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カトレアが王宮に滞在している本当の意味を知っているのは、アイバンとケイレブをはじめとするほんの僅かな人間だけだった。
反ナイトシード公爵派の者たちの考えた表向きの目的は『隣国の地位の高い者との婚姻のために王宮での作法を学ぶ』こととなっていたが、本当の目的は『カトレアを愛人として側に置く』ことだった。
このことは事前にアイバンは調べさせて分かっており、うかつに動くなと反ナイトシード公爵派の者には釘を刺しておいたはずなのだが、強硬手段に出てきたのだ。
「娘たちを差し出してくるのは、今までにもあったが、ナイトシードに何をされたか覚えていないのか……」
過去にも同じようにナイトシード公爵派にて期待する者たちが、令嬢を王宮に送り込んできた。しかし、彼女たちはナイトシード公爵派の陰湿な圧力に耐えきれずに心を病み、殆どの者がアイバンに触れられることもなく、そのまま王宮を去っていった。その悲劇をアイバンは繰り返したくなかった。
「自分たちの娘ではなければ、誰が犠牲になってもいいというその卑しさ……他人の手を汚させ、自分たちは裏で指示を出すつもりが気に入らん」
アイバンが愛人を作らないのも、このような事情があったからなのだが、その思いは貴族たちには届いていなかったのだ。
―――
アイバンが執務室の窓からカトレアを覗き見ていた間、ケイレブはすでに動き出していた。
客室の中でも最も豪華で、かつ国王の私室にも近く警護のしやすい一室を彼女のために整えさせていた。通常、公爵令嬢が王宮に滞在する際は、侍女の数や部屋の豪華さまで細かく取り決められるが、今回は急な訪問であったため、ケイレブに全ての裁量が任せられていた。
ケイレブの信頼できる部下が部屋の準備を整えた後、庭園での散策を終えたケイレブに報告に来た。確認後、ケイレブはカトレアと侍女を客室へと案内する。
カトレアが入室する直前、ケイレブはジェンティアを呼び止めた。
「ジェンティアさん。カトレア嬢の希望であなたに滞在中のカトレア嬢の身の回りのことなどお願いしますが、極力、王宮の者と接触することは慎んでいただきたい」
ジェンティアは深く一礼し、顔を上げずに応じた。
「承知いたしました、ケイレブ様。私は皆様の邪魔をするつもりは毛頭ございません。お嬢様の滞在の邪魔にならぬよう、注意を払わせていただきます」
「ありがとうございます。こちらもあまり口うるさく言うつもりはありませんが、事情が事情なので。ところで、王宮での世話役を断るのは公爵家からの指示でしょうか?」
ケイレブは核心を突いた質問を投げかけた。王宮の侍女を断った理由を探るためだ。
「恐れながらその件につきましては、お嬢様がご自身でご判断なされたことです。それ以上の他意はございません」
ジェンティアは非常に控えめで、必要最低限の言葉しか発しない。その仕草の一つ一つが、王宮で働く侍女たちよりも優れているように、ケイレブには見えた。公爵家の令嬢に仕えられる身分の女性で、こうして王宮内で地位の高い男性に臆することなく話す姿は、到底ただの侍女とは思えない。
カトレアは単なる我儘を言っているわけではなく、確固たる信念、あるいは何らかの使命があってこの場にいるのだ、と思えた。
「そうですか。それでは私は戻りますので、何かありましたら部屋の魔道具を使ってください。私の元へ直接つながるようになっておりますので」
「かしこまりました。お嬢様にもお伝えしておきます」
―――
夕刻、アイバンはカトレアを説得して公爵家へ帰すために、カトレアのために用意された客室へと向かう予定だった。公爵家への体面を保ちつつ、愛人とする気がないことを伝え、穏便に済ませるつもりだった。
しかし、運命は、アイバンの予定通りには動かなかった。
国王としての責任が、私的な予定を上回る。カトレアの部屋へ向かう直前に、今日中に処理しなければならない重要書類が回ってきてしまったのだ。アイバンは深い溜息と共に、部屋へ行く時間を夜へと変更せざるを得なくなった。
夜の訪問となれば、いらぬ勘違いを生む。
特に、愛人になるために乗り込んできた公爵令嬢の部屋への夜の訪問は、カトレア自身に勘違いされてしまうかも知らない。既に約束していた時間よりも時が経っているため、アイバンはケイレブと話す。
「ケイレブ、夜の訪問はまずいだろうな……」
「おっしゃる通りです。明日以降に延期すべきでしょうね」
「ああ、だが、私があの娘の強引さに負けたと思われるのも困るな。カトレア嬢に理由を説明の上で、日程の変更を伝えてくれ」
「承知いたしました。ただ、あのご令嬢です……そう簡単にいきますかね」
「いきますかね、ではなく、いかすのがお前の腕の見せどころではないのか」
「ははは、無茶を言うのははやめてくださいよ」
ケイレブが指示通りにカトレアの部屋へ直接向かい伝言を伝えるが、すぐに戻ってきたその顔を見てアイバンは全てを悟った。
「『就寝前のお茶で構わない。勘違いはしない』と、カトレア嬢からの返答です。あのご令嬢には口ではかないませんよ」
ケイレブの報告を聞いたアイバンは、額を抑え天井を仰いだ。
―――勘違いはしない、だと? 皮肉のつもりか? しかし、ケイレブの顔を見れば恐らく一歩も引かなかったことは見て取れる……反公爵派が送り込んできただけはあるな。
仕方ないと、アイバンは諦めたように立ち上がり、執務室を出た。
「ケイレブ、同行しろ。もし、あの娘が何か仕掛けてきても、お前がそばにいれば、余計な醜聞は防げることができる。もしもの時には、私を止めるのだぞ?」
「承知いたしました。力ずくでも止めて見せます」
ケイレブは、内心で不穏な予感を抱きながらも護衛として、アイバンとともにカトレアの滞在している客室へと向かった。廊下を進む二人の足音が重々しく響いた。
扉の前で立ち止まったアイバンは、もう一度心の中で呟く。
―――若い公爵令嬢の人生を、政略のために利用するつもりは毛頭ない。ナイトシードと戦うにしても、確かに公爵家の娘ということで役には立つかもしれないが、未来ある娘をわざわざ地獄に落とす必要はないだろう。
ケイレブが厳かにドアをノックし、中からジェンティアの静かな声が聞こえると、ゆっくりとドアが開いた。




