41、カルミアと一年
カルミアがナイトシード公爵家に迎え入れられて、一年が過ぎた。
この一年でカルミアは、自分はやはり人から愛される存在なのだ、と思うようになった。家庭教師たちの授業はある時から分かりやすくなり、カルミアは褒められてばかりである。
―――当り前よ。私は公爵令嬢よ? そんな私を叱り飛ばすなんて、あってはならないことよ。だって教え方が悪いから、覚えられないんだもん。
最近では数カ月に一度顔を合わせる程度になったが、ローゼとも会うこともある。
だが、ローゼはカルミアに会いに来ているというよりかは、公爵夫人であるビンセンティアに会いに来ているようであった。
―――良かった。私、あの人のこと苦手だったから、きっとお義母様が相手をして会わないようにしてくださってるんだわ。
カルミアはテーブルの上の甘いお菓子をつまみながら、思い出し笑いをする。
全て上手くいっていることが嬉しいのだ。やはり、自分には才能があり、男爵家に生まれたことが間違いであったのだ。侍女たちからそう褒められる度に、カルミアは頬を染めて、もっと褒めさせた。
そして、カルミアが機嫌がいいのには、もう一つ理由があった。
「お義父様から、ようやくお姉様にお会いする許可をいただいたわ。ふふ、可哀想なお姉様……。人前に出られないお体になって、ずっと一人で寂しかったでしょうね」
カルミアは一年前より令嬢らしくなった自分を考え、うっとりとした表情を浮かべる。人前に出られない姿とは、どんな姿になっているのかと思考を巡らせると口角が歪む。
―――ああ、あの美しかったヴィオレッタが、今どうなっているのか早く見たい。
カルミアは心の中では、ヴィオレッタのことを蔑むようになっていた。
今までは、手が届くはずもない上の存在だと思っていたが、公爵家の養女となった今、姉妹となり立場も同じになったのだ。
カルミアにとって、遠い存在であった『ヴィオレッタ様』はもう存在しない。
―――お義父様とお義母様がよく言っているもの。『健康と美しさ、そして愛嬌だけがあればいい。知識をつけすぎるのも殿下を下に見ているようでいけない』ってね。私は殿下に恥をかかせたりはしない。そのために、お勉強はほどほどにしてあげてるの。
今のカルミアは公爵夫妻が言っている『健康的で美しく、愛嬌のある』美少女であることは間違いない。
きっとそれは、ヴィオレッタにはなくなってしまったのだろうと考えると、歪んだ優越感がカルミアを突き動かした。
「お姉様が心配だわ。きっと心細いはずよ、一年も誰にも会えてないなんて……。今すぐ行きましょう、お姉様を元気づけてあげないと」
自室から飛び出しそうな勢いでカルミアが席を立つと、控えていた侍女がにこやかに言葉を添えた。
「まあ、カルミアお嬢様! なんとお優しいのでしょう。ですが、今すぐにですと……お嬢様のドレスを整える時間がございませんわ。私どもに時間をくださる間に、こちらでお伺いのお手紙をお出ししておきましょうか。その方が令嬢らしく、わずか一年で成長したと驚かれるかと」
「あら、そうね! 私の気遣いと成長をお姉様に分かっていただかなくてはね。それと、ドレスはこの前買ってもらった既製品のドレスにしてちょうだい。仕立てさせたドレスでは、お姉様との待遇の違いに驚かせてしまうかもしれないから……」
「承知いたしました」
侍女が微笑みながら返事を返すと、カルミアは立ち上がったソファにまた腰を下ろした。
カルミアは綺麗な文字が書けない。そして、手紙の書き方や社交辞令の挨拶などの授業も自分で放棄したため、畏まった手紙を出すこともできない。
だからこそ、カルミアには公爵家に仕える者たちの中でも、高位貴族の出身である者たちが侍女として選ばれていた。
「お嬢様のお優しい気持ちが伝わるように書いておきます」
「ええ、お願いね」
別館からの返事は当日、すぐに届けられた。
返事は意外なほどに穏やかで、カルミアは虚を突かれた。
「お姉様、早速返事をくれたわ! 『カルミアが公爵家に来たということは聞いていましたが、まさか会えるとは思いませんでした。私から手紙を出すことができず、ごめんなさいね。ぜひ会いたいわ。本日楽しみに待っていますね』ですって! 嬉しいわ、すぐに用意してちょうだい」
「そういたしましょう」
「でも、髪の毛がなんだか少し調子が悪いかも……」
