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アンハッピーバースデー

いつもと同じ時間に目が覚める。いつもと変わらない自室のベッドの上。

隣にはいつもと同じように熟睡している夫の姿。

夫を起こさない様にそっとベッドから抜け出て大きく伸びを一つ。

寝室のレースカーテン越しには雲ひとつない蒼い空を赤く染めつつある太陽が見える。

そう、いつも同じように見ている光景と何一つ変わらないはずだ。

でも、一つだけ違う事がある。今年はその事に気が付いてくれる人は何人いるのだろうか?


「おはよう」

「おはよう」

いつもの様に、子供達が朝の挨拶をしてくれる。これもいつもと何も変わっていない。今日もこうやっていつも通りに過ぎて行くのだろう。

「お兄ちゃんはお弁当出来ているからね。トースト焼けたら食べ始めなさい」

そう言って私は朝食の盛りつけられている皿を子供達の前に置く。

今日はハムとチーズの入ったオムレツ。大根サラダ。カットフルーツの入ったヨーグルト。飲み物は個人の好みにあったものが冷蔵庫に入っている。

「頂きます」

早速トーストが待てないで朝食を食べ始めるのは高校1年になる長男。自宅からほど近い私立高校に入っているのだが、特別進学クラスの為、朝の補習が7時から始まる。

学校までは自転車で5分程の距離だから朝食は糖分を多めに毎日食べる。

「今夜は塾がないから補習が終わったら帰ってくるから」

「そう。じゃあ、夕ご飯用意しないとね」

私は長男の食べ終えた皿を片づけて夫の朝食の支度を始める。

子供達の朝はパン食だが、私達夫婦はご飯食だ。

「で、アレ頼めるかな?」

最近、朝の補習が入ってきた成果、お昼までにお腹が空くという長男にお弁当までに食べるお握りが欲しいと言ってきたので、小さめのお握りを二つ握っている。でもそれを頼む日は午前中に体育がある日だけだ。

「何か入れる?それともお塩だけ?」

「塩だけでいいや。体育の後で食べるから」

「そう。それじゃあランチバックに保冷剤入れてあげるから、冷たいと思ったらレンジで30秒温めなさい」

「分かった。そろそろ父さん起こさないの?」

お握りを詰め終わった私に時計を指差す。そろそろ夫さんにも起きて貰わないといけない時間だ。

長男と同じ時間に起きて朝食を食べている次男は中学二年。運動部に入っていて朝連があるはずだけどもいつもよりのんびりしている。

「今日はのんびりなのね?」

次男が飲んでいるリンゴジュースを継ぎたそうとアイコンタクトをする。

「今日から期末テスト前の部活停止期間」

「成程。今日は早く帰ってくるの?」

「いいや。最終下校時間まで図書室で勉強してから帰る」

「それがいいんじゃないか?お前家にいても勉強しないし」

「兄ちゃんに言われたくない」

いつもの様に口げんかが始まる。見慣れた光景だが、長男も学校に行かないといけない時間だ。

「はい、そこまで。行ってらっしゃい」

長男に、ブルーのギンガムチェックのランチバックを手渡して学校に行くように促した。

「行ってきます」

長男を玄関で見送ってから寝室に向かう事にした。


寝室の中では、いつもと同じように起床して着替えている夫さんの姿。

「おはよう」

「おはよう。今日のネクタイはどれがいいと思う?」

ネクタイを3本襟もとに充てて決めかねている様だ。

そのネクタイは全て私が結婚前に夫さんにプレゼントしたネクタイだ。

「そうね。私はこれでいいと思うわよ」

私はその中の、プルシアンブルーがベースになっているストライプのネクタイを選んで手早くネクタイを結ぶ。結婚してからネクタイを結ぶのは私の仕事になっている。これもいつもと変わらない仕草だ。

