36、カルミアと公爵家
事の始まりは公爵夫妻の一言だった。
両親が別の部屋へ行くのを見届けると、公爵夫妻からは思いもよらない言葉が告げられた。
「貴女にはヴィオレッタの話し相手ではなく、公爵家の養女となって王太子妃になってもらうわ」
公爵夫妻からカルミアに告げられた言葉は、あまりにも現実とは思えない言葉であった。カルミアの両親に話された内容は嘘であったのだ。
ただし、男爵家にとっても次期王太子妃の話し相手に娘がなれるというのは、名誉なことである。
「貴女も男爵家……いえ、あの強欲な伯爵家の夫人でなんて、終わりたくはないでしょう? 公爵令嬢になって王太子妃になる……ああ、なんて甘美な言葉なのでしょう」
「私が王太子妃……」
「ええ、そうなるわね」
夫人のその言葉は常に貧乏だった男爵令嬢にとって、考えられないほど魅力的であった。
名ばかりの男爵家での貧乏な暮らし、嫁ぎ先は親よりも年齢の離れた伯爵。
その二つと、公爵令嬢になれるということは、天秤にかけられるようなものではない。むしろ、カルミアにとっては願ってもいない、神の助けのようなものであった。
―――お父さんもお母さんも、私のことなんて愛していないのは分かってる。だって、デビュタントもしてくれない、結婚相手も再婚ばかりしている伯爵……。私のことは金を引き出すための道具としか思ってないのよね。でも、それは私も一緒……。二人のことなんて、親とも思ってなかったもの……。
カルミアとて両親と同じであった。
両親が反対しても、絶対に自分は男爵家を抜け出すと思っていたのだから。
「男爵から話が漏れるのを防ぐために伝えなかったが、書類にはすぐに署名をしているだろう。手渡した書類の中には、本日をもって親子の縁を切ること、公爵令嬢となったカルミアに近付かないこと……まあ、それ以外にも混ぜているが、この部屋に現れないということは、中を確認していないのだろう」
「もし確認していたら、もっと金を寄越せとこの場に戻ってきているでしょうね」
その言葉にカルミアは唾を飲み込む。
カルミアの両親は無能で、金のことしか考えていない、そして秘密を共有する相手にもならないと言っているのだ。
―――わ、私は認められてる……だから、公爵家の養女になれるんだわ。お父さんとお母さんが知ったらきっと喜ぶ……でも、なんでかしら……あの二人には絶対に教えたくないって思っちゃう。私は男爵家にも、あの伯爵家にも未練なんてない……。ヴィオレッタお嬢様と同じ贅沢がしたい……令嬢らしく贅沢に、男に媚びることなく……!
かつて一度だけ、七歳の祝いの席で顔を合わせた遠い親戚の令嬢。
あの時、ヴィオレッタは公爵令嬢として美しく着飾り、そして輝いていた。
男爵家で金もなく、身なりも酷く、礼儀作法も知らないカルミアに対しても、ヴィオレッタだけが優しく接してくれた。あの時の同じ年であるにもかかわらず、美しい所作に惹かれたのは確かだった。
しかし、ヴィオレッタのその行動さえも今のカルミアにとっては、自分を辱めるための行動だったと思っている。
「ヴィオレッタお姉様……いえ、公爵家のお役に立てるように頑張ります!」
身に纏っていた美しいドレス、髪留めやドレスに散りばめられた輝く宝石たち。
ヴィオレッタの優しい心や、美しい所作よりも、あれらが全て自分のものになるということしか、カルミアの頭の中には浮かばなかった。そして、男爵令嬢から公爵令嬢、さらには王太子妃にまでなれるというのだ。
カルミアは殊勝な態度で深く頷いた。
全て分かっていると公爵夫妻に向かい、頷いたのだ。その態度に夫妻は表情を変えることなく、護衛騎士と侍女に声をかけてカルミアを案内するように告げた。
だが、現実は甘くない。
待っていたのは夢のようなドレスルームやティータイムではなく、今までの自分自身を否定されるかのような時間だった。
「な、なんなの……そんなに難しいことはないって……」
カルミアの生活は一変した。
始まったのは、公爵家の人間として見られるようにするための厳しい教育だった。




