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第四話 グリーンヒル4

 レリアは言われたとおり、散歩に行くことにした。

 緑がそよぐ丘陵地はまるで海のようだ。と言っても、レリアの見たことのある海は幻の海だけだ。

 樹海の辺境地といえど、ルオンディールにもときおり旅人たちが訪れる。


 十数年前、レリアは南の端からやってきたという旅芸人たちの絵芝居を見た。彼らは、王宮前の広場に真っ白で巨大な天幕を張ると、その中に幻影を映した。一面の青い世界にレリアは息をするのも忘れた。

 宝石みたいに透き通ってきらめく青い色が果てしなく広がり、空と交わっていた。透き通っているのにどこまでも深い。コバルトブルーに瑠璃色、ターコイズにエメラルドグリーン。濃い青に明るい青、鮮やかな緑、白いしぶきは真珠のようで、清らかで涼しげな美しい色彩が心を洗い流していくようだった。海の中では、見たことのない鮮やかな生き物たちがひらひらと泳いでいた。

 湖とはくらべものにならない雄大で幻想的な世界にレリアはたちまち魅了された。

 隣にいた父に興奮気味にたずねると、「あれは海だよ」と教えてくれた。それがどんな絵芝居だったのかはもう覚えていない。それ以来、あの不思議な旅芸人たちが訪れないのは残念だが、あの青い記憶と感動を忘れることはないだろう。


 ――いつか、海を見に行こう。


 そのとき、父は言った。しかし、まもなくして死んでしまったので、その約束が本気だったのか冗談だったのかも分からない。


 レリアは急に胸がふさがれるような思いがして、草むらの上に寝ころんだ。雲もなく快晴だった。それを見ても海を想像した。

 シーがポケットから這いだしてきて、胸の上に置いていた祖父の手帳のにおいを嗅いでいた。卵からかえったのは祖父が死んでからだと聞いたが、それでも卵を温めてくれた恩人が分かるのだろうか。


「シー」


 と呼びかけると、振り向いて青い瞳でレリアを見た。


「私にも感謝しなさいよ」


 冗談交じりに話しかけても不思議そうにこちらをじっと見つめているだけだった。しばらくすると、シーは草むらに飛びこんで草花を食んでいた。

 リロウの言ったとおり、よく見ると小さな花が咲いていた。

 レリアは寝ころびながら祖父の手帳を調べてみたが、どれも似ているようで違うようで、判断するのはなかなか難しい。しかし、ただの雑草と思っていたものでも、よく見ると葉っぱの形や色、質感などずいぶん違いがあることを知って面白く思った。


 キィ、とシーの鳴き声が背後から聞こえレリアが振り向くと、そこにオレリア・ハリドが立っていた。

 寝ころんだまま見上げると、ますます威圧感がある。そして、赤錆色の瞳が日の光を直に浴び、赤く輝いていることにどきりとした。その瞳も冷静な顔も仕草も、感情が読みとれず近寄りがたい雰囲気がある。

 レリアがあわてて起きあがると、服には小さな草の葉や実がたくさんついていた。それを払っている様子をオレリアは無言で見つめていた。


「その妖精は偉大なる魔法使いのものですか?」


 レリアが草を払いおわるのを待って、静かに言った。魔法使いたちはみんなシーに興味があるようだ。


「はい」

「見せてもらっても?」

「はい、どうぞ。おとなしい子で噛んだりしませんから」


 オレリアはわずかに微笑むと、レリアの肩の上でうとうとしていたシーをまるで宝石の鑑定をするかのようにまじまじと見つめた。


「なるほど、たしかに見たことのない妖精ですね。どこで手に入れたのかあなたは何も聞いていないのですか?」

「はい」


 レリアはオレリアの視線に緊張した。


「偉大なる魔法使いからも何も聞いていないのですか?」

「私が生まれたのは、おじい様が王宮を辞してからなので、お会いしたことも一、二回ほどしかありません」

「そうですか。では、それをなぜあなたが相続したのです?」

「その子が私に懐いたからです。ヴァリム伯父様が懐いた相手に世話をしてもらうほうがこの子もいいだろう、とおっしゃったので」


 またオレリアは笑うように口をゆがめた。そして、


「あなたに懐いたのですか?」


 と今度はレリアを見定めるように目を細めた。


「なぜでしょう?」

「さあ、分かりません」


 まるで授業のようだとレリアは思った。それに、感情の読めない赤い瞳はどこか不気味でもあった。

 オレリアはじっとレリアを見つめていたが、ふと館を振り返ると、


「リロウは噂に違わず勉強熱心ですね。彼は何を読んでいるのです?」


 と聞いた。


「さあ、私には難しくて……」


 レリアは口を濁した。すると、オレリアはまた彼女をじっと見下ろした。


「あなたの学力には不安があると聞きました」


 レリアはどきりとして顔を上げる。


「上級試験に受かったのも運が良かったからだそうですね?」


 それは初耳だった。たしかに自信があったわけではなかったが、はっきりと言われたわけではない。レリアはひきつった笑みを浮かべた。


「そうかもしれません」


 オレリアの無慈悲な瞳から逃げ出したかった。


「リロウとは同じころに生まれたと聞きました」


 耳を塞ぎたかった。


「でも、あなたの容姿はずいぶん幼いですね」

「リロウは優秀ですから」

「それは知っています。しかし、あなたも偉大なる魔法使いの孫なのですから、もっと頑張らなくてはなりません。実は、ヴァリム様から、あなたには特別に個人指導をするように言われているのです。今のままでは王宮勤めはとても無理だと心配しておられました」


 レリアは驚いた。


「私は、別に、王宮には……」

「明日から、午後は私の部屋に来るように。いいですね?」


 太陽がかたむいた。オレリアが目の前をふさぎ、心に影が落ちた。


「はい」


 と返事をするしかなかった。

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