夫の朝食の用意を終えた時に、スマホのアラームが作動した。

「どうかしたのか?」

「何でもないわ。のんびりしていていいのかしら?」

「そうだな。今日もおいしい朝食をありがとう」

夫の朝食は少量ながらおかずの種類は多い。今日だけでも、鮭の塩焼き・ひじきの煮物、イカと里芋の煮物、きんぴらごぼう、ワカメと豆腐の味噌汁。

ご飯はきっちり一膳。おかずが半分位減ったところでほうじ茶を湯呑に入れてそっと置いた。

スマホのアラームを解除したけど、夫さんは何事も無く食事を進めている。

そんな夫をダイニングテーブルの向かい側に座って眺める。

この人は今年も気が付いてくれないのね……心の中でそっと溜め息をついた。こうやって座っている姿もいつもと変わらないだろう。


でもね、夫さん……あなたも忘れているのね。今日が何の日なのかも。

今日は私の誕生日。私が生まれたその時にお祝いしてくれる……とあなたが私にしてくれた約束……。

朝に生まれた私もいけないんだろうと思うけど、子供が成長して互いに忙しいのだから仕方がないことだよね。

やがて夫が出社して、子供達も学校に行ってしまい、広い家には私一人になってしまう。

いつもであればフルタイムの正社員なので、私も職場に行かないといけないのだが、今日はアニバーサリー休暇を取得しているので休みだ。

食器を洗って、洗濯物を干し終わったのが8時前。いつもの習慣で済ませてしまって手持無沙汰になった私は普段は見ないワイドショーを見ながらソファーに横になった。


「今日は何をしようかしら?」

昨日までに特に用事をいれていないから、これから先は全くのノープランだ。

「そうね、久しぶりに整体に行って、話題のイタリアンに行って、映画を見てから家に帰るにしようかしら?」

下の子も中学に入って部活動をしていると大抵帰ってくるのは午後6時頃だ。

それよりも平日に休みを取ったのは本当に久しぶりだ。最近は子供の学校今日時に合わせて取得していたから、最後に取得したのは長男の高校の入学式だろう。

学生時代からの友人たちが私が生まれた時間が過ぎてからメールを入れてくれた。彼女達とは明日のティータイムを一緒に過ごす事になっている。

互いに家庭があったりするから、メールでのやり取りが最近は多くなってきた。ゆっくりと会うのも本当に久しぶりだ。

子供達の学校の保護者仲間とは……たまにお茶はしているけど、私以外は専業主婦だった保護者仲間も子供達が高校に入ってからパート勤務をしている。

今の時間帯ならまだ皆自宅にいるだろう。彼女達のシフトは遅くても午後1時に終わる事は知っている。

―今日、前に話題になっていたイタリアンに行く予定だけど、一緒に来れる人っているかな?―

暫くすると、全員から連絡があって、1時半に店に集合で私の名前で予約を入れるとなっていた。どうやら、私が今日休みを取る事が分かっていて事前に手配をしてくれていたらしい。

「逆に迷惑をかけてしまったかな」

私は呟く。予約を取ってくれた人には感謝の返信を入れてタイムスケジュールを再確認する。

整体が終わるのが遅くても11時だとしたら……美容院に行くのがいいだろう。美容院の後に自宅に戻って着替えてからレストランに行くのが無難だと自分でスケジュールを変更する。

整体に行く準備を始めるまで、ソファーに寝そべりながらのんびりと過ごす事にした。


整体に行っても、美容院に行ってもスタッフさんに誕生日である事を言わって貰えた。そりゃあそうだ。個人データとして誕生日を記入していあるのだから。

そこで知ったのは、アニバーサリー休暇はそんなにある訳ではないと言う事。私は転職経験がないから何とも言えないけど、この休暇はいわゆる有給休暇の中の一日が組み込まれている。当日が無理だとしても前後1週間であれば取得は許されている。そのため休日に誕生日を迎える人は金曜日だったり月曜日に休暇を取る人が多い。取得率は8割位だろうか。

