第四話 白黒のロバ
翌朝、潮の匂いで目が覚めた。
潮の香りは窓を閉めていても入ってくるほど強い。港の活気が部屋の中まで聞こえてくる。
アルルは身を起こし、まず鍋の様子を見た。
昨夜、水に浸しておいた大麦はだいぶ水を吸っている。これなら大丈夫そうだ。
「……今回は少し量を多めに作ろうかな」
水飴づくりは焦っても仕方がない。
一つ一つの工程を丁寧に仕上げてやっと形になる。次は水気を切り布で巻いて日当たりのよう場所で発芽を促し、砕いて蒸した雑穀に混ぜて絞る。そこからゆっくりと煮詰めてようやく完成するのだ。
私はこれまで流れる水に身を任せるように生きてきた。
ミグラスの子爵家に生まれ育ち、騎士団に所属する父や親族のように自分もその道を歩みかけていたが、血を繋ぐ為に16歳で嫁いだ。
貴族としての役割だから仕方ないと飲み込んではいたものの…私の存在はそこで消されてしまった。
消された生活の中でも摘み取ってきたものもある。あって当然だった物を与えられ無くなっても生きてこられた。
これからは、泳ぐ川を自分で選ぶのだ。
顔を洗い、髪をざっとまとめる。
短くなった髪を木櫛で軽くすく。相変わらずバラバラな毛先。
毛先を揃える作業もこれから覚えていかないといけない。誰かにやってもらえるのを待っているだけではもう生きてはいけないのだ。
宿を出る前に帳簿を開き、今日使えるお金を指で確かめる。
鍋と穀物、宿代で減ったとはいえ、コテージで貯めた貯金はまだ少し余裕はある。
水飴は残り三本。
次を作れるまでに、あれを売ってなんとか自信をつけたい。
「瓶も必要だし、材料も追加で仕入れないと……」
小さく呟きながら、アルルは宿を出た。
港町の朝は早い。
魚の競りの声が飛び交い、荷を積んだ馬車が石畳を揺らす。
露店はもう煙を上げ、香ばしい匂いが通りへ溢れている。
アルルが向かったのは、昨日鍛冶屋に言われた“ギルド”だった。
アルルとしても、ギルドに寄ろうと思っていたので、場所まで教えてくれた鍛冶屋の主人は旅人に親切な人なのだろう。
鍛冶屋の主人が教えてくれたギルドの建物は港から少し離れた場所にあり、木の看板に簡単な印が刻まれていた。
扉を押すと、中は意外に静かだった。
机と掲示板、そして人々の視線。
旅人、護衛、商人。
このギルドは商人のギルドだが、街に一つしかない為に、冒険者や討伐、採取などの依頼も受けているなんでもギルドらしかった。
大都市だと各ギルドが存在するが、ここの街くらいの大きさだと、一箇所で全部済ませる方が効率的なのだとか。
入ってすぐ目に入る場所に受付カウンターがある。
俯いていた係員の若い女性が顔を上げた。
「ご用件は?」
「最近行商を始めたのだけれど、水飴の需要はあるか教えてもらえたらと思って」
受付の女性は興味を示した。
「水飴?」
「ええ。薬草を入れた水飴を作っているの。これは疲労回復効果がほんの少し入った、ごく普通の水飴」
アルルは鞄から水飴の瓶を一つ取り出し、カウンターに置いた。
受付の女性は瓶を手に取った。
「薬草入りは珍しいわね。作るのに手間も時間もかかるから中々流通しないのよね」
受付の女性は瓶をかざして少し揺らし、アルルと瓶を交互に見て口を開いた。
「んー、ある程度量が作れるのなら卸業者を紹介できるけど、見たところそうでもなさそうね」
「そうですね、私1人で作ってるから、今の所1週間で20本くらいの量です」
「その量ならウチに置いておく?ここは商人とか護衛の冒険者とか色んな人が来るから、お土産に買っていく人はそれなりにいると思う」
そういえばあの商人らしき最初のお客も、奥さんへのお土産って言っていたのを思い出した。
「水飴は保存が効くから携帯食にもなるし便利なのよね。ウチに置くなら手数料貰うけどそれでもよかったら。商売初心者が変な業者に詐欺られたら大変だし」
受付の女性はカウンターの引き出しから紙を取り出し、手数料一覧表を手に説明をしてくれた。
商人ギルドだけあって、売れそうな物や依頼された物を委託扱いとして置いているのだとか。
受付の女性が指を刺す方を見ると、確かに色んな物が置いてある場所があった。干し肉やお酒らしき瓶、布など雑多な種類が並べてある。
「ああやって置いておくと、手続きの合間に買っていく人結構いるからどう?」
「ぜひお願いします」
確かに自分は初心者だ。最初から躓くよりは、手数料を払ってでもより実直な手段の方が良さそうだ。
アルルは二つ返事でお願いした。
「じゃあこれをよく読んでね。委託申込書。あとで値段も相談しましょう」
「助かります。あとお願いがあるんですけど」
アルルは鞄から出発前に切り落とした自身の髪の毛の束を取り出した。
いまだに艶やかで、キラキラと鈍い光を放っている。
「何かの触媒になると思うのだけど、こういうのは買取してもらえます?」
「あら、かなりの長さね。手入れも行き届いてるし、魔力もまだ宿ってそう。ちょっと待ってね」
受付の女性はカウンター後ろのドアを開け、何やら呼びかけると、中年の男性と共に戻ってきた。
