第三話 奇妙な遺跡4
興奮したように言い、リロウは這いつくばるようにして石に顔を近づけた。
「間違いない。これは古文字だよ。ああ、なんで辞書を持ってこなかったんだろう? レリ、紙とインクはない?」
「あるわけないでしょ」
それならとっくに帰っているはずだ。
リロウはぶつぶつと言いながら石の上を這い回っている。そして、やっと顔を上げたかと思うと、
「これは祭壇かもしれないな」
と言った。
「祭壇?」
「僕が精霊を呼び出そうとして失敗した話をしただろう? そのときに使った魔法陣と似ている気がするんだ。風化して見えないところも多いんだけど、でも……」
リロウは石の塔を指でこすった。
「ここは、まだ原型をとどめている。それほど崩れてもいない。奇妙だな……」
リロウは腕を組んで眉間にしわをよせながら考えを巡らせているようだった。
「滅びてからそれほど経っていない? でも、それなら……」
とぶつぶつ独り言をつぶやいている。
「ねえ、そんなことよりも帰れそうなの?」
リロウのつぶやきがはじまると、思考の中にとどまって時間を忘れてしまうので、レリアはマントをひっぱって呼び戻した。
「え? ああ、うん。少なくとも、ここがルオンのどこかだということは分かったよ」
彼の瞳は好奇心にあふれた光で輝いていた。
「どうしてそんなことが分かるの? 古文字って、精霊からもたらされた文字なんだから、他の国でも使われているかもしれないのに」
「この魔法陣、文字もそうだけど、模様の書き方が同じなんだよ」
リロウは消えかけた魔法陣を指でなぞった。
「魔法陣には、ルオンディール家が国を統一させる前に栄えていた貴族たちの紋章が使われているんだ。そのあたりの記述は古すぎて詳細が残っていないんだけど、おそらく、精霊たちから魔法を教わった人々が自分たちの使いやすいように改良したのが、魔法陣による古魔法なんだと思う。つまり、外の国に古魔法があったとしても、ルオンのものとは違うってことなんだ」
生き生きと頬を輝かせるリロウとは反対にレリアは顔を曇らせた。彼女は何かに怯えるように後ずさる。石の塔にぶつかって、思わず身をすくませた。
「じゃあ、ここはルオンのどこなの?」
「ドラゴンの都は忽然と姿を消したという」
リロウは敷石に掘られた魔法陣をじっと見つめている。
「だから、何?」
「都はどこへ消えたのだろう? そして、ドラゴンの遺跡はどこにあるのだろう?」
「そんなこと今は関係ないでしょ」
レリアが怒ったように言うと、シーが突然、甲高い鳴き声をあげた。
はっと見上げると、強い光が揺らめきながら迫っていた。
太陽? いや――
「亡霊だ! 逃げろ、レリ!」
それは、炎の亡霊だった。
逃げる暇もなく、亡霊はレリアをめがけて襲いかかってきた。
素早くリロウが浄化の呪文を唱えた。しかし、やはり効かないようだ。
顔をしかめながらもリロウは次の呪文を唱える。鋭い水が針の雨となって亡霊たちを突き刺した。
続けて、彼は両手を胸の前で合わせた。細い水の針は檻のように亡霊たちを取り囲む。その手のひらにいっそう力をこめると、水の檻はどんどんと小さくなり、亡霊たちを圧迫していった。
さすがリロウだ。
しかし、感心している暇もなく、炎が激しく燃え上がった。その隙間から黒い影が蛇のようにゆらゆらと立ち上り、絡みつき、ひとつとなる。
リロウは両手を合わせたまま、細い息を吐いた。それは霧となり、檻の隙間をふさぐように周囲を覆った。
亡霊たちは、苦しむように重低音のうなり声をあげる。
その深いな響きは、こめかみを締めつけ、レリアが頭の中で準備していた魔法のイメージは砕かれた。
描いていたスープ皿は粉々になり、かえって彼女の心を傷つけた。皿の破片で血だらけになった手のひらのイメージが視界をよぎり、レリアは悲鳴をあげる。
「レリ、惑わされるな! それは亡霊の仕業だ!」
リロウの叫びは冷水となってレリアの頭を冷やした。しかし、彼女は冷静さまでも凍らせてしまい、がたがたと震え上がった。
亡霊たちは小さな檻の中で笑うようにうなり声をあげた。
次の瞬間、水の檻の隙間から炎の手が伸びレリアの手首をつかんだ。それは、焼けるように熱く、彼女は金切り声をあげる。
「レリ!」
炎が檻を破って激しく燃え上がった。
「くそっ!」
リロウは炎の手をつかんだ。それは、リロウの手も焼き、彼も声にならない悲鳴をもらした。
――手が灰になってしまう!
レリアは涙を流す。
「レリ、落ち着いて!」
リロウは氷の杭を描き、炎の手に思い切り打ち込んだ。炎が砕け、手が放れた瞬間にリロウはレリアの腕をつかんで駆けだした。
その手は赤くただれている。レリアの手首も同じだ。
「あれは何だ? なんで浄化の魔法が利かない? でも、水は利いてるから、炎であることは間違いないようだけど……」
リロウはつぶやいた。
レリアは泣いていた。
恐怖や痛みよりも、自分のふがいなさに涙が止まらなかった。
「レリ、大丈夫だよ。僕がついてる」
リロウは慰めるように言った。その優しさもよけいに涙を誘った。
亡霊たちは風のように二人を追い越して、立ちはだかった。
リロウはレリアを背中に隠し、両手を天に向けて広げた。
そして、空を覆っていた薄雲をかき集め、灰色の雨雲をつくると、
「好きなものを選ばせてやるよ」
と手を振り下げた。
灰色の雲から矢のように鋭い雨と霰、霙、雪がどっと降り注いだ。
亡霊たちは押しつぶされるように地面に打ちつけられた。シミのように黒い影が広がり、それを踏みつけるようにリロウは圧縮した空気で押しつける。ところが、影はするすると地面をはった。
「しつこいな!」
リロウの息は上がっている。額から汗が流れ、白い肌も灰色にかすんでいる。
「リロウ、私も……」
レリアは前に出ようとしたが足は震えていた。
「レリは下がって。今の君では無理だ」
リロウの言う通りだった。
手首がずきずきと痛み、心は完全に恐怖で凍りついていた。魔法の使い方も上手く思い出せなくなっていた。飛び出さんばかりに脈打つ心臓を押さえ、少しでも心を落ち着かせようとしたが、意識をすればするほど、心臓はばくばくと高鳴った。
「お願い、言うことを聞いて」
レリアは自分の心臓に語りかけた。
そのとき、ぎゅっと握りしめた手にシーがのぼってきた。その白い体はなぜか金色に輝いていた。青い瞳がはっとするほど深い色をしている。まるで、その奥に懐かしい宝物が隠されているみたいに。
不思議と心が静まり、レリアは大きく息を吸った。
顔を上げると、亡霊たちの影が宙に散乱し、羽虫の群のように周囲を取り巻いていた。
リロウは針のように鋭利な雨粒でそれをひとつひとつ打ち砕いていたが、すでに体力の限界がきているのは一目瞭然だった。
リロウの体がよろめき、膝をついた。
その体をささえて顔を上げると、さっと霧が晴れて黒い炎が襲いかかってきた。
甲高い声をあげた。
それは、自分の悲鳴だったのか、シーの鳴き声だったのか区別がつかなかった。
次の瞬間、目の前が真っ白になった。




