13、王妃カルミアについて2
部屋に戻るなりカルミアは扇を壁に投げつけた。
「ああああ、もうっ!」
ベラは扇を拾うとカルミアの指示を待たずに、急いで帰り支度の手筈を整える。綺麗に整えられた爪を噛みながら、カルミアは叫んだ。
「ああっ面倒ね! なんでこんなことになるの!? 最後にあの部屋を出ていくとき、私のこと笑ってる目をしていた女がいたでしょう!? 馬鹿にして……許さないわ。顔は覚えてるから、お義父様に言いつけてあげる……。何が私のためよ、ナイトシードに恩を売ってあわよくば自分の親類の娘を売り込もうとしてるくせに……! それになんで手紙が届いてないのよ! あの陛下のことよ、愛人で済むはずないわ、もう孕んでるのかもしれないわ」
「そのことですが」
「なに!?」
「ナイトシード公爵家にも情報は一切入っていなかったようです。こちらに手紙が届いたことも、使者が来たことも記録には残っておりません」
「はあ? どういうこと? ここに敵がいるってこと?」
先ほどまでの愛らしさなどどこにもない、ただの鬼のような形相の女の顔だった。
「はい。もしくは陛下が偽りを申されているかです」
「……偽り…………明日ここを発つとして、あの女たちとちんたら帰ったらどのくらいの日程になる?」
「三週間くらいはかかるかと」
「三週間……お義父様は何か言ってる?」
「状況の確認をしているようで、特に連絡は来ておりません」
「そう……いいわ、一週間も三週間も誤差みたいなものでしょ」
カルミアは王妃とは思えない荒々しい座り方でソファに体を沈めた。
この三週間がカルミアの王妃としての地位を危うくすることになるとは、カルミア自身この時は夢にも思っていなかった。
ベラが部屋に他の侍女を呼び入れ、帰り支度の作業を始める姿を見て、カルミアは徐々に冷静さを取り戻していった。感情に任せて壁に投げつけた扇を、再度握りしめた。爪を噛みながら状況を整理するが、カルミアにだって分かることがある。
―――この状況で本当に危ういのは時間……よね? 一週間も三週間も大した変わりはないわよね? だって、ナイトシード公爵家に逆らえるものはいないんだもの。それに……お義父様から連絡が来ていないということは、急がなくていいってこと……?
「ベラ、明日朝一番に王都へ戻る旨を伝えておいて。ただし、お義父様とお話し合いをするために急ぐから、私とあなたたちだけで先に発つ、と」
「かしこまりました。急いで王都に戻るということですか?」
「いいえ、そういうわけではないけど……少しでも早く戻ったほうがいいかも知れないって思ったの」
「確かに……私たちだけですとどれだけ時間がかかったとしても一週間と少しぐらいでしょう」
「そうよね。では夫人たちに話しておいて」
「では、私は係りの者と話もしてきますので、一旦失礼いたします」
カルミアは窓際に立ち、遠くの街並みを見下ろした。観光地の一際目立つ場所に別荘はあるため、人々の営みが見える。皆楽しそうに笑いあい、この街を満喫しているようであった。
カルミアもまた、王妃の立場を脅かす者が公爵家の影響でいないと思っていたからこそ、療養という名の自由を満喫していたのだ。
―――アイバンが私を裏切るなんて、ありえない……だって、あの男はお義父様に逆らえないはずよ……。
ベラの報告通りならば、王宮から手紙も使者も来ていないことになる。実際にカルミアも見ていない。ただ、アイバンがそんな嘘を付くだろうか。カルミアはアイバンの律儀な性格を知っていた。お互い好きあってはいなかったけれど、カルミアが頼めばアイバンは様々なことをやってくれた。
―――そんなアイバンがなぜ今頃になって……? 療養に来る前だって、何も言ってこなかったし、羽を伸ばしてくればいいと言っていたのに。
片付けを他の侍女に任せていたベラはすぐに戻ってきた。別荘の管理人に馬車の準備と、同行する夫人たちへの口頭での伝達を済ませて戻ってきたのだが、少しだけ困ったような顔をしていた。
「カルミア様、予想通り……夫人たちは一緒に戻ると」
「え? 一緒に……? 私の話を無視するの?」
「それが……夫人たちは一様に『王妃様が不安な中、お一人で王都へ戻られるのはよくない。一緒に戻ることで派閥の結束が見せつけられる』と……」
「派閥の結束……お義父様からまだ何も……?」
「はい、ご連絡はありません」
カルミアはイライラしながら扇を握りしめ、もう片方の指でソファを引っ掻いた。
いつもならばナイトシード公爵から、何かしらの連絡が来るはずなのだ。それが来ないということは、きっとナイトシードですら掴めなかった突然の出来事だったのだろう。
―――わ、私じゃこれからどうすればいいかなんて、分からないわ……どうすればいいの……夫人たちを置いて帰ればきっと後で、面倒なことになる。でも遅くなったらそれはそれで……。
「カルミア様、どういたしましょうか。きっと一週間も三週間も誤差と先程は申されておりましたので、公爵様からの連絡もありません。ここはこのまま夫人たちと一緒に王都へ?」
「……そ、そうよね……ここで焦っても王妃としての格を見せつけることができないわよね。夫人たちと仲違いすれば、きっとお義父様もお怒りになられるわ」
「かしこまりました。では夫人たちには明日の出立を伝えておきます」
「ええ、お願いね」
ベラの返事を聞いた途端、カルミアの顔には安堵の表情が広がった。頭の中で、焦って王都に戻る必要はないのかもしれない、という思いが芽生えたのだ。他の誰も急いでいないことが、その答えだ、と。
―――そうよ、そうよね、焦る必要なんてないわ。王妃である私は療養していたんだもの。早く帰る必要なんてない。それよりも、周囲にどれだけ大事にされているか、そして、派閥の結束を見せつけることで、アイバンにも私たちの後ろ盾の強さが更に伝わる。
カルミアは自分自身の行動を、周囲に言われたことが最善であると解釈した。
―――だって、私には分からないけど、皆がゆっくり帰っていいって言ってるんだから、きっとこれが正しいのよ。
「ベラ、行きましょう。夫人たちに伝えて。王妃である私が、どれほど感動しているかを丁寧に伝えてね。それと、王都へ戻る道中、皆が献身的に支えてくださる姿を、民に見せるようにして」
「かしこまりました。手配はお任せください。カルミア様は、明日から王妃として、国王陛下に裏切られたというお辛いお立場にあることを民に見せるようにしてください。きっと、民も道中宿を貸す貴族も分かってくださるはずです」
「ええ、分かったわ」
ベラはカルミアの自分で決めないという性格を熟知していた。いつも彼女はベラにとって最も楽な道を用意し、提示する。それはカルミアの昔からの性格だったからだ。
「ねえ、ベラ。疲れちゃった……」
「出発は明日の朝ですので、少しお休みください」
「そうね、そうするわ」
カルミアはソファから寝室へ向かうと、ベラに着替えの準備を命じた。カルミアはいつも通り、穢れを知らない純粋な顔をした、いつもの無垢な王妃の姿に戻っていった。
「皆、長くお世話になったわ。お義父様にも伝えておくわ。ありがとう……本音を言えばもっと滞在していたかったけれど、陛下が……ぅっ……いいえ、何でもないわ。それでは……」
翌朝、カルミアは使用人たちに挨拶をすると豪華な馬車へ乗り込んだ。それに続くように一行も豪華な馬車に乗り、護衛を多数従えゆっくりと王都を目指して出発した。
その馬車が王都に到着するのは、三週間後のこととなる。




