第五話 ヴァイオレットムーン4
「先月の金の黄昏日、レリアは黄昏に落ちたと言ったね? でも、君は助かった。それもきっとシーのおかげなんだ」
「なんで? そんなことが?」
「この本によるとドラゴンは守護者であり、調停者であると書いてある。おそらく、ドラゴンは精霊たちの守護者であり、精霊界と人の世界をつなぐ役割をもっていたんだと思う。だから、ドラゴンなら、二つの世界を行き来できるはずなんだ」
リロウの瞳がきらりと光った。
あたりはすっかり黄金色にそまり、黄昏の影が足下に迫っていた。
レリアは動揺を押さえることができなかった。そして、先月のあの日のことを思いだし、足が震えた。
「違う。あれは、大学院の人が助けてくれただけ」
声も震えている。
「彼は、君が倒れているところを発見したんだ」
「でも……」
「どうして、認めるのを嫌がるんだ?」
レリアは顔を上げる。リロウの影がレリアの上に落ちていた。
彼の背後から黄金色のまばゆい輝きがもれ、アイボリーの髪は光に溶けている。まるでリロウ自身が光を放っているかのようだった。
「レリはいつもそうだ。カラム叔父さんのことも、シーのことも、特別だと認めようとしないのはなぜなんだ? もちろん、君自身のこともだ」
「私はただの落ちこぼれだから」
「君がそうなりたがってるだけじゃないか」
「違う!」
「シーが懐くのは君だけだ」
リロウが無情とも言えるような色のない声でそう言うと、シーが花の中から顔を出し、二人を見つめた。
リロウはシーを真剣な瞳で見つめた。
「お前はいったい何者なんだ?」
リロウはささやくように言った。
シーの体はまるで燃えているかのようだった。
レリアが触れるのを戸惑ったすきに、リロウがさっとシーの体を持ち上げた。
「お前の故郷に連れて行ってくれ」
「やめて」
レリアはリロウの両腕をつかんだ。
「またあいつらに襲われたらどうするの?」
「今度は必ず僕が何とかする」
その自信に満ちた瞳にたじろぎそうになったが、レリアの心臓はいまや張り裂けんばかりに脈を打っていた。
「お願いだから、リロウ。なんであなたはいつもそうやって自分を過信して、向こう見ずなことばかりするの? 偉大なる魔法使いに選ばれたのは、私たちじゃない!」
意外な言葉に不意をつかれたように、リロウは目を丸くした。そして光を背負いながら、
「君は、無関心なふりをして、そうやって事実を認めるのを怖がっているんだ」
と諭すように言った。
「事実を認めることの、いったい何が怖いんだ?」
「私は別に怖がってなんかいない。リロウのほうこそ、古魔法なんてすでに滅びたものに夢中になって、現実の将来に目を背けているじゃない」
リロウは眉をしかめる。
「目を背けてなんかいない。僕の将来は僕が決める。だから、やりたいことをやっているんだ」
「それに私を巻きこまないでよ!」
「それは悪いと思ってる。でも、君がシーを受け継いだから」
リロウの真剣な声音は、時の流れを遮るかのようだった。
「君に、まだ話していないことがある」
リロウは怖いくらい冷静に言った。
「僕が以前、古魔法で精霊を呼び出したとき、鋭い槍のような光の筋があらわれた。そこから炎があがり、媒体にしようとした人形を焼いた。次にそいつは、僕を焼き殺そうとしたんだ」
「それって……」
「そのときは、珍しく父さんが帰ってきていたから、助けてくれたんだ。そうでなければ僕は死んでいたと思う。父さんは間違って悪魔を呼びだしてしまったのだろうとひどく怒って、僕もそれを信じていたけど、今思うと、あれは……炎の亡霊だったんじゃないかと思う」
レリアは返事ができなかった。
「炎の亡霊は、精霊の国から来たものなんだ。ドラゴンの遺跡はそこにあるんだ」
胸がいっそう苦しくなり、焦燥感をあおるように締めつけられる。うつむくと、二人の足がすでに黄昏の影に飲みこまれていることに気がついて、めまいを感じた。
「あんな場所が聖霊の国だというの?」
荒涼とした遺跡を思い出す。何もない、悲しみまで風化してしまったような。
「滅びてしまったせいだ」
シーが肩に這い上がってくる。
また興奮しているようだった。
レリアの頭や肩を走り回り、無邪気な短い鳴き声をあげていた。
「だから、彼らはシーを迎えにきたんだ」
リロウは満足げに言った。
「彼らは私たちを襲ってきたの!」
「シーを取り戻すためだ。僕が襲われたとき、亡霊は容赦なく僕を殺そうとした。でも、あのときはそうじゃなかった。奴らは、僕たちなんか簡単に殺せたのに」
「違う!」
レリアは叫んだが、のどが張りついたように、それ以上は言えなかった。
硬直したように二人は立ち尽くしていた。
リロウは恍惚として金色の影に飲みこまれていく足を見つめていた。
レリアは金縛りにあっているかのように青ざめていた。心が冷え冷えとして、言葉は暗い闇の底に落ちてしまったかのようだった。心がしんっとする。あるいは感情の欠落なのか。
レリアは顔を上げてリロウの瞳を見つめた。
「この子は、私の大切な家族なの。これ以上、私の家族を奪わないで」
リロウははっと夢から覚めたみたいにレリアを凝視した。
地面がぐらりと揺れた。
黄金の影がもやのようにあたりをおおっている。金色のもやとむせかえるような甘いにおいは鼻や口をふさぎ、息をするのもままならない。水の中で溺れているみたいだったが、手足はしびれたように感覚を失い、頭の中もぼんやりとしていた。
キィ、とシーが鳴いた。
雲間からのぞく青空みたいに、シーの瞳が見えた。それは驚くほど静かだった。夢で見る海のように。
――あなたは何者なの?
心にぱっと浮かんだ疑問は、いつものようにすぐに捨てた。
――私は何を怖がっているんだろう?
どこにも届かない手をあげた。
――母さん、行かないで。
母の体は金色に溶けていった。珍しい赤みがかったライラックのような紫色の髪は、煙るようにたゆたい輝いていた。そう、まるで、ヴァイオレットムーンのように……
「二人とも、何をしているのです!」
はっと我に返ると、薄墨のベールがあたりをおおった。
目の前には顔面蒼白のリロウが棒のように突っ立っている。その目は生気を失っているようだった。
レリアは足下を見る。そして、自分の足がたしかにあることを確認すると、眠るように意識を失った。




