37、カルミアへの教育①
「私どもは閣下と夫人からあなたを公爵令嬢に見えるようにしてほしいと依頼されております。ですが、今までの男爵令嬢の感覚ではいけません。しっかりと令嬢としてお勉強なさってくださいませ」
カルミアの生活は一変した。
始まったのは、公爵家の人間として見られるようにするための厳しい教育だった。
「さあ、カルミア様。歩き始めてください。まあ、何ですの……品のない腰を振った歩き方……みっともない。ここは王都にあるカフェでも、女を売りにする店でもありませんよ」
家庭教師として呼ばれたのは、かつて王族や高位貴族の令嬢を教育していたローゼ伯爵夫人だった。
彼女は王都一の夫人と呼ばれており、その品のある立ち姿、歩き姿、そして座っているだけでもその場が華やぐと言われていた。また、マナーも完璧であり、淑女の鏡とも言われていた。
彼女から学べる令嬢は数少ない。
カルミアが歩くたび、ローゼは手にした扇でピシャリと机を叩いた。
ローゼが放つ言葉の一つひとつが、カルミアの自尊心を容赦なく削り取っていく。
「……申し訳ございません。一生懸命やっているつもりなのですが……足が痛くて……っ」
カルミアは同情を買うようにわざとらしく肩と足を震わせ、瞳にうっすらと涙を溜めて、縋るような上目遣いでローゼを見やった。
「…………まあ」
「少しだけ……休ませていただけませんか? 私、こんなに厳しくされたことがなくて……」
だが、ローゼは眉ひとつ動かさず、冷淡に鼻で笑った。
「その卑しく媚びた姿は私に見せないでちょうだい、見ていて反吐が出ますわ。ヴィオレッタ様のお姿をあなた程度の令嬢でも見たことぐらいはあるでしょう? あの方は五歳の頃にはあなたの十倍はある授業をこなしておりましたよ。泣き言も言わず、涙も見せず、そんなみっともなく媚びるような視線などしたこともありませんわ」
「……それはっ!」
「それなのに……十六にもなって……情けない。正直、そこら辺の商家の娘を連れてきた方が、まだ教え甲斐があるというものです」
ヴィオレッタとの比較、カルミアへの否定と蔑み。
カッと顔を赤らめて、カルミアは下唇を噛んだ。ローゼから投げつけられた言葉の全てが、カルミアの全てを否定するものだったからだ。
「ちがっ、私……これは、その……」
「はあ……もう今日はやめておきましょう。カルミア様もあまり気が乗らないようですし。このまま続けていても無意味です。私はこの辺で失礼させていただきますわ」
「あ、ありがとうございました……」
ローゼは美しい姿勢のまま、カルミアの言葉を聞かずに扉へと歩いて行く。その品のある雰囲気と姿をカルミアは鋭い眼差しで睨みつけた。
―――なっ、なんなのよ、あのおばさん! やったことないんだから歩き方も、話し方も、分かるわけないじゃない!? 私は確かに学なんてないけど、そこまで言う必要ないし、厳しすぎるのよ……!
男爵家の令嬢として学んだことは何一つない。
伯爵家の娘だったローゼに分かるはずはないと、カルミアは爪を噛んだ。何よりこの環境を用意したであろうヴィオレッタへの憎悪が、ふつふつと湧き上がってくる。
―――そうよ、ヴィオレッタ様のせいよ……。私を公爵夫妻に買わせたんだわ。自分の引き立て役にするために……。病気だか何だか知らないけど、わざとこんな厳しいおばさんまで雇って、私をいたぶって楽しんでるに決まってるわ! 自分の出来の良さを周囲に分からせて、私を嘲笑の対象にして、王太子殿下に見せつけて婚約者の座を渡したくないんだわ……。
実際のところ、カルミアは公爵家が救い出した形に近い。
「ああ、なんてひどい人……」
それがどんな条件であったとしても、だ。
七歳の祝いの真相は単純だった。この祝いは毎年行われているわけではない。公爵家の子供と同じ年頃の子息令嬢を調べるためだけに行われていた。公爵家の子息令嬢に何かあった際のスペアになれるかを見極めるため、祝いと称した調査だったのだ。
求められるのは見た目、野心、親に対する嫌悪を抱いている子供。
今回ヴィオレッタに不都合があったため、公爵家のお眼鏡にかなったのが男爵令嬢のカルミアだった。
ジギタス男爵とはほとんど関わりはなかったが、娘がいることは把握していた。男爵家の娘だったとしても教育は後から与えることはできるが、容姿だけはそうはいかない。
カルミアは貴族教育は受けていなかったが、その容姿だけは縁戚の中で一番だったのだ。
どんな理由で選ばれたとしても、カルミアは間違いなく公爵家によって、男爵家という地獄から救い出されたのだ。
「私はお義父様とお義母様に選ばれたのよ。それなのに、こんな扱いを受けるなんて……っ。ああ、ひどい、ひどすぎるわ……ヴィオレッタお姉様もあのおばさんも大っ嫌い」
自己中心的なカルミアには、そんなことは理解できない。
頭の中ではこの状況を作り出したヴィオレッタに対しての恨みしかなかった。全ての不幸はヴィオレッタが作り出している、とすり替えられていく。
ローゼが出て行った扉を恨めしそうに見つめ、整えられた爪を噛む。
「こんな時は甘いお菓子を食べないと……」
カルミアは鈴を鳴らす。
リンリンと美しい音が響き、侍女がノックと共に入って来る。
「ローゼ夫人を怒らせてしまったみたいなの……。少し疲れてしまったから、お茶とケーキを用意してくれる?」
「……まあ、それは大変でしたね。すぐにご用意いたします」
「ありがとう。本当に疲れちゃったから、用意してくれたら一人にして」
「承知いたしました」
慣れた手つきで準備が終わると、侍女は元からいなかったように退出していく。
その姿と扉が閉まったことを確認すると、カルミアは脚を組んでソファに腰かけた。そしてクリームで美しくコーティングされたケーキを手掴みで頬張りだす。
「あー、イライラする時はやっぱこれよね」
口の周り、手に爪は汚れ、たくさんのクリームと食べカスがついても気にすることはない。
この場にはカルミアしかいないのだ。熱い紅茶を乱雑にかき回し、飛沫が飛び散っても気にしない。
それを片付けるのは、自分ではないのだから。




