45、ヴィオレッタの思い
「お姉様、また来ますね!」
カルミアは満足げな笑みを浮かべて、ヴィオレッタと言葉を交わすとサーラの案内で入ってきた時と同じ道を通り、別館を立ち去った。
「カルミア様をお送りしてきました」
サーラは戻ってくると一声かけた。
それまで張り詰めていた空気がなくなると、後に残ったのは何とも言えない雰囲気だった。
メイドがいないこの別館で給仕をしていたベラの手が震え、トレイの上の食器がガチャンと音を立てる。
「も……申し訳ございません」
「……いいのよ、ベラ。あなたの言いたいことは分かるわ。私のために怒ってくれているのね」
「……お嬢様。あのような、あのような無礼な……!」
ベラの言葉に続くようにサーラも絞り出すような声で言った。
その拳は固く握りしめられ、爪が手のひらの肉に食い込むほどだ。
「旦那様も奥様も、一体何を考えておいでなのですか! 薬湯があることはこの公爵家で働く者は皆知っております!」
「そうです……! 私どもも旦那様と奥様のいつもの罰だと思っておりましたが……。これではあまりにも、あまりにも……っ!」
「……この病は快方に向かう際に、半分の確率でどこかに痣が浮かんでくるということは報告されていたわ。薬湯を飲めば効能の一つにその症状が抑えられると父も知っていたはず。それでも私に飲ませなかったということは……」
ヴィオレッタは一旦言葉を区切る。それは自身の中で出した答えが本当に正しいのか、再度考えたからだ。
「あの娘を手元に置いて、私の代わりになるべく育てたかったのでしょう」
「それはあまりにも酷すぎます……」
「今までのお嬢様の努力を思えば、私たちにとって一番に幸せになるべきはお嬢様ですのに!」
二人の侍女にとってヴィオレッタは、誰よりも幸せになるべき存在だった。
『ヴィオレッタがアイバン殿下の寵愛を失った時のための、代わりだ。殿下の気が変わらなければそれで良い、ただの手伝いだと思え。だが、そうでなかった場合、あの娘には殿下を籠絡し、公爵家の権勢を維持させる』と。
カルミアを養女として迎える際、公爵夫妻からは説明を受けていた。
納得していたわけではない。ただ、自分たちが主人の代わりにずっと近くで見ていたヴィオレッタが『気にしていない』と言ったから、頷いたのだ。
『ヴィオレッタお嬢様とアイバン殿下がお会いになれば、すぐに答えは出るはずよ』
『そうね、ベラ。私たちはヴィオレッタお嬢様をお支えするだけよ、頑張りましょう!』
そんな二人の心は、まるで弄ばれるようであった。
ヴィオレッタは病が完治していないと隔離され、この不自由な別館での生活を強いられていた。今まで仲の良かった使用人たちも、ベラとサーラに情報を回してくれることもなくなった。
「いいのよ、二人とも。お父様たちの判断は、ある意味で正しいのだから」
ヴィオレッタは窓の外を眺めながら、静かに呟いた。
―――私は知りすぎてしまったのね。お父様たちの……いいえ、公爵家の秘密を。殺されていないのは家族の情ではなく、代わりになるコニー……カルミアが育つまで待っていたのね。
ヴィオレッタは賢すぎた。
公爵家の金と人脈、そして本人の努力でヴィオレッタは、非の打ち所がない公爵令嬢となった。
家のためだけに働くように育てられ、ヴィオレッタも周囲からそう言われ育ったため、その考えが正解なのだと思い込んだ。
しかし、婚約したアイバンと言葉を交わしていく中で、公爵家のためだけに王太子妃そして王妃になって権力を振るうのはおかしいと気付かされた。
『ヴィオレッタ、私の考えていることを話そう。私は君の実家に奪われた国の権利を取り返すつもりだ』
『我が家に奪われた権利……? アイバン様、それは……』
『こんなことを言われても困るだろう。だが、聡明なあなたには知ってもらいたい。今のこの国の現状を』
それ以降、ヴィオレッタは自分の意志で、国のこと、公爵家のことを調べ出した。
『これは……なんと不誠実な……! ああ、でも今これを言えば、きっと私は婚約者から廃されてしまう……』
ヴィオレッタは自身が情けなくなったが、そんな暇があるのなら、アイバンとともに国のため、民のため、ともに歩いて行こうと心に強く誓った。