男性は色んな素材や持ち込まれた物を鑑定する人らしい。その人に鑑定をお願いし、一旦ギルドを出る。
受付の女性から瓶や小物を売っている場所を聞き、そちらに向かった。
瓶は購入数が多ければ単価は下がる。保管しておく場所がないから出来るだけ安い物を買いたい。
そんな事を考えていると、動物の鳴き声が聞こえてきた。
鳴き声の方を見ると、馬や牛、豚などが沢山いる広場があった。
どうやら畜産市を開いているようだった。
「…馬車か…」
最初のお客さんの荷馬車を思い出した。
あの商人の馬車は立派な幌馬車だった。
馬車ならもう少し大きめな鍋も穀物も、瓶も運べる。
買えないだろうけど、少しだけ見てみよう。
アルルは畜産市に向かった。
畜産市には牛、馬、羊、豚、鶏…色んな種類の家畜用の動物がたくさんいた。
アルルは早速馬の元へ向かった。
栗色や黒毛の馬たちが、売り主の側で大人しく草を食べている。
値段は……やっぱり無理だった。
アルルはため息をつきながら場所を移動しようとすると、馬達の端っこになにやら白黒ブチ柄の小さめな馬っぽい動物が肩身の狭そうな感じで大人しく立っている。
アルルはブチ柄のそばに向かった。
ブチ柄の正体はロバだった。
ロバは小さく、目が穏やかで、どこか間の抜けた顔をしている。
荷を引くのに向いていると聞いたことはあるが……果たして旅に連れて行けるのか。
「姉さん、ロバを探してんのかい」
声をかけてきたのは、家畜商の男だった。 日に焼けた顔で、指先がやけに器用そうだ。
「馬がいくらくらいか見にきたのだけど、やっぱり手が出ないわ」
「ならロバはどうだい?。ロバは丈夫で、腹も壊しにくい」
「この白黒ブチ柄のロバ、珍しいですね」
白黒のブチ柄。
遠くからでも目を引く珍しさだ。
そのブチ柄は、首を伸ばして、近くの屋台の干し果物に鼻を寄せている。
「こいつは柄以外は普通のロバなんだけどなぁ……目立つからなかなか買い手が見つからねぇ。買ってくれるなら安くするよ」
アルルはロバの目を覗き込んだ。
ロバは瞬きをし、何事もなかったように鼻を鳴らす。
「この子、いくらですか?」
値段を聞くと、手持ちのお金では買えない。
貯金も手をつけたくないし…そういえば今髪の毛の鑑定中だった。
「この子買いたいんですけど、ちょっと待っててもらえますか?もしかしたら買えるかもしれないので」
「家畜としても荷物引きでも目立ち過ぎて売れ残ってんだ。そんなすぐ売れやしねぇから安心しな。夕方までなら待ってるよ」
「ありがとうございます」
アルルは急いでギルドに引き返した。
勢いよくギルドの扉を開けると、受付の女性がカウンターから手を振っていた。
「アルルさん!ちょうどよかった」
受付の女性はアルルを手招きする。
「髪の毛の鑑定終わってます。金額はこれくらい……」
受付の女性から提示された金額は、予想をかなり上回るものだった。
「鑑定士が喜んでましたよ。こんな良い状態の触媒はなかなかお目にかかれないって」
「そうなんですか?」
「ええ、丁度大規模な治水工事に使う魔法の媒体を探してたので、もう納品にいっちゃいました」
受付の女性はカウンターにお金が入った袋を置いた。
アルルが受け取ると、それはかなりの重さだった。
「よかった、これでロバが買えそう」
「よかったですねぇ」
そして再び家畜商の所に戻った。
「なんとか買えそうです。そのロバ売ってください」
「ホントに買うとは思って無かったんだが…」
家畜商は驚いていた。
「いやぁ、こいつ引き取り手も無くてな、食いしん坊でエサ代もかかるし、そのうち肉になるとこだったんだよ」
アルルは顔に出さないままギョッとした。
家畜商はロバのそばにある荷車を指差した。
「姉さん、古いがまだ使える荷車だ。コイツをオマケにつけてやるよ」
「いいのですか?」
「ああ、こいつたくさん食うし脱走したら露天の果物を齧ろうとする奴なんたが、2年くらい一緒だったから愛着も湧いてなぁ」
家畜商はロバの頭を撫でる。
「旅に連れてってもらえんならありがたいよ。コイツのことよろしくな」
アルルはロバの首を撫でた。
「この子の名前は…」
「無いよ、姉さんが付けれくれ」
「んーブチだとありきたりだし…いつも鼻をヒクヒクさせてるからハナにしましょう」
「ははは、食いしん坊ハナとして生きていくんだな。頑張るんだぞ」
アルルは荷車をハナに付け、試しに引かせてみる。
ハナは素直に歩き出した。
食い意地が張っているらしいが、仕事はちゃんとするらしい。
「……いい子ね」
アルルがハナを撫でると、ハナはフスンと鼻を鳴らした。なんだか胸を張っているようで(もし立っていたら)可笑しかった。
買ってしまったが、アルルの泊まっている宿には馬屋は無かったので、家畜商に自分が旅に出るまで面倒をみてくれとお願いすると、快く受けてくれた。
ロバ代と、餌代を含めた世話賃を渡して、毎日様子を見に行くと告げ、宿に戻った。
この街で水飴を少しでも多く作っておきたいのだ。在庫を作ってから出発したい。
まさかロバと旅をする事になるとは。
毎日忙しなくて目まぐるしいが、とても充実している。
アルルは早足で宿へと戻った。




