分ける音のようだ。目の前の配線が上下に動いた。
「やぁ、いらっしゃい」
タオルを頭に巻いた無精髭の初老男性が、配線の森の中から出現した。
「あの、ぬくもりっていうのが気になりまして」
「あーはい。じゃあ、おいで」
「この中、ですか?」
どうしよう。私はスカート姿のため、低姿勢では汚れるのではないかと不安になったからだ。
「ああ、お嬢さん。スカートがきになるのかね。大丈夫だよ。床は綺麗にしてるから」
「そうですか」
言われるままでに配線の海を潜って行く。すると、急に大きな空間が目の前に現れた。その瞬間、私は息を飲んだ。
筆舌を尽くしても表現し難い、透明の配線が覆う光の空間。クリスマスツリーの飾りのような、メリーゴーラウンドのような、まるで銀河の集合体のような。そこには、まばゆい光の空があったのだ。床に散らされた配線からも、ほのかにオレンジががった光が漏れており、光の畑のようだった。
「どうだ、あったかいだろ? これ全部、人と人とのつながりが生んだぬくもりなんだよ。ある意味では、この街のすべて。普段なら、これが独り占めさ」
誇らしげな表情で、おじさんはあぐらをかきながら、”空”を見上げている。その言葉は、同時に、各地へとつながる巨大な通信集積網がたった一人の技師によって整備されているということを表していた。
「きれい、ですね」
眼前の光景に、純粋な思いが漏れた。人は、想像を超えるほど美しいものを見た時、最も単純な表現しかできないことを知った。ふと我に返った私は、おじさんに質問する。
「こんな、見ず知らずの人を簡単に通してよかったんですか?」
「きみは、ぬくもりを求めに来たのだろう? なら、悪いことをするために入ってきたわけじゃないはずだ。まぁ、悪そうなやつだったら、かーちゃんが入れないだろうからね。そうだろう?」
「…そういわれれば、そうですよね」
“星空"のもとで私たちは腰を下ろす。それから、おじさんは話し始めた。
「小さい頃、”地上"から見上げる星空は、今のように綺麗だった。でも数年前までは技術の発達に伴って、人々が絆を早く、そして強く求めてしまったが故に、星空に電線という名の"蜘蛛の巣”が幾重にも覆われてしまったんだ。その結果、景観を気にしたお役所が、地下に埋めることにしたんだ。
それで、今はコレ。人々の見えないところで、人々の絆は維持されている。こんなにも綺麗なものが、星空よりも見栄えが悪いなんて皮肉な話だ。ホント」
配線の空間の中で、声が反響する。おじさんは、もったいなさそうな、残念そうな表情を浮かべ寝転んだ。
「だからこそ、この暖かい人々の絆を見て、感じてもらって。これを機に、少しでも考えてくれる人ができたらいいなと思うようになったんだ。それが、ぬくもりを謳いながらも人を呼ぶ、大きな理由だな」
「つまり、人々の繋がりが見えなくなった地上は寂しいものになってしまった、ということですか?」
「そこまで言わないさ。綺麗な星空は、人々を癒してくれるからな。ただ、人々の絆も星空を作れるということ、それに優しい気分にもできることを知ってほしいんだよ」
私は電気屋さんを出て、街の郊外の川沿いを目指した。裏通りを流れる川は静かで、遠くでライトアップされた歴史的建築物を除いては、小さな街灯が数十メートルおきにほのかに灯るだけだった。恋人同士や、親子が橋の欄干に寄りかかり空を見上げていた。
私も、空を見上げた。確かに、邪魔だとされていた電線の類はなく、満天の星空が街の光にかき消されることなく鮮やかに映し出されていた。こういうと、ロマンチックだと感じる人もいるだろう。でも、おじさんの言葉を聞いてからは、そうは感じられなくなってしまった。
建造物のあたりからまばゆい光が差し、遅れて破裂音が耳に届く。そういえば、カーニバルだったんだ。欄干の方から歓声が上がった。
私はひとり、遠い異国の街で、開けた空に打ち上がる花火の音に澄ませた。
書いている時の仮タイトルは「パイプのぬくもり」でした。それ、配線じゃなくて配管や、とおもいました。
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このシリーズは、こんな感じで遠い国を旅する話が続いていくかと思います。




