17、アイバンとカルミア②
王妃としての権限が剥奪されるかもしれない。
それはナイトシード公爵から、再び激しく叱責されることを意味していた。カルミアはそれだけは避けなければいけないということは、分かっていた。
「アイバン……その、待って……」
だが、明らかに取り付く島もないアイバンをどう説得するか、悩んでいると先に口を開いたのはアイバンであった。
「王妃が管理していたものを彼女に管理させるのかという質問だが、今はまだ違うと言っておこう。ただ、彼女にはすでに王宮で必要な費用は渡してある。だが、君が返ってきた今、適切な額が渡るとは思えない。君を信用できないからだ。今後はその辺の予算はこちらで管理させてもらう」
「お、お義父様がなんと言うか私は分かりませんわ……!」
「ん? なぜ公爵の名が出てくるのだ? まさか、君は公爵に一任していたわけではあるまいな? 王宮で管理するべき予算を……資金として回していたのではないだろうな?」
アイバンは初めて聞いたかのような表情を浮かべ、カルミアにじっとりとした疑いの視線を向けた。その視線は鋭く、カルミアの背中には冷たい汗が流れた。
「とんでもありません……! わた、私はそんなこと……」
「そうか、ならいいだろう? 今回返してもらう権利は王宮内での君たち女性にかかる予算だけだ。いずれ君に戻るかどうかは……まあ、そこは期待しないでくれ。書類を確認する限り、かなりの額が動いていたようだしな」
「アイバン、待って。私……私、今度からケイレブの予算の草案をもっとちゃんと見て考えるわ。ねえ、それでいいでしょ……?」
カルミアは震える声で懇願した。
王妃としての役目を果たせないのならば、せめて他のことを奪われるわけにはいかない。それは公爵がカルミアを王妃にした理由の一つであったからだ。
「今までにその気持ちがあればな……しかし、もう遅い。君が反省できる期間はとっくに終わっている」
「こんなの酷いわ……! 私はちゃんと書類にサインしていたし、駄目だったら駄目ってその時に言えばいいじゃないっ」
「カルミア、君は王妃だ。駄目だったら駄目と言える者は、限られている」
「それは……」
ぐっとカルミアは押し黙るしかない。
アイバンの言う通りである。王妃であるカルミアに意見をできる者は少ない。しかも、ナイトシード公爵が後ろ盾なのだ、以前消えた貴族子息のことを知っている者たちが、何かを言えることはないだろう。
「今までにケイレブが言葉ではなく、草案でしっかりと示しているように私には見えたが……君にはそうは見えなかったか?」
「…………」
「王妃としての公務だが、愛人となったローレル公爵家のカトレア令嬢はそれは素晴らしい女性だ。君がまた無理をするといけないからな、カトレアに多くをやってもらうことにした。だから、公務についても君は考える必要はない」
カルミアの顔から血の気が引いた。
「わ、私は大丈夫よ、心配しないで……?」
「いや、心配はしていない。良いか、カルミア」
アイバンは初めて、冷たい視線をカルミアの目線に合わせた。
「王妃の義務とは、子を産むことだけではない。何のために傍系がいると思っているんだ。王国の繁栄、そして民の暮らしや幸せを願うことにある。君はそれを怠ったんだ、その責任は重い。今の君に王妃としての資格はない」
アイバンはカルミアが最も恐れていた言葉を淡々と告げた。『王妃としての資格はない。』その言葉はカルミアの心に、今まで生きてきた中で、もっとも重く、もっとも残酷に響いた。
「カルミア。国民には療養が長引いたことで今も体調が万全ではないと、世間には公表する」
「そ、そんな……! 私はこんなに元気なのよ、それに、王妃は私……!」
カルミアの目から再び涙が溢れた。それは公爵の前で見せていた男を絆すような涙ではなく、王妃という立場を失うかも知れない恐怖からくる涙だった。
「王妃……な。王妃の地位を奪うことはしない。だが、君が今まで握っていた王妃としての実権は、先程伝えたもの以外にも少なくなると思ってくれ。今から他の書類も精査する。今後は自室で静養し、公務に口を出すことは……ああ、君自身が口を出すことはないか。公爵にぜひ伝えておいてくれ。『王妃の公務に口を出すことは一切許さない』と。これが国王として私の決定だ」
アイバンはそこで言葉を区切ると、再び書類に目を落とした。カルミアは震え、涙を流し訴えた。
「アイバン……! いいえ、国王陛下! 私の気持ちを分かってくれるでしょ……? 私たちの間には確かに愛はなかった。でも、お互いを想い合う心はあったはずよ……子供だってそうよ、あなたのためにって、私ずっと頑張ってたの!」
「お互いを想い合う心……そうだな」
カルミアは今までのようなアイバンでないことを悟り、今度は『互いを想い合う心』という言葉を語り出した。力を失くしたように床に膝をつき、両手でドレスの裾を強く握りしめる。
「アイバン…お願い、ねえ、お願いだから……思い出してちょうだい……」
アイバンはふうと長く息を吐き、筆記具を握りしめた。
「思い出すもなにも、君にそんな心があったことを、私は初めて知ったぞ。最初……婚約者が君の姉であるヴィオレッタから君、カルミアへ変更になった時、驚いたんだ。特に悲しむ素振りもなかったが、気丈に振舞っているのだと思っていた。なぜ婚約者が変更になったのか、その理由を公爵に聞いても君に聞いても、療養中に死んでしまったと聞かされるだけだった。仮にも王太子の婚約者だぞ……? そんな女性が王家に状況を伝えてくることもせず、そんなことになるか? 葬儀だってそうだ。呼ばれることもなく、開かれることなく……それでも私は君を国を良くするために一緒に戦っていく仲間になれればと思っていたが……実際の扱いはただの種馬だった。公爵家の血を引く子供を出すための、な。私だって男だ。そんな扱いをされていないことが分からないほど、馬鹿ではない」
途中で呼吸をすることを忘れたかのように、アイバンは言い切った。
「……それは、その、違うの……あの」
なおも言葉を紡ごうとするカルミアを遮るように、アイバンはケイレブに目配せし、静かに呼吸を一つ吐き出した。その仕草は疲労感を表したものではなく、カルミアという存在を相手にすることへの疲れを示していた。
「ケイレブ、王妃が自室へ戻るそうだ。扉の前で待っている侍女のところまで、案内してやれ」
「かしこまりました。王妃様、こちらへ」
ケイレブは無表情にカルミアを促した。
カルミアはアイバンの元へ行こうとしたが、ケイレブの手に止められ阻まれた。アイバンはカルミアを気にすることなく、筆記具を紙に滑らせた。
国王であるアイバンからの罰は、廃妃というナイトシード公爵家が最も恐れていたものではなかった。しかしそれは、王妃という名を頂くただの飾りになるということだった。




