判断の前に立ち止まる人
桃子、老いる
――判断の前に立ち止まる人――
私は、もう前には立たない。
教壇にも、会議にも、
名前が載る場所にも。
それで困ったことは、
一度もなかった。
■ 老年の日常
朝は早い。
異世界の空は、
若い頃よりも薄く見える。
庭の石を並べ直し、
帳簿を一冊だけ確認する。
数字は少ない。
動きも、少ない。
でも――
乱れてはいない。
それでいい。
■ 佐久間塾を知る若者
時々、若い人が訪ねてくる。
「佐久間塾って、
どんなところだったんですか」
私は、
決まって同じことを言う。
「教えられたのは、
答えじゃないよ」
それ以上は、話さない。
がっかりされることもある。
でも、
それでいい。
■ 判断の癖
私は今でも、
決断の前に立ち止まる。
すぐには、選ばない。
そして、
心の中で聞く。
「やっぱりそうはいっても――」
その先は、
声にしない。
父の声ではない。
もう、私の声だ。
■ 雄太のこと
雄太は、
今も黙って働いている。
名は残らない。
でも、
彼の関わった場所は、
必ず静かだ。
私は、それを
誇りに思っている。
■ 神の話は、しない
若い人は、
神の話を聞きたがる。
奇跡の話。
力をもらった話。
私は、首を振る。
「あれは、
人生の本筋じゃない」
本筋は、
選ばなかったことだ。
■ 老いて分かること
強くなるのは、
難しくない。
でも、
強くならないまま
正しい線を守るのは、
難しい。
父は、それを
一度も言葉にしなかった。
だから、
残った。
■ 最後の確認
夕方、
小さな帳面を閉じる。
そこには、
もう予定は書かれていない。
でも、
一行だけある。
迷ったら、
一度止まる。
誰の言葉でもない。
でも、
私の人生は、
それで足りた。
■ 終章
英雄の時代は、
とうに終わった。
改革者の名も、
書き換えられた。
それでも――
判断の前に立ち止まる人は、
まだいる。
佐久間塾の名前だけが残り、
私は、静かに老いた。
それで、
本当によかったと思う。