「まあ、大変ですわ。では、入浴から始めましょう。髪だけでなく、お肌もオイルでお嬢様の美しさに磨きをかけませんと」
「そうね、姉妹なんだもの。お姉様も待ってくださるわ」
カルミアは華やかな笑みを浮かべた。
ゆっくりと温かな湯に浸かり、メイドたちからオイルでのマッサージを受ける。
王都で流行りのオイルは香りも良く、若い令嬢から貴婦人まで様々な世代で人気があると知り、カルミアもすぐの取り寄せさせた。
確かに肌によく馴染み、肌触りはごわつきが消え、なめらかであった。髪には同じ店が出している専用のオイルを使うが、こちらもまた髪に艶が出て、手触りもシルクのように指通りが良い。
「ああ、最高……気持ちがいいわ」
「カルミアお嬢様の素材がよろしいのですわ」
「そうかしら? もっと早くに使っていれば良かったわ……。どっかの公爵家が高値で価値を付けて売っていると聞いてたけど、あんな値段高くもなんともないわよね?」
「もちろんでございます。ナイトシード公爵家では、あのような値段はした金のようなものです。お嬢様の美しさを妬んで変な噂を流していたのかもしれませんわ」
メイドがマッサージを行う横で、侍女がカルミアの言葉に相槌を打つていく。
カルミアは侍女からの返答と、メイドたちによるマッサージを心ゆくまで堪能した。
昼間にヴィオレッタから手紙の返事が来た際、来訪の時間はアフタヌーンティーを一緒にと記載されていた。今、辺りはオレンジ色へと変わり、恐らく訪問時間は過ぎているだろう。
「あら……ちょっと遅くなっちゃったかしら?」
「いいえ、大丈夫でしょう。お姉様のためにご準備されていたのですから」
「そうよね! じゃ、行きましょ」
磨き上げられた肌と既製品ではあるが豪華なドレスを身に着けて、カルミアは別館へと向かった。
急ぐことも、慌てることもない。
ヴィオレッタが過ごしているという別館は、本館の敷地のさらに奥にあり、手入れがされている森のすぐそばに建っていた。少し狭いが、すぐ横の森と交じり合うように美しい庭園が広がっている。
しかし、その森と庭園が、別館を孤立させているようにも見えた。
―――なんだか……綺麗だけど薄暗いところね。こんなとこがあったなんて。
恐らく、本館に来てもこの別館の存在に気付く者はほとんどいないだろう。それくらい、周囲からは隠されるように木々が植えられ、この場所を隔離しているかのようだ。
別館の入り口には兵士が二人立っている。
「カルミア様。ここから先はヴィオレッタ様の侍女がご案内いたします。私どもはこちらで……」
侍女が頭を下げて、入り口の前で立ち止まる。
「あら、そうなの? じゃあ……私を案内してくれるのは、こちらの兵士さんかしら?」
カルミアは扇を口元に当てて、兵士の一人に艶やかな視線を送った。
兵士は驚きつつも、まんざらでもない表情でヘラリと笑う。一年、公爵令嬢として生活していたが、長年の癖はそう簡単に抜けるものではなかった。
兵士と見つめ合いながらカルミアが笑っていると、内側から静かに扉が開いた。
現れたのは、落ち着いた佇まいの侍女だった。
「お待ちしておりました、カルミア様。どうぞ中へお入りください」
完璧な礼を見せたその顔に、カルミアは息を呑んだ。
忘れるはずがない。
七歳の祝いの日、ヴィオレッタから優秀な侍女を見せつけられた。男爵家の令嬢ではこんな侍女は手に入らないだろうと。
―――どうして、ここに……? まさか、まだヴィオレッタはこの人を縛り付けているの?
一年の教育を受ける中で、カルミアにも分かったことがある。
それは侍女として、周囲の女性がカルミアの役に立つかどうかということ。
目の前の侍女が漂わせる気品は、公爵令嬢に仕える者たちの中でも最高のものだ。
人前に出られず、婚約者の座も追われるはずの『用済みの令嬢』に、なぜまだ付き従っているのか。
―――私にこそ、相応しい人なのに……!
カッと視界が赤くなり、激しい嫉妬を覚える。
しかし、カルミアもただの馬鹿ではない。ここで騒ぎ立てて、周囲の印象を悪くするのは本意ではなかった。侍女の顔を見ると、ニコリとほほ笑んだ。
「確か……サーラさんよね? 久しぶりね。案内をお願いします」
サーラと呼ばれた侍女が、一瞬だけ目をピクリと動かしたが、すぐに頭を下げた。
「はい。ご案内いたします」
その声色は変わらず落ち着いており、カルミアを室内へ入れると扉を閉じた。
二人だけの足音が、薄暗い廊下に響き渡っていた。




