第十一話 子供の寝顔と、思い出した痛みと何か
朝、離れの窓から差し込む光はやわらかかった。
山に近いせいか、港町よりも空気が少し澄んでいる。
アルルは目を覚ますと、まずクロノの様子を確かめた。昨夜は疲れていたのか、ぐっすり眠っている。
無邪気な寝顔。
一度でもいいから見てみたかった。
◇ ◇ ◇
ペインズ伯爵家は、国内で有力な侯爵家の傍系であり、中堅どころの役職に就いている。
だが、近年魔力が弱い者ばかりになっていた。
魔力は血に宿る。
瑠璃の色を持つ侯爵家から魔力の底上げとして白羽の矢が立ったのが、侯爵家末系の騎士家系ゴルダゴ子爵家の娘、空色を持つアルルであった。
アルルの夫となったレイフや、当主である伯爵も水色の魔力しか持ち合わせておらず、当主はともかく、レイフは不本意さを隠しもせずにアルルを娶った。
そしてレイフの側には、目も眩むような美しい女性がいた。
水色の女性はアマリリア伯爵令嬢。
元々はレイフの婚約者で、婚姻間近だった所にアルルが割って入る形になってしまったのだという。
もういい縁は望めないとして、アルルの家政を手伝うという名目でペインズ家に住む事になったとの事だった。
簡素な式を上げ、初夜も済ませたが、実際の家政はアマリリアが担っておりアルルは特にする事がなかった。
日々ぼんやりと過ごす中、子を宿しやすい日に床を共にして三ヶ月でアルルは妊娠し、無事出産を終えた。
出産を終え喉が渇いていたあららは水をもらい飲み干す。
そして隣に寝かされている生まれたばかりの我が子を見る。
自分に似た空色の男の子。
なんで可愛いのかと抱きしめようとした時、体から力が抜け、意識が朦朧として動けなくなった。
側にいたアマリリアがすぐに赤子を取り上げると、ドアの外に居たレイフに報告に行ったまでは覚えている。
それから半年くらいアルルはまともに動くことが出来ず、面会謝絶となった。
…あれは産後の肥立が悪かったわけではなく、恐らくは……
◇ ◇ ◇
「……過ぎた事ね……」
今日はやることが多い。
薬草の採取、水飴作り、そして昨日仕留めたシシボーンの肉をしっかり食べるのだ。
そして万全の体調で旅の準備を整える大事な一日だ。
アルルはそっと身支度を整え、外に出た。
◇ ◇ ◇
裏手の水場では、宿の老婆がすでに動いていた。 桶に水を汲み、野菜を洗っている。
「おはようございます」
「おや、早いねぇ。昨日は疲れただろうに。若いっていねぇ」
老婆はにこりと笑った。
「今日は足りない薬草を採取しようと思ってるのですが、この辺の採取は許可が必要ですか?入山料などは…」
「いやいや大丈夫だよ。私らは雑草と薬草の区別もつかん」
老婆は野菜を洗い終わったようだ。
トマトやにんじん、青々した小蕪をザルにあげ、よっこらせと立ち上がった。
「そうそう、朝食を用意してあるから持っていきな。ウチの鶏と卵をたっぷり使ったシチューとパンだよ。明日の晩ははアルルさんが狩ったシシボーンの釜焼きを作るから、よかったら食べにおいで」
老婆は野菜カゴのすぐ近くに置いてあるバスケットを指さす。
アルルはありがたく受け取ると、中はまだ温かいシチューとパンが入っていた。
「まあ、美味しそう。助かります、ありがとうございます」
明日もよろしくお願いしますと礼をし、老婆と別れ、アルルは一旦バスケットを宿に持ち帰り、水桶いっぱいに水を汲むと、再び宿に戻った。
クロノはさっき目覚めたらしく、目をこすりながらおはようと挨拶をしてきた。
「おはようクロノ。今日と明日は忙しいからお手伝いよろしくね」
「うん」
アルルはクロノが身支度を整えている間に、水桶の水を洗浄し、鍋に入れた大麦を浸す。
そしてほんの少し発芽をうながす薬草を入れておく。こうする事で発芽を早くすることができるのだ。
大麦の鍋を窓際に移動すると、クロノの身支度が終わったようだった。
「支度が終わったようね。じゃあそろそろ朝ごはんにしましょう」
「はーい」
