教える側に立つ日
中の決意
――教える側に立つ日――
私と雄太が、
「教える側」に立つと決めたのは、
大げさな理由じゃなかった。
塾に、教室が一つ足りなくなった。
それだけだった。
■ 父の言葉
その夜、お父さんは珍しく長く話した。
「決断には、段階がある」
紙に三つ、書いた。
大
就職、転職、人生を変える選択。
中
会社や組織の方針で、
おかしいと思うところを
『おかしい』と伝える。
責任感を持って、
全力で仕事に向き合う。
小
転属願い。
成功法則を、
会社に言わずに静かに実行する。
「人はな、
大きな決断だけを
決断だと思いがちだ」
そう言って、
私たちを見た。
■ 「中」を選ぶ意味
「今回のお前たちは、
中の決意だ」
父は言った。
「教える側に立つのは、
人生を賭ける決断じゃない」
「でも――」
少し、声が低くなった。
「責任が発生する」
「間違えたら、
誰かの時間を無駄にする」
それを、
引き受けるかどうか。
■ 桃子の決意
私は、すぐには答えなかった。
教えるのは、
前に立つこと。
間違えたら、
子供たちは信じてしまう。
でも、思った。
「出来る範囲でやる」
それは、
ずっと見てきた父のやり方だった。
「完璧じゃなくても、
準備はする」
私は、そう言った。
■ 雄太の決意
雄太は、少し考えてから言った。
「ぼく、教えるのうまくない」
父は、否定しなかった。
「うん」
「でもさ」
雄太は続けた。
「分からなかった時の気持ちは、
覚えてる」
その言葉で、
全員が黙った。
それで、十分だった。
■ 父の核心
父は、最後にこう言った。
「一度、
中の決意をすると――」
「次から、
同じレベルの決断が
しやすくなる」
「怖さが、
基準になるからだ」
それは、
大きなことを成し遂げろ、
という話じゃなかった。
逃げずに向き合った経験が、
判断力になるという話だった。
■ 教える側に立って分かったこと
初めての授業。
私は、
説明が長くなった。
雄太は、
途中で話が飛んだ。
でも、
生徒は笑っていた。
「分からないって言っていい」
その空気が、
教室に出来た。
■ 後年の桃子の理解
今なら分かる。
父は、
私たちを後継者にしたかったわけじゃない。
決断できる人間にしたかった。
大きなことをする前に、
中くらいの責任を引き受ける。
それが出来る人は、
世界に、意外と少ない。
■ 静かな継承
佐久間塾は、
その後も派手にならなかった。
でも、
「教える人」が増えた。
それは、
宝石よりも長く残る。
私は今も、
あの夜の紙を覚えている。
大・中・小。
その真ん中に、
私たちは立った。