美容院ではいつもはアップで纏めている私だが、たまには下ろして巻いてみましょうってことで、緩く毛先がカールされている。この位なら職場で忙しくない日でも出来るかな……なんて事を考えていた。

自宅に戻って、ランチに出かける為に着替える事にした。

空色のニットのアンサンブルに麻素材のベージュのロングスカート。

ちょっとあっさりとしていたので、華やかに見えるチェーンベルトを巻いてターコイズの付いた大ぶりのネックレスを付けた。

時間は午後一時。身だしなみを軽く整えて待ち合わせ場所に行く事にした。


集合場所のイタリアンは、最寄駅の普段使う出口の向かい側に出来た見せた。

どの時間帯でも前菜が食べ放題だというその店はいつも混み合っている。

私が五分前に行くと、お店のスタッフさんが外ではなくて店内で待って下さいと店内に入れて貰えた。なので、私は店内にいる事をメンバーに一斉メールで送った。

時間になると、三人そろって店内に入ってきた。どうやら三人ともパート勤務の後に直接来たらしい。

「定時で上がれなかったらどうしようかと思っちゃった」

「そう言う時は実力行使でしょう」

「元気そうね。いつまでもココにいてもだめよ」

三人に促されて、店員さんに予約をしてある旨を告げて奥の半個室に通された。


「「「誕生日おめでとう」」」

「ありがとう」

「「「今日のランチが私達のプレゼントね」」」

「そんなことしなくてもいいのに」

どうやら、今日のランチは彼女達からのプレゼントの様だ。

「私たちだってあなたからプレゼント貰っているもの」

私は彼女たちには彼女たちをイメージした玄関に置ける様な小さなフラワーアレンジメントをプレゼントしていた。

それだって、自分で作るものだから材料費位しかかかっていない。

「それでも……これは高いわよ」

「あなたのプレゼントの方が今日のランチ代より高いもの」

「それにもう誰も私の誕生日祝って貰えないのよ」

「そんな中、ママ友のあなたのプレゼントがどれだけ浮上させてくれたか。本当に凹んでいたから嬉しかったのよ」

私だけではなくて皆も同じ悩みを抱えていたのね。

「本当にありがとう。私も皆と同じだったの」

「そうなの?」

「今はそうかもね。まだ今日は終わってないわよ」

「そんなに悲観的にならなくてもいいじゃない」

彼女達は私を励ましてくれる。そんな気持ちが凄く嬉しかった。


彼女達とは、長男の中学の役員で知り合った。彼女達の子供達は高校三年生。人生の岐路に立たされている。家の子が一番年下だ。

「皆はどう?」

「どうって、親は見守るだけじゃない」

「そうよ。高校からは勉強しなさい位しか言わないわよ」

そこの悩みはどこの家でも一緒なのね。

「それより、皆で同じ職場だけど、担当も同じなの?」

「それが違うの。皆ばらばらだからこうしていられるのよ」

同じ職場だとやりずらいかと思ったら、どうやら彼女達は部門が違うらしい。三人は、事務・惣菜・レジときっちりと部門が分かれていた。

「私、学校を出て本当に少ししか社会人にならなかったから働けると思わなかったの。でも主婦でも出来る仕事があるって分かったの」

「大変だけど、楽しい?」

私は三人に問いかける。この職場を三人に紹介したのは私だったから。

「うん、三人とも別の担当だからこうやっていられるの。あの時紹介して貰えてすぐ感謝しているわ」

「「私達もよ。ありがとう」」

私の仕事は求人誌も扱う出版社だ。彼女達に紹介した時は丁度求人誌の部署にいた。部門リーダーになれそうなパートさんが欲しいとクライアントが言っていたと言うのを聞いて、私が彼女たちを紹介したのだ。