「宿のお婆さんが朝食を用意してくれたから、今日はご馳走よ」
老婆が作ってくれなければ、簡素なパンと干し肉サラダになる所だった。
美味しそうにシチューを頬張っているクロノを見て、アルルはホッと心を撫で下ろした。
◇ ◇ ◇
アルルとクロノは老婆に教えてもらった雑草がある湿地帯に辿り着いた。
もちろんロバのハナも一緒だ。
ハナは老婆の厩に置いてもらっていたのだが、周りが知らない馬ばかりなので隅っこでしょんぼり草を食んでいた。
アルルとクロノが呼びかけると、フスフスと鼻を鳴らしながら、ハナは駆け足で寄ってきた。
どうやら寂しかったらしい。
二人でハナを撫で回すと厩から連れ出し、薬草採取へと向かったのだ。
アルルは生えている薬草を調べる。
ここには腹痛に効くオウバとノショウが大量に生えている。
「クロノ、ハナを見ながらノショウの草を積んで欲しいのだけど、お願いできる?」
クロノはハナが美味しそうに草を食んでいる様子を見ていた。
「任せて。ノショウってどんな草なの?」
アルルはクロノの側に座り込み、白く小さな花を咲かせている茎が長い野草を切った。
「これがノショウよ。花も薬効があるから一緒に採取してね」
「わかった。ハナ、遠くに行くんじゃないぞ」
ハナはクロノをチラリと見て、ブスっと鼻を鳴らす。
「私はちょっと離れた所でオウバを採取するわ。危険だから近寄ってはダメよ」
「?うん」
いつもと違う様子のアルルに少し戸惑っているクロノだが、大人しく頷いた。
アルルはクロノ達から少し離れた場所に行き、周辺を確認する。
アルルの足元にオウバが群生しているのを見つけると、その場に中腰になり剣の柄に手をやった。
クロノはその動きに目を離せずにいた。
アルルは深呼吸をして、スパッと剣を抜き薬草の辺りを薙ぎ払った。
カチリと剣を収めると、側に置いていた袋を手に、先ほど切り倒したオウバを無造作に詰めていった。
『…アルルさんって結構雑な所あるなぁ』
クロノから見てもアルルは割と大雑把な行動を取ったようにみえる。
水飴を作る時はあんなに細かく丁寧なのに、それ以外は割と大雑把だ。
薬草って傷がついたらダメなんじゃないかな、などと思いながら、クロノは任務であるのノショウを摘む作業を再開した。
やがてアルルは袋いっぱいにオウバを詰め終わり、クロノと共にノショウ摘みにとりかかる。二人で摘むと、昼過ぎには終わった。
「クロノのおかげで早く終わったわ。宿に帰って少し遅めのご飯にしましょう」
「うん、お腹すいたね」
「ハナには交換して貰ったりんごをあげるわね」
「僕もりんご食べたい」
「はいはい」
薬草摘みの間ずっと草を食んでいたハナに、薬草がたくさん詰まった袋を両側にぶら下げ、二人と一頭は宿へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
宿へ戻ると町人からシシボーンの肉と交換で入手していた食物を昼食に食べる事にした。
気さくなご婦人方が多く、年齢の割に小さな体つきのクロノを心配して対価以上の物を頂いた。肉団子や豚肉の塩漬け、鶏の燻製など。
旅の食事が潤ってありがたい。
アルルは早速頂いた肉団子を焼き、パンとサラダといっしょに食べる。
どうしても食べたかった肉は、昨日のうちにハーブ漬けにしてあるので、今夜いただく予定だ。
「クロノ、明後日出発するわよ。明日の夜はお婆さんがローストをご馳走してくれるんですって。楽しみね」
クロノは頬張っていた肉団子を美味しそうに咀嚼しながら笑顔で頷いた。
アルルは立ち上がると、交換してもらったりんごを取り出し、宿の外にいるハナに差し出す。ハナは大きな口を開け、しゃくしゃくと綺麗に食べている
部屋の中からは「僕もりんご食べたい!」と元気な声が出て聞こえてきた。
りんごはクロノとハナの好物なのだ。
子供の元気さが微笑ましい。
アルルの心の奥底にあった気持ちが、無意識のうちにだがほんの少しずつ溢れ始めてきていた。




