第三話 港町リュシア
一本目の水飴が売れたことで、アルルの胸の奥に小さな自信が芽生えていた。
値段を決めていなかったことも、今思えば笑い話だ。
ペインズ伯爵領にいた頃、足りない生活費を補うために時々領地の農家を手伝うこともあり、その時に農民たちの生活や、小さなバザーで働く平民達、たまたま遭遇した冒険者の話を聞いたりしてそれなりに準備はしてきたつもりだったが、やはり体験してわかる事がたくさんだった。
毎日が新鮮で、毎日が勉強だわ。
アルルは疲れるけど充実した日々に顔を輝かせていた。
「……そういえば市場で色々調べないと」
歩きながら、ふと小さく呟く。
水飴は甘味料としてはもちろん、薬草入りなので、ほんの少しの回復にも使える。
ただ、数がそんなに作れないので、小さなバザーか、委託できるような店や商人のギルドがあればそこで需要など話をしてみよう。
途中の農村で手伝いをしながら宿を借りて数日歩き続け、ふと気がつくと道は広くなり、潮の匂いが風に混じり始めた。
湿った空気の中に、どこか金属のような匂いと、魚の生臭さが混ざっている。
港町リュシアは近い。
視界が開けると、帆柱が林のように立ち並ぶ港と、石造りの建物が見えてきた。
荷を運ぶ人々の声、馬車の音、商人の呼び声が重なり合い、街は朝から活気に満ちている。
アルルは少しだけ足を止め、その光景を眺めた。
伯爵家の屋敷とは、まるで別の世界だ。
あの屋敷は今思えばどことなく閉鎖的だったと、本邸から追い出された後なんとなく思ってはいた。
ここでは、街全体が生きているのをひしひしと感じる。
「……いい町ね」
まず向かったのは鍛冶屋だった。
水飴を作るには鍋が必要なのだ。
屋敷のものを持ち出さなかった以上、ここで新しく買わなければならない。
早速鍛冶屋を見つけ、店先に並ぶ鍋を見比べ、重さや厚みを確かめる。
長時間火にかけて掻き回すから底が厚く、焦げつきにくいものがいい。
持ち運びも考えれば、大きすぎるのは不便だ。
しばらく悩んだ末、程よい大きさの鉄鍋を一つ選んだ。
「お姉さん冒険者かい?」
鍛冶屋の主人が、無骨な声で尋ねてきた。
「んーそうね、水飴を行商しながら旅をしようかと思ってるの」
アルルは腰の剣を指差し、頷いた。
「なるほど…ギルドで卸せる所を紹介してもらえるから、売り場所に困ったら聞いてみるといいよ。…難しいだろうが上手く辿り着けるといいな」
鍛冶屋の主人は、アルルの旅の目標がわかったらしい。
手入れ用の油をおまけにくれた。
次に穀物商へ向かい、大麦と雑穀を少量ずつ買う。 薬草は道中で補えるが、穀物はそうはいかない。
残ったお金を数え、無理のない範囲で買い物を終えると、思ったより手元に残っていた。
コテージ住まいの時に農家の手伝いや魔獣駆除等で細々と貯めた貯金は心許ない金額だ。
水飴が売れてお金が入ると実感すると、安心感が増す。
物を作り売る、というのはこういう事なんだなと改めて実感した。
「……働いたお金って、こういうことなのね」
アルルは誇らしい気持ちになる。
昼過ぎ、港の外れにある簡素な宿に入り、部屋を借りた。
小さな部屋だが、鍋を置き、作業ができるだけのスペースはある。
アルルは窓を開け、潮風を入れながら荷を広げた。 鍋、穀物、水筒、数種類のハーブ、そして残り三本の水飴。
やはり命綱の水飴が3本は心許ないので、薬効水飴作りの要である大麦を水に浸して一晩放置し、干してから麦芽を作るのだ。早速買ってきた鍋を洗い、大麦をと水を入れる。
水はアルルが唯一使える魔法、水の洗浄魔法を使い、その辺の泉で汲んだ水を洗浄したものだ。この魔法は旅をする上でとても助かる、まさに命の水なのだ。
あとは使用する雑穀と薬草を仕分け、少しだけ仮眠することにした。
少し眠ったあと、軽く身支度を整え、再び港を歩いて回る事にした。
水飴を入れる瓶を仕入れ先を探さなければ。
ガラス瓶も結構な値段がするので、少しでも安く仕入れたい。
アルルが立ち寄った露店街には干し魚、果物、焼き菓子、スープに焼き串。
港町だけあって、様々な店が軒を連ねている。
「本当に活気があるわね。私まで元気をもらった気分だわ」
アルルは魔獣の串焼きと、海鮮のスープを買い、宿に戻った。
部屋に戻るとすっかり陽が落ちていた。
買ってきた魔獣の串焼きに勢いよくかぶりつく。伯爵領にいた頃、食糧調達の一環で近くの村に初めて行った時に見かけたのが肉の串焼きだった。
以前は食事が運ばれていていたのたが、気がつくと誰も訪ねてこなくなった。
生活費を少し貰っていたので、老メイドに食料の買い方を聞き、初めて見つけた串焼き。
周りを見ると、村人達は大声で喋りながら串焼きを引きちぎるかのようにかじっていた。
老メイドが村で使えるようにお金を崩してくれていたので、代金を支払い、初めて食べた。肉といえばステーキやソテー、ローストしたものを皿からカトラリーで食べることしかした事がなかったので、とても新鮮だった。
その串に使われていたのは赤身の硬めの肉を沢山のスパイスに漬け込んだものだった。
その時まで食べたことのない味だったが、それ以降は頻繁に食べるようになる。
魔獣の串焼きは、いつかを思い出させるようなスパイスの効いた濃いめの味付けだった。
夜、宿の小さな机で、今日の収支を帳簿に書き留める。
売上、支出、残金。
伯爵家にいた頃には家政を任せられなかったのだが、個人用の収支はキッチリ記録していたので、旅に出てからも収支はちゃんと付けている。
屋敷に居た頃収支をつけていたのは、変な買い物をして咎められると厄介だという思いからだった。
実際こまめにつけていたせいで、生活費を減らされるなんて夢にも思わなかったけど。
行商をするのだから、損益はしっかり把握が基本といつか読んだ本に書いてあった。
「……数字って生活が出るのね」
改めて帳簿を見直すと、アルルの行動がとてもよくわかる帳簿だった。
割と頻繁に串焼きの文字が出てくる。ピンチの時は我慢しないといけないかも。
窓の外では、波の音が規則正しく続いている。
その音を聞きながら、アルルは静かに横になった。
水飴売りとしては、ようやく入り口に立ったばかりだ。
アルルの目標までの道のりは遠く厳しい。
まだ一歩踏み出したばかりだったけど、あのコテージで朽ちていくのを待つよりは、自分の足で歩く方断然良い。
アルルは眠りに落ちる直前、静かに思った。
駆け出し水飴売りの一日は、こうして港町で幕を閉じた。