彼女達はクライアントさんが求める以上の仕事をしてくれているようで、来季から契約社員に変更したいとクライアントさんから私に打診がきた。

直接彼女達に伝えるのは不安なのだろう。

「ねえ、パートさんがいい?それとも契約社員になれるなら社員になる?」

彼女たちにも家庭の事情があるだろうから即答はしなくてもいいと思っていた。

「「「なれるなら社員」」」

三人に意見は即答だった。これならクライアントさんも打診してくれるだろう。

「そう。子供の手がかからなくなるものね」

「うん、実はね……あなたを羨んだ事があるの」

「フルタイムで仕事して、子育てして……キラキラしてて」

いきなり一人に言われて私は驚いた。

仕事を止めなかったのは私の意思。子育てをするのも当然。キラキラはどこが?

「職場が子育てに積極的だった事が私にはラッキーだっただけ」

休暇を積極的に推奨する会社だったし、子育て支援も積極的だった。

次男の時は社内保育所があったら時短勤務と合わせて保育所を利用した。

長男の学童は途中で会社の子会社の経営する学童を兼ねた学習塾に切り替えた。

仕事は忙しかったけど、子供達が傍にいたから乗り切れたんだと思う。

「キラキラは役員の打ち合わせの時にメイクしていただけよ」

あの当時は子育て誌の編集をしていたから保護者に会う事は業務上多かった。打ち合わせで会うお母さん達は、同じ保護者で親身になる人、羨む人……いろんな人がいたけど、今ではいい経験になっている。

「契約社員だって……なんかくすぐったいね」

「でも定年いくつだっけ?」

スーパー勤務だから気になるよね。でもね、皆の働いている職場は公的年金の支給年齢まで雇用する企業さんだからもう暫くは安泰だと思うわ。

そういうことは今ここで教える事ではないので今は黙っておく。

その後は、子供達の近況だったり、各学校の文化祭がどうなのかなんて取りとめのない話をしてランチ会は終了した。


帰る時にお店の前菜とテイクアウトして自宅に戻った。

アラカルトで摘まめるようにサラダを中心に買ってきた。

そこから、今夜のメニューを考える。イタリアンとフレンチの折衷でいいやと思ってまずはメインのブイヤベースを作り始める。下拵えは朝の内に終わらせてあるから後は鍋で煮込むだけ。

グラタンは鶏肉とハムを入れたシンプルなものに。

ピザはトマトソースのシンプルなマルガリータ。

美容院の帰りに立ち寄ったパン屋で買ったバゲットを切って並べる。

デザートはパンナコッタ。ラズベリーソースとブルベリーを散らす予定。

午後6時。子供達も夫も揃って帰宅する。

「「「ただいま」」」

「あら、三人そろって珍しいね」

「「「誕生日おめでとう」」」

私の目の前に出されたのは大きな花束。私の好きはかすみ草とトルコ桔梗と

スプレーバラとガーベラで纏められている。

「嘘……忘れていたのかと思った」

私は思わず本音を漏らした。


「去年は長男の進路で忘れてたからな」

「気が付いた時には、もう月末で」

「今更感があったから今年はびっくりさせたかったんだ」

そういえば夫さんは去年誕生日が過ぎてから忙しくて忘れていたと正直に謝罪してくれた。

確かのあの頃の夫は本当に激務だったから責めるつもりはなかったのに、ずっと気にしてくれたのだろうか。

「お前がアラーム消したのも分かってたけど、こいつらとこの計画があったから気付かないふりしてごめんな」

そう言って子供達の頭に手を載せている夫の耳がほんのりと紅い。

これは照れている証拠。その気持ちだけで十分だ。

「ご飯はすぐにできるから、みんな着替えていらっしゃい」

「「「はーい」」」

三人そろって返事をして自室に入って行った。


今年もアンハッピーバースデーかと思っていたけど、どうやら今年は忘れられない誕生日になりそうね。

でもサプライズは控え目にして欲しいわ。

えっと、その時は完全にスル―された今年の誕生日のその瞬間でした。そのまま一日は終わるでしょう。

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