第十二話 罠1
キアランは王都の郊外にあるナラの森に来ていた。
古い魔法使いのように無口な巨木が生え、鳥たちがイタズラをするようにおしゃべりをしている。緑の陽光がふりそそぎ、地面には鮮やかな草花が生い茂っていた。子鹿になってのんびりと散歩でもしたくなるような、穏やかな森だった。
王都のすぐそばにこんな場所があるとは誰も信じないだろうと思うほど、静寂と平穏に満ちていた。
美しい空気を満喫しながらのんびりと歩いていると、開けた場所にこぢんまりとした館があらわれた。
煙突からは白い煙がたなびき、花壇の花や積まれた薪、井戸に置かれた桶の様子を見るだけでも、この住民が几帳面で丁寧な暮らしをしているものだということがすぐに分かる。
ここは、もとは父である偉大なる魔法使いが隠居のために建てた館だった。キアランは一度だけ訪れたことがあるが、そのころの記憶とほとんど変わっていない。そこのことに、懐かしさと少しの寂しさを感じた。
キアランはためらいがちに扉を叩いた。
すると、すぐに出迎えたのは、小さいが針のように背筋の通った老人だった。白い髪を丁寧になでつけ、しわのほとんどない黒い長衣に、磨かれた金のボタンをきちんと止めている。
森で生活しているとは思えないその風貌に、ぼさぼさ頭のキアランのほうが恐縮して王都に逃げ帰りたくなるほどだった。
「これは、キアラン様。お久しぶりでございます」
老人は、不思議なやわらかい白緑色の瞳で微笑んだ。
「ご無沙汰をしています、エルドリックさん」
彼は長年、偉大なる魔法使いに仕えた執事であった。今はこの森と屋敷を与えられて、隠居生活を送っていた。
家の中にはほとんど物がなく、埃一つ見あたらないほど掃除が行き届いていた。キアランが薄汚れた衣服を気にしながら椅子に座っていると、エルドリックは香りのよい紅茶を入れてくれた。
「ここでお客様をおもてなしするのは、何十年ぶりでございましょうか」
と微笑む。
大きな窓から透き通った光が射しこみ、磨かれた木の床には緑の影が映っていた。
「すべて譲ってしまわれたのですか?」
がらんとした棚や本棚を見ながらキアランは言った。まるで、主人がもう何年も帰ってきていないみたいだった。
「わたくしがいただいたものは、この森と屋敷のみでございます。それ以外はご家族で相続され、残りの書物はミレスアロナに寄贈いたしました」
キアランは相続会議に出ていなかった。父の遺品に興味がなかったわけではなかったが、兄弟たちの顔を見るより、鳥をながめているほうが良いと思ったのだ。
「相続を放棄されたとうかがいましたが、よろしかったのでございますか?」
キアランは苦笑する。
「私には身に余るものばかりですから」
と色あせてすりきれた衣服を見せるように両手を広げた。
エルドリックは懐かしいものを見るように目を細めた。
「幼いころ、キアラン様はいつも服を泥だらけにしてはヴァリム様に叱られておいででしたね」
「今も変わりありませんよ」
「そういうやんちゃなところが、昔の自分を見るようだと旦那様はいつもおっしゃられておりました」
「へえ、父が?」
エルドリックはゆっくりとうなずいた。
キアランはふと気になって、
「あなたはいつから父に仕えるようになったのですか?」
とたずねた。
「旦那様が王宮に仕えるようになったばかりのころでございました」
エルドリックはまるで昨日ことを語るように言った。
「わたくしは当時、北のアルシルボ山脈で、今は絶滅してしまった白い猪たちとともに暮らしておりました。わたくしは山に捨てられた子供だったのでございます。私は人の言葉すら理解することができず、何百年も子供の姿のまま雪山をかけずり回っておりました。そんなわたくしにさすがの白い猪たちも不信感を抱いたのでしょう。わたくしは群を追い出され、また次の群でも追い出され、とうとう行き場をなくして一人で獲物を狩っていたところに旦那様が通りかかったのでございます。私は愚かにも、旦那様に襲いかかりました。すると、旦那様は一言、”やめなさい”とおっしゃられたのです。それが、わたくしがはじめて理解した人の言葉でございました。それ以来、わたくしは旦那様に仕えるようになったのでございます。エルドリックという名前も旦那様にいただいたものです」
その声音には、今も変わらない忠誠心がこもっていた。キアランはその誠実さに安らぎを感じ、しばらく無言で紅茶と緑の景色を楽しんだ。
「実は」
紅茶を飲みおえると、キアランは静かに切りだした。
「父が持ち帰った卵について、教えてもらいたいのです」
エルドリックは驚く様子もなく、
「そのことについて、誰かが訪ねていらっしゃるだろうとは思っておりました。ただ、それがあなた様であるとは予想しておりませんでしたが」
と穏やかに言った。




