第十二話 罠2
そして、音もなく立ち上がると、暖炉のそばの引き戸を開けて一冊の本を取りだした。その脇には揺り椅子が忘れられたように置かれており、キアランは今はじめて気がついたとでもいうように、その椅子を見つめた。
それは、父が卵を抱きながら座っていた椅子だった。まるで、それだけが父の残した唯一のものででもあるかのように、キアランは哀愁に似た胸の痛みを感じた。
「これは、旦那様が隠居生活をはじめてからお書きになられた日記でございます」
「こんなものが……」
キアランはよくなめされた赤褐色の皮の表紙に手を触れた。しかし、それは鍵もついていないのに、開かなかった。
キアランは眉をしかめて顔を上げた。
エルドリックは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「どうやら、何かの魔法がかけられているようなのでございます」
「それを解く方法は何ですか?」
「わたくしには分かりません」
「あなたにも分からないのですか?」
キアランは驚いて言った。
「旦那様は隠居なされてから、いえ、あの卵を持ち帰ってからずいぶんと無口になってしまわれました。旦那様がお亡くなりになる直前は、声を失ってしまわれたのではないかと思うほど口をつぐんでしまわれました」
エルドリックは感に堪えない様子で表情を曇らせた。
「その卵のことは?」
「卵のことは、特に一切お話になられませんでした。ただ、王宮を辞したあと、旦那様はドラゴンの遺跡に行くつもりだとたびたびおっしゃられていました。そして、ある時、ふらりとお出かけになられたと思うと、あの卵を抱えて戻ってこられたのです。しかし、そのことについては何もおっしゃられませんでした」
「ふらりと、ですか? それは、どのくらいのことだったのでしょう?」
「小川で水浴びをする程度の時間でございました」
キアランは言葉を飲んで考えこんだ。
「この森にドラゴンの遺跡へ通じる道があるのですか?」
エルドリックは首をふった。
「旦那様のお供で何度もこの森を散策いたしましたし、今でも毎朝、この森の隅々まで歩いておりますが、わたくしが知る限りでは、そのようなものはどこにもございません」
「では、いったい、どうやって……。いや、あの卵はやはり、ドラゴンの遺跡で拾ってきたものではないのかもしれない。しかし……」
キアランは独り言のように早口でつぶやいた。
「父は私に、あの卵はドラゴンの遺跡で拾ってきたものだと言いました」
「わたくしにはそのような話は何もされませんでした。旦那様は毎朝、散歩から戻られると、どんな鳥や動物がいたかなど、いつも詳細に語って下さいました。ところが、卵についてはまるで存在しないもののように、何も教えてはくださらなかったのです」
エルドリックは寂しげに言った。
「父はどんな様子でしたか?」
彼は辛い記憶を思い出すように顔をゆがめた。
「まるで、夢の中においでのようでした」
キアランは揺り椅子に座っていた父のうつろな瞳を思い出した。
「何かにとりつかれてでもいたのでしょうか?」
「まさか。旦那様にかぎってそんなことはございますまい」
エルドリックは語気を強めて言った。そして、はっとなり、顔を赤めた。
「申し訳ございません」
うなだれる老人をなぐさめ、キアランはあらためて日記帳を観察した。装飾はほどこされておらず、表紙には何の文字すらない。
いくつか呪文を試してみたが、やはり駄目だった。決まった言葉を必要とするもの、条件にあった者や環境下でしか開くことができないものなど、かけられた魔法によってその解き方は様々だった。
「この日記については何か聞いていないのですか?」
「それは、自分が死んだあとに訪ねてきた者に渡すようにと申しつけられていたものでございます」
キアランは死体のように口をつぐんだ日記帳を見つめた。
「父は自分が死ぬことを予知していたのでしょうか?」
「旦那様はすべてを知り尽くしたお方でした」
キアランにもそれは真実だと思えた。
それなら、なぜ、父は卵の秘密を一人きりで抱え、そして、何も言わずに死んでいったのか。そして、この日記で何を伝えようとしているのだろうか。
「卵の妖精が生まれたときのことを聞かせてもらえませんか?」