アイバンもまたそんなヴィオレッタを愛していた。
自分の実家であろうと、不正があれば容赦しないヴィオレッタの潔癖なまでの誠実さと、正義感に惹かれたのだ。
結果、二人は偽りではなく、政略結婚の中で本当の愛を育んだ。
『……ヴィオレッタが何やらこそこそやっていると思ったら……。ここまで育ててやったにもかかわらず、恩を仇で返すとはこのことだな』
ナイトシード公爵家にとって、それは裏切り以外の何物でもない。
国の中心部に公爵家の弱みを知り、それを隠すどころか正そうとする者がいる。それが実の娘だということ。
『あなた、このままでは面倒なことになってしまいますわ。あの子には慰問ということで、領地や王都にある貧民街への慈善活動をさせましょう』
『もう、そんな時期か? だが、代わりは?』
『ええ、もう探し出しておりますわ。七歳の祝いで一瞬だけしか会いませんでしたが、卑しい男爵家の娘を』
『ああ……あの家か。年は同じ十五だったな。その娘に秘かに護衛を付けろ。虫が付かないように逐一報告させろ』
『我が家が出資している店に同じ年頃の息子がおりますので、その息子を既に見張りに着けております。名はビルと申しまして、そこそこ見られる男ですわ』
『頼んだぞ』
公爵夫妻はヴィオレッタを簡単に切り捨てたのだ。
不衛生なところばかりを慰問させる。
そこで掴まれる弱みは何もない。ヴィオレッタは王国の貧民に対する政策を何か出したいと常々両親に伝えていたので、その願いを叶えるべく慰問が認められたと思っていた。
実際は、病による後遺症で婚約破棄を狙う絶好の口実作りのためであった。
ヴィオレッタは、長年王国の内政を牛耳っている父に踊らされていたのだ。
―――あの時からすでに両親には切り捨てられていた。何度か発熱のような症状があったけれど、医者もなんともないと治療はしなかったものね。私も信じ切ってしまっていたわ。
「……アイバン殿下だけはお嬢様の味方のはずです。旦那様と奥様にアイバン殿下からお話ししていただきましょう」
ベラの悲痛な訴えに、ヴィオレッタは小さく首を振った。
「殿下は私を愛してくださっている。けれど、殿下は今はお父様には勝てない」
「それは……」
「お父様のことよ、殿下には私は領地に戻っていると伝えているはずだわ。ここ一年、殿下からのお手紙が届かないもの」
「……私たちも他の者から殿下からのお品は預かっておりません」
「そうでしょう? 今、私たちは監視されているはず。私は殿下に余計な心配をかけたくないの」
―――お父様はきっと私を消すわ。その時のためにも、二人を公爵家の秘密にこれ以上巻き込むわけにはいかない。
ヴィオレッタは、二人には公爵家の不正のことは伝えていない。
今の段階でそこまで伝えてしまうのは、二人にとって重荷になると判断していた。
そしてもう一つ、二人の雇い主はヴィオレッタではなく、公爵なのだ。
「サーラ、ベラ。いつもありがとう。私はあなたたちがいるから、まだ頑張れるのよ」
二人の手をそっと握った。
ヴィオレッタは元々、体の丈夫な子供であった。
薬湯を飲む機会もそんなになかった。それこそ神殿での祈祷なども受けたことがないほどに、活発な少女であった。
「サーラ、ベラ。お願いがあるの」
「なんでしょうか」
「もし、私に何かあった時、あなたたちの主人がお父様であることを忘れないで」
「…………」
「ねえ、お願いよ。いつものように返事をしてちょうだい?」
ヴィオレッタの言葉に二人は息を呑んだ。
「承知いたしました……」
「……はい」
長ければあと一年、時間はあるだろうと思っていた。
だが、カルミア次第でその状況は変わって来る。今日、カルミアが別館を訪れたことで、その時間が短くなっていることを実感した。
―――お父様とお母様はカルミアをこれ以上は教育なさらないつもりね……。それならば、私が殿下にお会いすることは、もうなさそうね……。
日に照らされたヴィオレッタが力なく微笑む。
「私は公爵家の娘としてではなく、ただのヴィオレッタとして……この先を選ばなければならないの」
静かな言葉とその横顔に、二人は言葉をかけることはできなかった。




