28、コニーと馬車【前】
王都の街中の広場にその馬車は寄せられていた。
昼時の明るい広場は人々で賑わい、ナイトシード公爵家の紋章が付いた馬車は遠巻きに見守られていた。
「お、おい……あの馬車だよな……?」
「ええ……ええ、そのはずよ。信じられないわ……」
公爵家からの使者が来て、数日後。
コニーたちジギタス男爵家は指定された広場へと来ていた。約束の時間に現れたのは、先日家を訪ねてきた使者と、見たこともないほど豪華な馬車だった。
広場を行き交う人々が公爵家の紋章が入っている馬車を遠巻きに見つめ『ヴィオレッタ公爵令嬢だろうか?』と噂しているのが聞こえる。
その馬車こそが、迎えのために用意されたものである。
―――え、これなの……!? 嘘でしょ……? こんな豪華な馬車、これを逃せばもう乗る機会なんて一生ないわ……!
馬車は馬も車体も装飾も、全てが美しく磨かれており、覗き込んだ両親とその横で呆けたように突っ立っているコニーの顔を、鏡のように映していた。
口元を歪めながら笑っている両親の顔を目にし、コニーは耐えきれずに目を逸らした。
「や、やあ! ここまでご苦労だったな。さあ、案内してくれたまえ」
「そうよ……そうね。さあ、早く私たちをナイトシード公爵家へ連れて行ってちょうだい」
父と母は周りにいる人たちに自分たちが特別な存在だと思わせるように、大声で使者に話しかけた。
公爵家に行くと分かっているにもかかわらず、コニーの父は朝から酒を飲んでおり、顔を赤らめながら酒臭さを漂わせている。母は宝石を売った金で新しく購入したのであろう扇でバタバタとこれ見よがしに仰いでは馬車を見上げていた。
二人とも自分たちが公爵家の重要な人物であるような顔で、尊大な態度で振舞っていた。
―――恥ずかしい人たち……。公爵家の名前を借りて、自分たちが偉くなったつもりなのね。たかだか男爵家で、裕福な平民よりも下の暮らしのくせに。
ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら馬車に乗り込んでいく二人を、コニーは冷ややかな目で見送った。
ふと、誰かに見られているような気配を感じ、コニーは馬車を眺めている人々の方を振り返った。
「あっ」
思わず声が漏れた。
遠巻きに見ている人の中に、一人の青年がいた。カフェの常連客であり、コニーをいつも焦がれるように見ていたビルの姿だった。
ビルはいつも通り、一目で高価だと分かる質の良い服を着ていた。髪も身だしなみも整えられ、いつも通りの裕福な商家の息子らしい姿であった。
「コニー?」
ビルと目が合った瞬間、ビルの口が自分の名前を口にしたような気がした。その表情を見て、コニーの胸の中にドロリとした嫌な感情が湧き上がった。
ビルは下心のある男たちとは違い、見返りを求めなかった。いつも優しく、店に来るたびに照れたようにたどたどしく声をかけ、流行りの菓子や、小さいけれど本物の宝石を贈ってくれていた。
コニーは贈り物をもらうたびに、顔を赤らめ、遠慮がちに、そして健気で可愛らしい『コニー』を演じてきた。
―――ビルが私に優しくしてくれるたびに、私はお姫様になれたの。
けれど、そのお姫様は嫉妬深いものだった。
ビルの服が一目で高価なものだと分かれば、わざと何かをこぼした。その行為でビルの好意を計っていたのだ。
『ごめんなさい、ビル! 私ったらこんな……』
『あ、大丈夫だよ。コニー気にしないで』
潤んだ瞳でビルを見上げ、コニーは謝罪をした。ビルは慌てて首を振りながら、コニーを見返す。
『ありがとう、貴女って本当に優しいのね。好きよ、ビル』
コニーは自分の持っている服のどれよりもずっと柔らかく上質な布に触れるたびに、叫びたいような苛立ちに駆られていた。
―――貴族の私が、なんで……なんで平民なんかに媚を売らなきゃいけないの……。本当なら私の方が良い服を着てたはずで、カフェなんかで働いているはずもなかった。ビルだって私を好きになった男の一人で、跪かせることができるはずだった。
だが、現実は金のために男に気に入られようと必死になっているのは、コニーの方であった。平民であるビルが高価な服を着て、余裕のある顔で貴族であるコニーに『優しく』接するのだ。
コニーにはそれがたまらなく惨めで、許せなかった。
―――私は、私を大事にしてくれる人だったら、誰でも良かった。幾度となく親のこと、置かれた環境のこと、話したのに私に好意を寄せてくれてる店の客は、誰も婚約の話をしてくれなかった。アンナ酷い親の元で育ったのに、誰も私を解放してあげようって思わなかったのかしら?
ビルに対して、コニーは少しだけ期待したこともあった。
ビルは両親に相談すると言ってくれたのだ。こんなにも優しくしてくれているビルなら、この地獄のような生活から連れ出してくれるのではないか、とコニーは思っていた。
だが、それ以降何も話は出てこなかった。
―――ルンギル伯爵なんておじさんより、ビルの方がずっとマシだと思ったわ。貴族じゃなくても、平民で裕福だったらどうでも良いって……。でも結局、ビルも私の婚約者が決まる前までに、話をくれなかった。
「お嬢様、いかがなさいましたか?」
「あ……あまりにも美しい馬車でしたので。つい……」
御者がコニーに向けて手を差し出してくる。
コニーはその手にそっと自分の手を重ねた。水仕事でガサガサになった自分の指先が、御者の真っ白な手袋に重なると、貴族令嬢とも思えぬ指先が恥ずかしく思えた。
ビルが悲しそうな顔をして、こちらを見ていた。だが、その情けない表情は今のコニーに、腹立たしく思えた。
―――そんな顔するくらいなら、なんでもっと早く行動してくれなかったの! 優しい言葉、流行りの菓子、宝石なんていらなかった。私が……私が本当に欲しかったのは、ジギタス男爵家から連れ出してくれることだったのに……。
コニーはビルに気づかない振りをすると、あえて御者に微笑みかけて馬車に乗り込んだ。扉が閉められたが、先に乗り込んでいた両親はコニーのことを気にすることもなかった。
―――お馬鹿な、ビル。今更そんな顔をしても遅いわ。私はじきにルンギル伯爵の元に嫁ぐんだもの。どんなに年上で、愛人が沢山いたとしても、金こそが全てなのよ。
御者の声が響き、馬車がゆっくりと動き出す。
父と母はすでに窓に張り付くようにして動き出すことを今か今かと待ち構えていた。窓の外を流れていく景色の中に、呆然と立ち尽くすビルの姿が見える。コニーはビルの姿が徐々に小さくなっていくのを、じっと見つめていた。
―――ああ、胸の奥が熱いわ。これは恋なんかじゃない。ドロドロとした醜い感情で、私を解放してくれなかった男への恨みなのね。
馬車からは完全に広場は見えなくなった。
それと同時に、コニーは頭の中を切り替える。ビルなどという男は、今日あの場所にいなかったようにすら思えた。
これから向かう先は、この国を支えている大貴族の公爵家なのだ。たかだか一人の平民など、覚えている価値もない。それよりも、さらに美しくなったであろうヴィオレッタと顔を合わせることができるということが、コニーの頭の中をいっぱいにした。




