30、ナイトシード公爵家へ
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
馬車が玄関ポーチの前で止まり、美しく装飾された扉がゆっくりと開かれた。
「……んっ」
そこは以前、七歳の祝いの際に見た景色よりも更に豪華さを増していた。
―――また、来れた……また来れたのね。あの時は、どこなのかもよく分からずに来たけれど、今は違う……。この国の中枢にいる人の家だってこと、私は分かってる。
冬の澄んだ空気が馬車の中に入ってくると、ぶるりと身震いをした。
玄関から馬車の前まで、一列に整列した使用人たちが控えていた。
今この場にいる使用人たちは、公爵家によって一人ひとりが厳しく選ばれ、身分も保証された者たちである。その中には男爵家などよりもはるかに上の身分の者もいた。
そんな者たちがジギタス男爵家の面々に対し、賓客を迎えるのと変わりない対応をしている。子爵家よりも上の身分の者と会う機会の少ないコニーたちにとっては驚きと嬉しさ、そして優越感を抱かせた。
―――あ、あの澄ました顔の女……最近カフェで客が話していたベイルド侯爵家の三女じゃない……! そんな女でも……男爵令嬢の私に頭を下げているわ……ああ、なんて気持ちがいいのかしら。
「ようこそおいでくださいました、ジギタス男爵、男爵夫人、コニーお嬢様」
先頭に立つ家令の声は、耳に心地よいほど洗練されていた。
その声に意識を戻し、コニーは御者の差し出した手を取るとゆっくりと地面に降りた。ポーチから玄関ホールへと続く床には、よく磨かれており傷一つ見えなかった。
コニーたちが馬車から降りると、家令はすぐに案内を始めた。見送る使用人たちの後ろにある階段に、深紅の絨毯が敷かれているのが目に入る。
―――私のワンピースよりも、あの絨毯の方がきっと高いわね。店でも見たことがないほど、綺麗だわ……。
令嬢とは思えないほど地味で安っぽいワンピースは、絨毯よりも価値が低いのだ。
コニーは家令と両親の後に続き歩いて行く中、磨かれた床をぼんやりと見つめながら、自身の服について考えていた。
「おい、見てみろ、この花瓶……金がふんだんに使われているな」
「まあ、本当ねぇ。この花瓶、本物の金が使われているように見えるわ」
両親もまた、廊下の途中に飾られている高価そうな置物や絵画を見ては、品のない呟きを漏らしていた。コニーは自分と両親の考えが同じなことに嫌気がさした。
父の酒臭い息と笑い声、母の同調する声。
家令はもちろん使用人たちにもその声は聞こえているだろうが、その表情は少しも崩れることのない、完璧な無表情を貫いていた。
―――あっ……この人たちの目……。
コニーにはその瞳の種類がすぐに分かった。
ここの使用人たちもまた、王都の街中にいる人々と同じで、金もなく品もないコニーの両親を馬鹿にする瞳をしていた。
「お父様、お母様……!」
コニーはすぐに状況を理解すると、品のない両親を嘆く常識のある娘を演じることにした。
公爵家の使用人たちは『ジギタス男爵家』をもてなしているのではなく、公爵家の使用人として『公爵家の名に泥を塗らない』ようにしているだけなのだ。
しかし、瞳には隠しきれない軽蔑の色が浮かんでいる。
「お、お願いします……あまり大きな声でそんなこと言わないで……」
恥ずかしそうに大きく丸い双眸に涙を浮かべ、頬を赤く染め、両親を諭そうとする健気な少女。周囲から見れば、常識のない両親に振り回される可哀想な娘の出来上がりであった。
使用人の視線が一瞬、コニーを同情するような色に変わるが、その色もすぐに元に戻る。
唯一、家令だけが本当に眉一つ動かさない完璧な表情であった。
玄関からそんなに歩くこともなく案内された応接室は、コニーたちの家の半分以上の広さがあった。その事実に驚きつつも、家令から座るように促されるとコニーは躊躇した。
―――この家具すら私を馬鹿にしているように見える……。酷いわ、ヴィオレッタ様……あなたはこの現実を私に見せつけたかったのね……。
無表情でコニーが家具を見つめていると、両親は何も気にすることなく座っており、コニーも倣うように席に着いた。
「旦那様が来られるまで、どうぞおくつろぎください」
「ああ、良かった。ちょうど、喉が渇いてたんだ」
「そうね、香りの良い茶葉のものが飲みたいわねぇ」
壁には歴代公爵の肖像画が並び、コニーたちが席に着くと使用人たちが音もなく現れる。テーブルの上にはすぐに湯気の立つ香りの良い紅茶と、一目見ただけで高級だと分かる菓子が並べられた。
「流石、公爵家だな。我々の趣向を知っているとは」
「まあ、これは私の好きなものだわ」
「この菓子もなかなかいいものじゃないか」
「あの……ヴィオレッタ様は、どちらにいらっしゃるのですか?」
両親がくだらない話をしている中、コニーは震えそうな声を押し殺して家令に尋ねた。どのように成長していようと、驚くことはないとコニーは自分に言い聞かせる。
―――さあ、早くその姿を現して、私を馬鹿にするといいわ。そんな態度を見せた瞬間、私はあなたをのみ込んでやる……!
新たな決意を決めたコニーを神が嘲笑うかのように、家令は静かに首を振った。
「ヴィオレッタお嬢様は現在、領地におります。春花祭までは領地でお過ごしになる予定です」
「え? 領地……? 今日は会えないということですか?」
「申し訳ございませんが、仰る通りでございます」
「あ、ああ……そうなのですね……」
拍子抜けしたように、コニーの肩から力が抜けていく。
ヴィオレッタに会うことが恐ろしかったはずなのに、会えないと分かると無性に腹が立ってくる。あの七歳の祝いの時、確かにヴィオレッタは『また会おう』と言ったのだ。
コニーはその約束をずっと楽しみに待っていた。しかし、いつまで経っても手紙が届くことはなかった。
―――格下で、貧乏男爵家の令嬢である私から手紙を出すなんて、できるわけないじゃない……!気をつかってそっちから、送ってくるものでしょう!? それなのに、一度も手紙もくれなかった……! 私に出させて恥をかかせる気だったの? それとも私は揶揄われて嘲笑われていたの? 許せないわ……!
コニーの視界は赤く染まっていった。
「お嬢様は不在ですが、本日は公爵閣下より、皆様に大切なお話がございます」
「な、なんと公爵閣下から……!」
「ええ、そろそろ……」
家令の言葉に浮かれていた両親も、本題に入りそうな雰囲気にわずかに姿勢を正した。
「旦那様と奥様がいらっしゃいました」
扉が開く前に声がかけられた。
三人はすぐさま立ち上がると、扉の方へ向かって礼をする。カチャリと音をたて開かれた扉から、ナイトシード公爵と公爵夫人が貴族らしい装いで現れた。
しかし、頭を下げていた三人には二人の靴の先を見ることしかできない。
その靴先だけですら威圧感を感じ、コニーの父は一瞬で酔いが冷めたように青ざめ、母はドレスの端を握りしめたまま固まった。コニーはただ、床だけを見つめることしかできなかった。
公爵と公爵夫人が椅子に腰掛けると、家令が静かに口を開いた。
「ジギタス男爵、男爵夫人、男爵令嬢でございます」
「ああ、よく来てくれた。顔を上げてくれ、ジギタス男爵」
家令の心地よい声とは反対に威厳のある声が、頭上からかけられる。
頭を下げていた三人は、ゆっくりと顔を上げるとすぐに姿勢を正した。




